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僕は知らない世界

作者: 石山乃一

 気付けばその人は子供のころから側に居たような気がします。


 テレビを見ているとソファーの後ろに立っていて、椅子に座ってご飯を食べている時でも隣に立っていて、外で遊んでいるときでもすぐ隣に立っていました。

 しかしその顔をよくよく見ようとするといつの間にかその姿がかき消えているのです。


 子供ながらに不思議でたまりませんでした。しかしそれはそのような存在なのだろうと深く考えないまま成長していきました。

 物心ついたころからそうだったのです、父や母、兄にもこのように自分に付き添い、しかし顔を見ようとすると姿のかき消える人が側に居るものだと思っておりました。


 しかしそうではないと分かったのは小学校にあがったころですね。


 学校の帰り、私は車道の向こうで手を振る友達の元に早くいこうと車道を横断し…ええ、横断歩道は遠く道を横切りました。車は来ていないと思っていましたが、横切ろうと縁石を乗り越え走り出した時に車が来ているのにようやく気づきました。


 あの時車を運転していた男性と目が合いましてね、グレーの車で、ボンネットの広い車でしたねえ。

 あの男性の引きつって叫ばんばかりの顔は今でもはっきりと覚えています、なんせ車が普通に走っている中、私が車道に飛び出したのですからね。


 次の瞬間に私がどうなるかすぐに察知したのでしょう、友人たちもあっと叫び、私もこれは命の終わりだと覚悟しました。しかし私はランドセルをぐいと引っ張られる感覚がして引きずられるように後ろに引っぱられ、そのまま引き倒されました。


 思わず顔を上げました。


 するといつも側に居るその人が私を睨み下ろしていたのです。


 その時初めてその人の顔をハッキリと見ましが、顔より目が行ったのはその姿格好でした。昔に絵本でよく見ていた牛若丸の最後のページにある…源義経のような鎧兜の姿なのです。


 わあ、お侍さんだぁと今起きた出来事など忘れたかのように見惚れ、そのうちにその人の姿はかき消えてしまいました。


 顔も見たには見たのですが、兜で鼻から上には影が差していてろくに見えませんでした。ただ、耳の下からあごにかけて黒々とした髭が生えていて…おじさんだな、という印象でした。


 ああいえ、子供の頃の私から見て髭の生えた人は全員おじさんに見えたものです、私ももうおじさんの年齢ですけどね…。


 ああ、その後ですか?


 友人たちは私が事故に遭いそうになったのを見ましたから交通マナーを守り、近くの歩道信号が青になったら一斉に駆け寄って口々に大丈夫か、轢かれてないか、生きているかなどと口々に言ってきました。中には目の前で起きそうになった出来事を見て泣きそうな子もいましたっけ。


 なので私も皆を落ち着かせようと、

「いつも隣にいる人が助けてくれたから大丈夫だよ」

 とその鎧兜の人がかき消えた方向を指さしたんです。姿は先ほどかき消えましたが、やはり目の端にはチラチラと見えていたもので。


 しかし皆怪訝な顔をして…泣きそうな子も泣き止んでキョトンとした顔をして私を見ていました。


 一人の子が、

「いつも隣にいる人って?」

 と聞いてきます。


 私はそちらを見ずに指を向けて、

「隣のこの人」

 とさも当たり前に言いましたが…。


 皆ポカンとした表情で私を見ておりましたね。


 皆のその顔を見て、もしかしていつも隣にいる人は皆には見えないのか。だとしたら皆の隣にはこのようにいつもそばにいる人はいないのかとその時に分かりました。

 そしてその友人らのポカンとした表情の中にある、こいつは何を言っているんだと馬鹿にするような、そして理解できないことをのたまう私をわずかに恐れ心配している顔を見て、このような事はあまり人に言ってはいけないことなのだなと思いました。


 …あなたは大丈夫ですか?こんな奇妙な話を続けて…、ああ大丈夫ですか。あなたは奇特な方ですね、では遠慮なく続けさせていただきます。


 それからもその人はずっと私の隣にいました。それでもやはり顔を見ようと視線を動かすと姿は見えなくなってしまうのです。

 一度しっかりとその姿を見た時から、あまり隣にそのような人が居るというのは誰にも言わないようにしようとは思いました。しかし同時に私はその人をもっとよく見てみたいと思うようになりました。そして色々な事をしてその姿を見ようとチャレンジしてみたのです。


 鏡越しにだったらその人が良く見れるかもしれないとその人の立っている辺りが映るように鏡の前に立ち、そして隣にその人が居ると分かったらパッと顔を上げて鏡越しにその人を見ようとしました。しかしそれでもその人の姿はかき消えてしまいます。


