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よろしくお願いします
空には暗雲が垂れ込め、雷鳴やおどろおどろしい悲鳴が絶えず聞こえる魔境。その奥地に聳え立つ漆黒の城の最奥、一際禍々しい扉を蹴破り俺は中へと進んだ。蹴破った…というか、すでにその重厚な両開きの扉はすべて粉塵になって開放感あふれる仕様になってしまっているけれど、そんな細かいことは気にしない。
部屋の奥には、俺が来るのを待ち構えていたように、漆黒のローブを身につけて額から立派な角を生やした山羊のような頭の男が玉座に腰掛けている。
男は、部屋に入ってきた俺を見て、フハハハといかにもな感じで笑ってからおもむろに立ち上がった。
「よくぞここまでやってきた、愚かな勇者よ。我こそがまおーーー」
「いや、そういうのいいから。もう聞き飽きたし」
俺は、その言葉を遮って、愛用の日本刀を正眼に構える。
「時間がおしてるんだ。さっさと始めてくれ」
「キサマ…っ!その言葉、あの世で後悔するがいいっ!」
俺の対応が気に入らなかったのか、カッと頭に血を上らせた魔王が両掌に莫大なエネルギーを急速にためていく。
あ、これヤバいやつ。
たぶん、アレ1発で大陸が消し飛ぶくらいの威力があるとみた。
まともに食らったら即死確定だし、避けても大陸消滅の危機。
「まぁ、発動すれば…だけどなっ!」
重心を落として地面をひと蹴り、グンッと一気に距離を詰める。
「!!なに…っ!?」
急に懐近くに現れた俺に気づいた魔王は、咄嗟に距離を取ろうとするがわずかに遅い。
俺はまず、発動しようとする魔法を止めることにした。中途半端に発動しかけた状態で魔王を倒して、制御を失った魔法が暴走したら堪らないからな。これを止めるのは魔王を倒すよりも厄介なんだ。
これまで幾百、幾千の敵を屠って来たとは思えないほど、傷1つなく輝きを放つ愛刀は、初めはただの日本刀だったのだが、今や【魔法攻撃無効】【物理攻撃力増(極大)】【物理防御力増(極大)】【自動修復】【自動洗浄】などの強化が施され、ちょっとしたチート仕様になっている。
この愛刀を、発動途中の魔法の核に突き立てれば…あら不思議。魔法は無効化されましたとさ。
いくら魔物を斬っても刃こぼれ1つすることなく、刀身に脂が巻くこともないので、切れ味が衰えることもない、その上魔法もきれるなんて、本当に便利な刀だ。
「バカな!我の魔法を打ち消した、だと…っ?!」
愕然とする魔王だったが、そんなものに構っている暇は俺にはない。俺は返す刀ですぐさま魔王の背後に回り、未だ状況を理解しきれていない様子の魔王の首を静かに刎ねた。
「悪いな。俺は急いでるんだ」
キラキラと粒子になって消えていく魔王を確認して、俺は刀を鞘にしまった。
魔王を倒して最速で王都に戻ってきた俺は、王様やら重鎮やらにそれはそれは丁重に出迎えられた。謁見の間で、魔王を討伐し終わったことを報告すると、玉座に座ってそれを聞いていた王様が鷹揚に頷いた。
「うむ。既に魔境を包む瘴気が薄くなり始めていると神殿から報告が上がっている。貴殿が魔王を倒したおかげであろう。勇者ハジメよ、そなたの功績を称え、名誉伯爵の地位を与えるとともに我が娘ジュリアーナを娶る権利をーーー」
「あ、そういうのは結構ですので。お断りします」
王の言葉を遮るように断りの言葉を述べると、謁見の間の空気がピキンと固まった。
王様は浮かべる笑みが引きつっているし、静々と王の横に並んだ着飾った娘は、ーーたぶん、彼女がジュリアーナなのだろうがーー顔面を蒼白にさせて今にも倒れそうだ。回りを囲む重鎮貴族たちも、ザワザワとざわめき落ち着かないが、面と向かって俺に文句を言う者はいない。
まぁ、そうだよな。これまで誰も倒せなかった魔王を1人で討伐して、しかも無傷で帰ってきた俺に、口答えしようなんてヤツはそうそういないだろう。
「俺は初めにお話ししていたように、魔王の討伐が終わったら元の世界に帰りますので、こちらの世界での地位や伴侶なんかは要りません」
「し、しかし…、これだけの功績を挙げたものに何も褒賞を与えないなどというのは、他のものへの示しが付かぬ」
いち早く立ち直った王様が重ねて言い募るが、俺はそれに緩く首を振る。
「俺は何もいりません。もしどうしてもというなら、次に異世界から勇者を召喚した時に、その勇者へと金なり武器なりを渡してください。旅は何かと入り用ですから」
異世界の金なんて日本じゃ使えねぇし、物をもらったって大抵のものは日本に着く頃には消えて無くなっている。材質とか成分とか、地球にないものは弾かれるんだろう。まぁ、そのくせ俺の持ち物とかは異世界に行ってもそのまま消えて無くなったりはしないんだけど…。
「じゃあ、そういうことで。俺はウチに帰ります」
話は終わったとばかりに俺が立ち上がると、慌てて王やら貴族やらが駆け寄ってくる。
「ま、待ってくれ!せめて今夜の宴だけでも…」
「すみませんが、俺には向こうでやらねばならないことがありますので」
そう、俺にはこんなところで無駄に留まっている暇はないのだ。
まだ何か言いたそうな周囲をよそに、俺は左眼に手をかざして魔力を込める。すると、黒かったはずの俺の左眼は鮮やかなアメジスト色に変わりそこから溢れた光が俺を包み込んだ。
俺を囲んでいた王様以下略な人々が眩しそうに手をかざすのが光の隙間から目に映って、少し申し訳なく思う。
至近距離でこの光はさぞ眩しかろう。すまんが、しばらく耐えてくれ。あと10秒もしないうちにその光は収まるから。まぁ、その時には俺の姿は跡形もなく消えているんだけどさ。
目から溢れた光が収まると、そこは見慣れた自宅のリビングだった。無事に日本に帰って来れたらしい。
ホッと息をついて、改めて辺りを見渡してみると、茶色いプラスチックフレームのおしゃれメガネをかけた弟が、今まで読んでいたであろう漫画を片手にソファの背から顔を覗かせて手をヒラヒラと振っていた。
「急に眩しくなったと思ったらやっぱりアニキか。おつ〜」
突然光とともに室内に現れた兄を出迎えるには軽すぎる挨拶ではあるが、お互いそんなことは気にならない。なんせ、もう7度目だ。いい加減慣れる。
「おう、ただいま。なぁ、俺が向こうに行ってどれくらい経った?」
弟に問いかけながらテレビのそばにあるはずの卓上カレンダーを見ようとするが、思っていた場所にそれはない。母さん、またどっかに持って行ってそのままにしてるな?
