命日
翌朝
明るい日差しと共に目が覚めて立ち上がりカレンダーに目をやる。
3月9日
身支度をすませると家の前でタクシーを呼び乗り込む。
別荘では裸の2人がシーツに包まれ寄り添う。
日和「そんなに奥さんが嫌なら早く別れればいいのに」
雪「あいつといると息が詰まる、昔犯した罪をずっと背負わされている気がして」
日和がその言葉に目をまるくして首をかしげる。
雪は美咲との18年前の出会った頃を思い出す。
雪が降り続ける寒い冬、1人の少年がアザや傷だらけでボロボロになり、歩道橋の上で意識がもうろうとしていた。
通りかかった人はみんな見て見ぬふりをして通り過ぎていく。
少年は寒さと痛みで遠のいていく意識を感じその場に倒れ込む。
そこに通りかかった少女が少年を見つけ助けを呼ぶ。
少女「救急車、早く救急車呼んで」
目が覚めるとそこは病院のベッドの上だった。
少女「良かったあ、生きててくれて、本当によかったあ」
胸をなでおろす少女を横目に少年は立ち尽くす。
今まで18年間生きてきて誰からもそんな言葉を言われたことがなかったからである。
微笑む少女を見て少年も自然と笑顔になるのだった。
退院して少年は少女のお世話係になった。
身の回りのお世話をするうちに少女に好意を抱きはじめる。
少女「そいえばさぁ、あなた名前何て言うの?」
少年「名前?」
少女「ほら、人間には名前がつけられてるじゃない?美咲って私みたいに」
少年「名前などありませんよ、私は今まで人間のような扱いを受けてきませんでしたから」
美咲「ふーん、つまんないの」
少年「えっ?」
美咲「名前がない人生なんてつまらないよ…あっじゃあ私名前つけてもいい?雪の日に出会ったから今日からあなたの名前は雪ね」
そう言って美咲は微笑んだ。
夕暮れ時、明るい夕日が2人を包み込みながら。
それから雪は美咲との楽しい時間を過ごした。
美咲「はいこれ、私からのプレゼントです」
照れくさそうに雪にプレゼントを渡す。
雪「私に?いいんですか?」
美咲「いつも目悪そうにしてるじゃない?それに今日は雪が生まれた大切な日だから」
雪「生まれた日ですか?」
美咲「ほら、名前、名前つけたでしょ、あれから1年がたったから…いらないなら別にいいけど」
雪がプレゼントを受け取る。
雪「大切に使わせていただきますね」
澄んだ青空の下眩しい光に照らされて2人は微笑む。
雪は美咲と出会い今まで自分になかった感情を知っていくのだった。
美咲からもらった眼鏡を外して呟く。
衛「闇の中をずっとさまよい続けていればよかったんだ、感情なんて知ってしまったから…あいつと出会わなければこんなことにならなかったのに」
悲しそうにする衛に日和が寄り添う。
日和「私は…雪と出会えて本当によかったよ」
そう言って口づけする。
タクシーから降りた美咲がお墓に向かう。
お墓の前では衛の姉が手を合わせている。
その場を立ち去ろうとする姉と目が合い、2人は軽く頭を下げる。
手を合わせる美咲、涙を目にいっぱいためて、ゆっくりと目を開けてゆっくりと口をひらく。
美咲「ここに来るとなぜかほっとするんです」
涙を流しそう答える。
美咲「もう10年も経つのに…私の気持ちはあの時でとまったままなんです…もう自分でもどうすればいいのかわかりません」
姉「美咲ちゃん」
衛の姉も涙を流す。
美咲「ごめんなさい。私の父のせいで、本当にごめんなさい。」
そう言って泣きながら頭を下げた。
ブロロロロロロ
近くを一台の車が通り過ぎる。
窓越しで車の中にいる雪が遠くを見つめるかのように美咲を見つめる。
助手席にいる日和が何も言わずに雪の様子を伺う。
ブロロロロロロ
2人を乗せた車が静かに発進する。
帰り道、美咲を乗せたタクシーが家の近くのスーパーで止まり、美咲が降りてスーパーへと向かう。
カートを押して買い物をしていると果物コーナーにあったオレンジに目がいく。
美咲は衛に初めて会った日のことを思い出す。
小学校のチャイムが鳴り響く。
キーンコーンカーンコーン
教室に担任の女性の先生と1人の少女が入って来る。
先生「みんな、席について」
みんなが席につく。
先生「転校生を紹介するわね。この子は本條時美咲ちゃん、みんな仲良くしてあげてね」
みんなが美咲を見つめる。