 なので写真を撮ったらその人も一緒に写り込むんじゃないかと父のカメラを使って自分を撮影し続けましたが、フィルム全部を自分で埋めてしまっただけで、父に怒られて終わってしまいました。デジタルカメラなら無用な写真はすぐ消去できますけど、当時はフィルム現像の時代でしたからねぇ。


 …え、心霊写真のようなものは写らなかったのかと?…人の顔が写り込むとか足が消えるとか?いいえ、何も。ただ生真面目な顔の私と隣の人を写そうと一人分の隙間を空けているという同じような写真しか現像されませんでしたよ。


 他にも眼球だけ動かしたら見えるだろうか、もしかしたら声をかけたら応えてくれるのでは、その人の前に食べ物を置いたらそれを食べ、その瞬間を狙えば見えるのではと少々間抜けな事を考え試したこともありますよ。


 そうやって色々と試しましたが、その人をしっかり見るのは無理だというのが分かりました。


 なんと説明すればいいものやら…。人の目線というのがあるでしょう。その視界の端となると見えていますけどハッキリと物が見えやしないでしょう。

 その人はそんなわずかな視界の隙間のわずかな間でしか見えない人なんだと思いました。

 そして人だ人だと言っていますが、確実に人として生きているわけでもないと次第に分かっていきました。


 しかし小学六年生にもなると最高学年という事でしっかりしたお兄ちゃんにならなければとも思うものです。そんなしっかりとしないといけないのにそんな声をかけても応えず、見ようと思っても見えず、ただ隣にいるだけのその人にいつまでも興味をもっていられないと私は隣の人に興味を持つのをやめました。

 歴史の授業で源平合戦を習っていて、やはり隣の人はこの時代の鎧兜を着ているのだなと思う程度でしたね、あの頃は。


 中学高校ともなるとそのような考えがもっと成長しましてね、目の端にその人が映ろうが無視をする生活を送っていました。


 それどころか煩わしいとも思いました。そうでしょう、年頃なのですから女の子に興味を持ちます。もちろん好きな子も出来ます。好きなのですからつい見てしまうでしょう。


 子供の体から女性の体へと成長していくのも分かるものです、制服の時には分からなくても、体操着などに着替えると少し大きくなっている胸や豊かになっていく腰回りというのも分かります。だからつい見てしまっていたのですがね、それと同じ視界の中に隣の人も映るんです。


 …好きな女の子と一緒に甲冑姿の男が見えるのが嫌だったのかと…?いえ嫌…というより、子供の時分から隣にいるその人の横で好きな子をそんな目で見ていると、どこかいやらしい目で女の子を見ていると責められているような気分になったのです。

 隣の人は私がどんな行動を取っても何を言うわけでもするわけでもありませんでしたがね。


 そしてもっと煩わしいと思ったのが女の子と初デートしている時にもその人が目の端にチラチラと映ることでした。気にしなければ気にしないでもいいのですが、考えてもみてください、好きな女の子との初デートにずっと保護者同伴のような…。


 その時私は思ったのです、これから先も隣の人に見張られながら私は過ごしていかなければならないのかと。


 頭の中をそれから先の大まかな人生がざっと巡りました。仕事をする、結婚する、子供ができる…その人生の中にいつも隣にその人がいる、そして死ぬまで横にいるのも想像し、かすかにゾッといたしました。


 そしてその時に改めて思ったのです。


 この隣にいる人は何が目的でいつも自分の隣にいるのだろう?と。


 ええ、その時までそんな疑問など抱かなかったのです。ただ自分の隣にいるだけと思っておりましたので、何かしらの目的があって隣にいるのかなんて思ってもみなかったのです。


 そしてその時は高校生ですから、源平合戦の事も小学校の時よりもう少し詳しく学校で学ぶでしょう?その戦いがどれだけ悲惨な結末を迎えたかというのも学びましたし、当時はあなたの知らない世界などでちょっとしたオカルトブームでしたのでね。もしかして自分はこの隣にいる武士に呪われているのではという考えに至りました。


 …ええ、小学生の頃助けてもらっていたのですがね。その頃は隣の人が煩わしいとしか思っていなかったので、小学生の時に助けてもらった記憶が抜け落ちていたのです。もしくは死を覚悟するほどでしたから、恐怖の記憶としてどこかに押しやられていたのかもしれません。


