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「おはよう」
「オアヨウ」
「そうよ、そう! すごいわ」
掌の上で飛び跳ねる姿が楽しくて、聞いた音を頭で反芻しながら何度もその音を出す。時折、音が返ってくるのでできる限り寄せていく。ちいさく、ゆっくり、丁寧に音を乗せる。掌にいるちっぽけで面白い生き物に柔らかに届くように、知らないうちに消えて無くならないように慎重に。壊さないように、と自分に言い聞かせながら。他を慮ることなど滅多にないそれにとって窮屈でありがなら、新鮮でもあった。
「最初の意思疎通の出来なさには無謀さも感じたけれど、意志があれば貫けるものね。真似しようとする意識はあるようだけれど、意味は何一つ伝わっていないわよね……。どうしたらいいのよ。私はただの身代わりの小娘よ、特別な能力なんてこれっぽっちもないのに」
相手が発する音の意味は分からない。それでも、動きの、音の一つ一つをじっと見てきたそれにとってそれが快いことがどうかは判断できるくらいの目が出来ていた。きっと今、快くない。それは何とかあのくるくると変わるいつもの姿に戻ってほしい、と思った。それは自らの心に問いかける、何をすればよいかと。一人ぼっち闇の中で揺蕩い、夢と現の狭間に消えていった日々。しかしその奥の奥まで覗き込んでいくと、そこには忘却の彼方にいた日々があった。ずうっと昔、今と同じような闇の中、でもそこには煌くものがあった。
ああ、そうだ、あの時も居たのだ。ちっぽけでくるくる動く小さき者が。これが初めてではなかったのだ。あの頃の幼き日の記憶は決して首をもたげて暴れ出さないよう、胸の奥深く闇の石の様に固くして封じ込めたのだ。
なぜそこまでして封じ込めたのだろう。
「ねえ、どうしたの。突然固まって。寝ちゃったのかしら」
心地よい音も今は横に置いて自らに問いかけ記憶の迷宮に身を墜とす。
深く深く潜り込むと封じ込めていたものがぽこん、ぽこんと現れ始める。断片的に浮かび上がる記憶に耳を聳て目を凝らす。
ああ、そうだ。これは気が遠くなるくらい昔の話だ。暗い片隅で起きたヒトとの封じ込められた物語。