先生「えーと、美咲ちゃんの席は…衛君の隣ね」
そう言って、美咲は衛の隣の席に座る。
衛が美咲にふと目をやるとランドセルにはオレンジのキーホルダーがついている。
給食の時間になり、自分の席で黙々と給食を食べ始める。
衛「俺、鈴木衛、はいこれやるよ」
そう言って給食のオレンジを美咲に手渡す。
衛「これ、好きなんだろ?」
美咲「ありがとう衛君」
オレンジを手にとり喜ぶ美咲。
喜ぶ美咲を見て衛は美咲に恋に落ちる。
山のように積まれたオレンジを一つ手に取ると、崩れたオレンジが一つ転がってしまう。
コロコロコロ
手を伸ばしオレンジを拾う1人の男性に目をやると、そこにはあの衛に似た男性が立っている。
美咲「あの、すみません」
そう言って頭を下げる。
宇佐美「奇遇ですね、またお会いしましたね」
そう言って宇佐美は美咲に笑顔を見せた。
宇佐美「ご夕食のご準備ですか?」
美咲「あっ、はい」
宇佐美「僕も夕ご飯を買いに、って言ってもいつもスーパーのお惣菜とかお弁当ですけどね」
宇佐美のカゴの中には値引きの付いたお惣菜やお弁当が入っている。
宇佐美「作ってくれる人がいるだなんて、旦那さんが羨ましい限りです」
その言葉に美咲は目を丸くする。
宇佐美「おっと、いけないつい長話を…それではまた」
そう言って立ち去る。
美咲「あっ、あの」
そう言って宇佐美を呼び止める。
美咲「どこかで…お会いしていませんか?ずっと前に…」
その言葉に宇佐美は首をかしげる。
宇佐美「昨日のパーティーで初めてお会いしたように思いますが…」
美咲「そうですよね、私の勘違いでした…それでは」
そう言って頭を下げた。
レジが終わり外に出ると大粒の雨が降っている。
傘を持っていない美咲はフードを被り走って帰ろうとする。
ちょうど外に出た宇佐美が傘をひろげ美咲を追いかける。
宇佐美「ちょっと待って」
そう言って立ち止まった美咲を傘に入れる。
宇佐美「良かったらこれ使ってください、僕の家すぐそこなんで」
美咲「そんな…悪いですよ…」
宇佐美「じゃあ、自宅まで送りますよ…ってゆーか送らせてください」
その言葉に美咲は困惑する。
弱まった雨の中、傘に入った2人が道沿いを歩く。
美咲「すみません、本当に、自宅まで送っていただいて」
宇佐美「そんな…謝らないでください、雨の中引き止めた僕が悪いんですから」
その言葉に美咲は罪悪感を感じる。
宇佐美「長いんですか?この町に住まわれて…」
美咲「あっ、はい…小学生の時にこの町に引っ越してきて…それからずっと…」
宇佐美「そうなんですかぁ…じゃあ本條時グループはお父様が?」
美咲「はい…父が立ち上げた会社なんです…けど私は、経営のこととか、会社のこととか…全然知らなくて…きっと父は自分の会社を誰かに継がせたかったんだと思います」
宇佐美「へぇー、じゃあ今のご主人に?」
美咲「はい…主人は、以前私の身の回りのお世話をしてくれてた人で…恥ずかしい話だけど私達仮面夫婦なの」
その言葉に宇佐美は目を丸くする。
美咲「外では仲のいい夫婦を演じているけれど、家の中では会話もなくて…一歩家の中に足を踏み入れればそこは氷のように冷えきっている冷たい夫婦なの」
立ち止まり宇佐美と美咲が見つめ合う。
ザバー
宇佐美「危ない」
一台の車が通りかかり美咲を抱き寄せる。
その瞬間美咲がびっくりする。
美咲「えっ?」
宇佐美「すみません。抱きついたりして…本当にすみません」
そう言って美咲を離す。
しばらく歩くと自宅の前に着く。
美咲「うちここなので…」
見上げるとそこは白い豪邸のようなお家で、傘をさした宇佐美が呆然と立ち尽くす。
美咲「自宅まで送っていただき本当にありがとうございました」
宇佐美「いえ、気にしないでください…それでは」
そう言って軽く頭を下げその場を後にする。
ガチャ
家の中に入ると、雪の隣で寝ていた日和が目を覚ましベッドから降りて玄関に向かう。
美咲が靴を脱いで家に上がると、玄関の近くで日和にすれ違う。
日和はわざと見せつけるかのようにはだけた白いブラウスから谷間をちらつかせる。
何も言わずすれ違った瞬間日和が強く言葉を放つ。
日和「社長と別れてもらえませんか?」
美咲「えっ?」
日和の言葉に美咲が振り向く。
