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「私はこの世界を壊しに来たのよ」
薄暗くだだっ広い空間に白磁色の螺旋階段が天高く伸びている。深紅のドレスを着たその人の後ろについて随分と登ったが終わりは未だに見えない。
世界に在るのは私達だけとでも言うように物音ひとつしない。登り始めてどれくらいの時間が経ったのだろうが。その人は唐突にそう、発した。その人の言葉だけが反響する。その言葉は淡々としており、後悔も希望も憐憫も歓喜も込められていなかった。強いて言うのであれば諦めだけが漂っている。私は沈黙を保ったまま歩を進める。
返事を求めているわけではないのだろう、その人はぽつりぽつりと呟く。
「貴方には私がどのように見えているのかしら」
私は答えない。
「私の思惑を理解して付いてきているの」
私は答えない。
「すっかり嫌われてしまったのかしら」
そこに微かに自嘲の色が滲む。私は答えない。その人は私が反応しなくても決して振り返りも、歩みも止めない。その階段を登りきることが全てだというかのように。
突然 すっとその人が立ち止まった。つられて私も止まる。闇を秘めたような紅いドレスを翻しその人はこちらを向いた。薄暗くとも表情ははっきりと分かる。私と目を合わせ、微笑を浮かべ階段の端に寄った。
「ここからはお先へどうぞ」
促されたまま私は先に進む、その人は後ろから付いてくる。
その微笑は、今まで見た中で最も淋しげだった。
*
ポケットに放り込んでいたベルがちりりんと鳴る。それはお客さんがやってきた合図。家を出てすぐそこの街の入り口に向かう。そこには一人のお姉さんが立っていた。このお姉さんはこの街へ来たことがある。
「ようこそ、サーの街へ! お久しぶり、ミユお姉さん」
「お久しぶり、アカリ」
「会えて嬉しいな。ゆっくりしていってね」
「ありがとう。久しぶりだから案内して貰いたいのだけれどお願いできるかしら」
「もちろんいいよ! どこから行く?」
「アカリのお気に入りのところへ」
「分かった」
私が歩を進め始めるとお姉さんもついてきた。
「お姉さんは魔法使いになったんだね」
「えぇ。アカリに会うのは久々だからお土産を持ってきたの」
「えっ、何?」
振り返りお姉さんの方を向くと、黄色い布を手渡された。広げてみるとワンピースだ。体に合わせてみる。
「どう?」
「とても似合っている。絶対似合うと思ったもの」
「ありがとう」
服を合わせてくるりと回る。お姉さんの方を見ると柔らかに微笑んでいるのだけれど、どこか悲しそうに見えた。どうしたんだろう。
「アカリ?」
前ではなく真横に回りお姉さんを見上げると、不思議そうに私の名を呼んだ。
「お姉さんにくっつきたい気持ち」
手を取って笑いかけると、お姉さんも笑い返してくれた。よし、さっきより寂しそうな笑い方じゃあない。
「こっち!」
私はお姉さんの手を握ったまま駆け出した。
ここサーの街は海辺の街だ。海岸にはカラフルな屋根の小屋がぽつんぽつんと建っている。港では人と声が行き交う。海からはほかの街の人や物が船でやってきて、陸からは海へ旅に出る人、珍品を扱う商人が集う。彼ら、彼女らは協力したり戦利品を売買しあったり、体験を語り合ったりと賑やかな場所だ。港から遠のく程、喧騒が消えしん、とした静やかな空気になる。
内陸側には迷路のような商店街があり、お店が立ち並ぶ。様々なお店や人が溢れるこの通りは歩いているだけで楽しい。
人気のない商店街に入り右に1回、左に2回、右に1回曲がる。その道を少しまっすぐ進んでいくといくつかある商店街の出口の一つに着く。ここから一直線に駆けると海に出るのだけれど、ここからは距離があり海は見えない。
「ここの商店街は歩いているだけで楽しいの。今はあまり人がいないけれど……。でね、お気に入りはここ」
商店街の端っこにあるくたびれた二階建ての家を指さす。一見ただの家にしか見えないけれど、表札の代わりに剥げかけた字で「黒猫ラヂオ」と書かれている。その扉を開けると、掛けられていた鐘が涼やかな音を鳴らす。
「黒猫のお兄さん、こんにちは」
私がそう呼びかけると、するりと音もなく黒い生き物がやってきて私の足元にすり寄る。毛並みのそろった美しい黒猫だ。その後ろからどたどたとした音を立てて男性が降りてくる。
「お兄さん、こんにちは」
「アカリ、こんにちは」
「今ね、ミユお姉さんに街を案内しているの。二階に行っても良い?」
「あぁ、いいよ。どうぞ」
階段下に立つお兄さんの横をすり抜け、とんとん、と階段を上る。そこにはこじんまりした部屋があり、二人掛けの空色のソファーだけが置いてある。そこも居心地が良いけれど、一番お気に入りの場所はその先。
「ここだよ」
レースのカーテンを開け放ち、窓を開ける。そこには広いベランダが広がっている。
「ここからはね、海が見えるの」
お姉さんが隣にきて私と一緒に海を眺める。遠く遠くまで蒼色を湛えている海。ここから見る海はどこで見るよりも穏やかで広大に見えるように感じる。
「ここはね、これだけじゃないの」
ベランダを回り逆側に出る。ここのベランダは2階をぐるりと囲んでいるのだ。逆側に見えるのは商店街。立ち並ぶお店とお家たち。
「ここがアカリの好きな場所?」
「そう。特別なものはないんだけれど。」
知らない遠い世界へ繋がっていく海と人が緩やかに繋がりあう街。
「ここから見る景色がとても好き」
「そうなんだ」
お姉さんが私の頭をくしゃりと撫でる。その行為に反射的に目が細まる。
「アカリ、今まで見て、思って、感じたこと。それらを誰にも盗られず、自分が忘れないところへしっかりしまっておいて」
「それはお姉さんとの約束?」
「いいえ、……祈りかしら。天の神様に手を合わせるような、そんなもの」
「お姉さんのお祈りはきっと届くよ。私はなくさないから」
「そうであって欲しいわ」
それからお姉さんは街をぶらりと歩き、去っていった。
それから一週間後、貯水池をひっくり返したような大雨が降り始めた。めったに雨は降らないが降ると大抵「何か」が起きる。幾ら経っても雨は降りやまない。これは何かが起こらないわけがない。
雨が降り始めてか暫く経ち、貯水池の水が尽きたかのように雨粒の音が軽くなった。
久しぶりに商店街を通り黒猫ラヂオへ向かった。扉を開け涼やかな音を響かすと珍しく放送室からお兄さんが飛び出してきた。私の顔を見てほっとしたような、がっかりしたような顔をする。
「アカリか。まぁちょうどいい。いまから放送しようと思っていたんだ。事件が起こった。隅の方座って聞いておけ」
お兄さんが開け放ったドアから小さな放送室へ入り、隅にある丸椅子に腰かける。
お兄さんは機材の前に座り放送する準備をする。マイクを前にするといつものだらんとした空気が影を潜める。今回は特にピリリとした空気を纏っている。ふと柔らかな毛が私の足を撫でた。そおっと黒い毛玉を抱き上げる。
お兄さんがピンと背筋を正し、スイッチを入れた。
「皆さんこんにちは。本日の黒猫ラヂオ、まずはこの雨がもたらした「もの」についてお伝えします」
緊張感漂う声に私の背筋もすっと伸びた。
私信
同志へ
楽しかったと思える1年にしましょう。
よろしくお願いします。