「んー?アニキが召喚されたのっていつだっけ?」
出迎えは終わりとばかりに、ソファに仰向けに寝そべり再び漫画を読み始めた弟が片手間に答えてくれる。
「中学の卒業式の日だから、3月の初めだな」
カレンダー探しを諦めて、弟の寝そべるソファの斜向かいにある1人がけのソファに腰を落ち着けた。愛刀は腰から外してソファに立てかけておく。本当はいつだって肌身離さず持っていたいのだが、流石にソファに座る時はジャマだ。それでも、すぐに手の届く位置にないと落ち着かないんだけどさ。
「じゃあ、だいたい2ヶ月くらいかなぁ。今ゴールデンウィークだから」
「ゴールデンウィーク!?」
それを聞いて、俺はガクリとうな垂れた。
「入学式に間に合わなかったなんて…あんなに、あんっなに急いで終わらせて来たのに…っ!」
そう…俺が、テンプレ的な魔王の口上も聞かずに瞬殺し、勝利の宴にも参加せずに急いで日本に帰って来たのは、ひとえにこれから俺が通う高校の入学式に参加するためだったのだ。
それなのに…もう終わっていただなんてっ!
異世界と日本では時間の流れが異なる。それはいく先々によって異なるから一概には言えないのだが、大体向こうの1年がこっちの1ヶ月ってパターンが多い。向こうの1年がこっちの2週間とか10日とか、1ヶ月より短くなることはあっても長くなることは無かったから、そんな過去の経験を踏まえて魔王討伐までの期限を1年と目安をつけて、それでも可能な限り急いでミッションを遂行したのだが、どうやら今回召喚された異世界は、予想以上にこちらでの時間の進みが早かったらしい。
俺はうな垂れたままで深く深くため息をついた。
「もう終わりだ…完全に出遅れた…。入学から1ヶ月も経ってたら、ある程度の交友関係は出来上がってるじゃねぇか。これからどうやってクラスに馴染めっていうんだ…」
暗く深く沈み込む俺を横目に、弟はケラケラと笑っている。
「超ウケる〜。たった1ヶ月の遅れくらい余裕っしょ。むしろ、目立ってラッキー的な?」
「うるせぇ!リア充はだまってろ!てめぇみてぇなチャラ男に、俺みたいな孤高の男の気持ちが分かってたまるか!」
「アニキ、中学のときボッチだったもんねぇ。孤高の男っていうかぁ、ただのコミュ障?」
「ぅぐぅ…!」
漫画を読む片手間にサラリと告げられた弟の言葉がグサリと胸にささる。
「異世界生活長すぎて現代文明に疎いし、時々出てくるファンタジー発言もオタクくさいっていうかぁ…いや、どっちかっていうと厨二?」
「…や、やめろぉ…」
次々に飛び出す言葉の刃を止めようと声をかけるも、弟はまったくこちらの様子は気にしていない。むしろ、意識の半分以上は漫画の内容に傾けられている。弟に悪気はない。ただ思ったことを口にしているだけなのだ。それだから余計に始末が悪いとも言えるが。
「こっちと異世界を行き来するための召喚陣が左眼にあるからって、それを隠す為に学校とか外では片目だけ黒い眼帯嵌めてるし、いつ召喚されてもいいように愛用の日本刀を常に持ち歩いてるし。もう厨二病通り越して完全に怪しいヒトだよねぇ」
「もう、ホント…やめてください…オネガイシマス…」
ガリガリと俺のライフが削られていく。過去訪れたどんな世界でだって、俺のライフをここまで削った相手はいなかった。最大の敵が身内なんて、それこそまさに厨二的発想ってやつなんじゃないだろうか。
「まぁ、だからさぁ?入学式出てても出てなくても、アニキがアニキである限りボッチ生活確定的な?だから、スタートダッシュ出来なかったとか全然気にすることないから!全然大丈夫!」
読み終わった漫画を閉じ、久しぶりに俺の方を向いた弟は、いい笑顔で親指を立ててみせた。
「〜〜〜っ!全っ然大丈夫じゃねぇよ、バカヤロウ〜っ!!」
俺の魂の叫びは虚しく木霊して、ケラケラ笑う弟の笑い声にあっという間に塗り替えられていった。