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幻日譚  作者: 麓城結社
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外伝 下

 今日も枕元の目覚まし時計が鳴る前に目を覚ました。職人の朝は早い。それが徒弟の中でも最下層の見習いならなおさらだ。俺の寝起きの良さというのは一種の天性というやつで、意識の覚醒直後に百パーセントフル稼働で行動できる。

 今日も今日とて寝床から跳ね起きると、靴を履いて上着を着こみ、兄弟子たちの眠るベッドの横をそろりそろりと通り抜けた。徒弟部屋を出て階段をくだり、工房に着いた。窓からの外はまだ日の出前で真っ暗だ。しかしやることは山積みだった。

まず石油ストーブに火をつける。親方が降りてくるまでに工房が温まってないとどやされるし単純に俺も寒い。

 陳列棚に並んだ商品をひとつひとつ丹念に磨き、朝食の下ごしらえを終えて箒を持って玄関から出た。冬の痛いほどの冷気が肌を刺した。

 工房の前の掃き掃除をしていると正面の大店の扉が開いた。中から現れたあくびをしながらあらわれた人影は俺を見て言った。

「ユキ、おはよう!」

 何がそんなに楽しいのか、日の出前の夜空の下で街灯に照らされたはち切れるような笑顔を浮かべている。

「おはようアスカ」

 アスカに挨拶を返すと、俺は日課を開始した。



 日課を終えて朝食を作りに台所に向かうと、親方が立っていた。まだ親方や兄弟子たちが起きる時間まで優に三十分以上はある。しかしそんなことは言い訳にはならない。

「親方。おはようございます。すみません、朝食直ぐに作りますんで」

 慌てる俺に、親方は怒るでもなく問いかけた。

「おい、ユキ。お前いまいくつになる」

「十二歳です」

「なら次の堅信式に出なけりゃならんな」

 その言葉を聞いて、俺は信心深い親方の前で顔をしかめそうになる気持ちを必死に堪えた。それでも親方はそんな俺の気持ちはお見通しだったようで、強面にめずらしく気の毒そうな表情を浮かべた。

「龍災孤児のお前が神殿儀式に対していい思い入れが無いことは知っているよ。まあその日はなんとか耐えてくれや」

「分かりました」

 話はそれだけかと、調理に戻ろうとしても親方ははその場を動かない。

「あの、なにか?」

 俺の問い掛けに、親方はこれまためずらしく奥歯に物が挟まったような表情で言葉を探しているようだった。

「理事長との約束で、お前をうちで引き取るのは一旦堅信式までって話になっている」

 初耳だった。

「組合の決まりでな。正式に徒弟を取るには堅信式を迎えていることと、適性試験に受かること、そして保護者から商工組合への資金供与が必要なんだよ」

 年齢については知っていた。俺が六年間も住み込んで仕事をしながらあくまで徒弟見習いなのは、俺が堅信式を迎えていない未成年だからだ。

「まあ、お前より筋のいい弟子はうちにはいないことは承知しているから試験は問題は無いだろう。保護者ってことなら金を出すのは俺というこたになる」

「なら、これ以上ご迷惑は掛けられません」

 六年間も面倒を見てもらった挙句そこまでしてもらう訳にはいかない。

 今までの恩を告げようと思ったら、頭をげんこつで殴られた。

「馬鹿野郎、俺がそんな小銭を惜しんでお前を放り出すとでも思ってんのか」

 頭を押さえて目を白黒させている俺に親方は不機嫌そうに言った。

「弟子にしてくれって親御さんと俺に頭下げて工房に来たなら分かる。だがお前は違うだろうが」

 もう随分と昔のあの日、デインでひとり立ち尽くしていた俺の手を引いてくれたアスカはデイン市の商工組合理事長を務める有力商人の一人娘で、生え抜きのお嬢様だったのだ。

 アスカは親に頼み込み、商工組合の中から俺の引き取り先を探して、たまたまかは知らないが、自分の家の前に金細工の工房を構える親方に巡り合わせてくれた。

 察しの悪いことに、俺はようやく気がついた。親方は俺の意志を問うていたのだ。

「お前が毎朝こそこそ下手くそなチャンバラの真似事してることくらい、俺は知ってるんだよ」

 誰にも気づかれないように、うんと早起きして行っていた毎朝の日課。羞恥心で顔から火が出そうだった。親方はそんな俺の様子に苦笑した。

「お前、剣士になりたいんだろう。憎い龍に一度痛い目を見せてやりたいんだろう。だったらこんなところでこんなことをしていていいのか。師匠なら探してやる。金が必要なら出してやる。思い切り恩に着ろよ?」



 堅信式を終えて成人になった日、俺は親方に深々と頭を下げて六年間暮らした工房をあとにした。俺は親方からの紹介状を持って、かつて水龍を調伏したという男の元へと向かうためにデインを出た。隣にはなぜだか一緒になって俺について来たアスカ。

 ご機嫌な様子のアスカに尋ねた。

「どうしてお嬢様暮らしを捨てて酔狂なことしたがるんだよ」

「だって、かっこいいじゃない。龍退治なんて成功したら絶対モテモテだよ!」

 アスカはキャーと叫んで一人で盛り上がると、今度は俺の顔を覗き込んだ。

「ねえ、ユキはなんで剣士になりたいの?」

 ひとつだけ、親方は勘違いしていることがあった。俺は龍に痛い目を見せるために剣士を目指したわけじゃない。ただ強くなりたかったのだ。顔も名前も忘れたあの人を助ける強さが欲しかった。

「剣士にこだわりなんてない。助けてあげたい人がいるから、そのために強くなりたい」

 俺がそう答えると、アスカは顔をにやけさせた。

「へえ、それって私のこと?」

「いや、別の女」

 この浮気者だの、いつの間にそんな女を、だのとふざけて叫び倒すアスカを無視して、俺は足を進めた。

 必要十分な強さなんて分からない。この世界で最強の存在である龍ならば、ひとつの踏み台としてちょうどいい。

 だから目指すところは、とりあえず世界最強。

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