日和「私、社長に抱かれました…もうこれ以上社長に関わるのやめていただけませんか?それに、社長はあなたなんかよりもずっとずっと私のことを愛しています。だから社長のことは諦めてください」
その言葉に美咲が口を開く。
美咲「残念だけど、それはできないわ…私、主人のことよりも…父が残してくれた、父が今まで築き上げてきた本條時グループが1番大事なの…だから、主人のことはあなたに差し上げるけど、本條時グループはあなたには渡せない」
日和「狂ってる」
日和がそう言い放ち家を出る。
台所に向かいコートを脱ぎ夕飯の支度を始める。
トントントン
野菜を包丁で切る音に雪が目を覚まし台所に向かう。
トントントン
野菜を切りながら頭の中は宇佐美のことでいっぱいになる。
雪「帰ってたんだ」
美咲「あっごめん、起こしちゃった?」
雪「あのさ、今日今までどこ行ってたんだよ」
美咲「どこって…夕飯の買い出しにちょっとスーパーまで…ごめんね帰り遅くなって…夕飯すぐ作るから」
ガバッ
背後から雪が美咲に抱きつく。
雪「もう2度と家に帰って来ないかと思ってた…今日何の日か覚えてる?」
美咲「覚えてるよ、忘れるわけないじゃない、今日は私の大切な人の命日だから」
その言葉に雪は腕を離してテーブルの椅子に座り悲しそうな表情を浮かべる。
雪「今日は…美咲が俺に名前をつけてくれた日だよ」
悲しそうな表情で呟く。
美咲「あっ、そうだったね、 私が雪に名前をつけた日だったね…ごめん」
雪「見えてないんだな、俺のこと」
美咲「えっ?」
雪「あれから10年も経つっていうのにいつもお前はあの男のことを想い続けてる、俺はいつになったら報われるんだよ、いつになったら俺を1人の男として見てくれるんだよ」
美咲「ごめん…急用思い出したから先食べてて」
そう言ってお皿に盛り付けたカレーを雪の前に差し出し家を飛び出す。
雪が人参にスプーンをさすとまだ煮えてない人参にスプーンがささり固い音が響き渡る。
バン
雪「くそっ」
テーブルを叩く音が静かな部屋に響き渡る。
はぁはぁはぁ
息を切らした美咲が、10年前衛を待ち続けた近くの公園にたどり着く。
ベンチに目をやるとそこには俯いた宇佐美が座っている。
ベンチのほうに向かうと美咲の存在に気がついた宇佐美が静かに口を開く。
宇佐美「帰ったんじゃなかったんですか?」
優しい表情で美咲に問いかける。
美咲「なんか…居づらくて…家飛び出してきちゃいました」
そう言って宇佐美の隣に座る。
宇佐美「ふふっ」
美咲の言葉に宇佐美が苦笑いする。
宇佐美「僕と一緒です。家に帰るといつも1人で、寂しい気分になったり、孤独に押しつぶされそうになる…僕は家族がいないからってこんな話されても困りますよね?」
そう言って苦笑いする。
美咲「わかります、その気持ち」
宇佐美「えっ?」
美咲「父が亡くなってから私もずっと1人でした…結婚して子供ができて明るい未来を想像してたけど現実はそんな上手くいくはずがなくて…主人には愛人がいるんです」
その言葉に宇佐美は驚く。
涙を流して静かに口を開く。
美咲「ほんと、自分でも何がしたいのかわからなくて、私はただ父が今まで築き上げてきた会社を守りたい一心で彼との結婚を決めたけど、彼には私とは別に愛している人がいて、夫婦でいる意味あるのかなって時々思うんです」
雪「はぁはぁはぁ」
後を追いかけた雪が美咲の存在に気がつき2人を見つめる。
美咲「あの…よかったら…また、会ってもらえませんか?」
宇佐美「えっ?」
美咲「あっ、迷惑ですよね?すみません、変なこと言って…そろそろ帰りますね…それではまた」
お辞儀をして立ち去ろうとする美咲に宇佐美が引き止める。
宇佐美「こんな僕でよければ構いませんよ、話聞いてあげることぐらいしかできないですけど」
その言葉に美咲に笑顔が戻る。
美咲「今日は本当にありがとうございました、それではまた」
そう言って宇佐美に小さく手を振る。
宇佐美もまた小さく手を振り返した。
家に戻って洗い物をはじめる美咲。
美咲は宇佐美から言われた言葉を思い出して笑顔になるのだった。
その頃雪は書斎の机に座り電話をかける。
雪「調べてもらいたい奴がいる」
パソコンの画面には美咲が消し忘れた宇佐美商事のホームページに掲載される宇佐美の写真が…