 そして呪われているのではと思うと腹の底が冷えまして、恐怖のあまり初デートだというのにそれどころではないくらい上の空になりました。


 …ええ、その女の子とはそれきりで終わってしまいましたよ。その事も隣の人のせいと恨んでおりましたっけ、ええ、お恥ずかしいほど自分勝手な言い分で…。


 そして私は考えました。もしかしたら自分の家系のルーツは源氏で、その隣にいる人は平氏系の武士で、あまりの恨みで我が家に憑りついているのではと。


 ふふ、突飛な考えでしょう。けどその当時は呪われていると真剣に考えていて、どうにかしなければ死ぬまでずっと隣の人がそこにいて、自分が死んだ時に地獄に連れていかれると本気で思っていたのです。


 …それは西洋の悪魔ではないかと?へえ、西洋の悪魔とは人を誑かして、その人が死んだらその魂を地獄に連れて行くのですか…。へえ初めて知りました。


 ええ、そうです。当時オカルトブームだと言いましたが、お恥ずかしいことに私のオカルトに対する知識はこの程度のもので、この程度しかないのに本気で恐れて怖がっていたのです。


 いや私よりあなたの方がオカルトには詳しいとみえます、そうですね、このような話に興味を持つのですから。


 ああ続きですか?そこから私の迷走が始まりました。


 まずは自分の家系の事を調べねばならぬと、夏休みの時に父方の家と母方の家に行ってご先祖様についての話を聞きに行きました。

 どちらの祖父母共に少々面食らった顔をしていましたが、年頃になって滅多に会いに来ない孫に会えたというのと、授業の一環だろうと思ったのでしょうね、知っている限りの話をしてくれました。


 とはいえ、そのほとんどが自分の両親、祖父母…私からしてみれば曾祖父母とそのもう一つ上の両親です、その人たちの思い出話や当時の苦労話が大半なのです。


 私も最初は真面目に聞いていたのですが段々とやきもきしてきましてね、江戸末期から昭和初めの話を聞きたいのではなく、鎌倉時代の話を聞きたいので聞かせてくれと大真面目に言って笑われたものです。


 当たり前でしょう、私の祖父母が鎌倉時代の事を語れるわけがないのは当たり前です。その時それほどまで私の頭は正常な思考ができないほど切羽つまっていました。


 そしてそんなトンチンカンな事を言う私を面白がった母方の祖父が言ったのです、それならここいらの歴史資料館に問い合わせて聞いてみたらどうだと。


 なので言われるままに資料館の電話番号を調べ、電話を入れ自分の名字などを名乗り、その名字の人は源氏に居なかったかなど訪ねました。しかし返ってくるのは、たまにそうやって自分のルーツ探しとばかりに問い合わせを資料館にしてくる人がいるが、ここではそのような調査や補助は行っていないという返答でした。


 それでもまず母の地元であるその土地柄の歴史の話を電話口で聞いた限り、戦国時代にはもっぱら戦場になった所はあっても、源平合戦などの舞台になった所ではないということでした。

 父の実家なども調べてみましたが、鎌倉時代でも戦国時代でもあまり華々しい話の上がらない土地柄のようで、それなら隣の人はうちの家系を恨んで憑りついているわけではないと踏みました。


 しかし私の迷走はそこで終わらず、進学にも大きい影響を与えました。


 高校を卒業して後、私は大学に進学しました。そして歴史学…主に源平合戦の時代を中心に学ぼうとそちらを専攻しました。


 …そうです私はその時、大いに隣の人を恐れていました。なのにどうしてわざわざその人に近づくようなことをしたのかと?…怖かったからこそ近づいたとしか言えません。

 死ぬ前にこの隣の人の解明を進めなければ私は死んだあと地獄に引きずり込まれるとその当時は本気で思っていましたので…。


 ふふふ、ちょっと今馬鹿にしましたね?いいえ、笑ってください、私もその当時の事を思いだすと自分で自分が馬鹿だなぁと思えて仕方ないのです。まあそのおかげで今の私があると言っても過言ではないのですが。


 それでも当時は自分の命がかかっていると思っておりましたので、他の大学生より大いに真面目に授業にも取り組んでおりました。休みの日でも源平合戦の史料などを読み漁り、バイトをし、お金に余裕が出来たら源平合戦のあった古戦場に赴いたり、その土地の図書館などで資料を読み漁り、市史や町史、村史などを買い漁ったり…。


 …ええ、先生からはよほどの源平マニアだと思われ、学生からはちょっと一線を越えてる奴とのレッテルを貼られましたね。

 おかげさまで源平時代の専門知識は随分磨かれました。


 ええ、そのように自分の命の事で脅えている時でもその人は我関せずとばかりにすぐ隣にいました。

 その様子はお前の命は自分が握っているのだ、いつでも奪えるのだとばかりの余裕の態度にも取れて、私は余計に怖くなっておりました。


 そうしたある日、サークルの飲み会に誘われました。先輩にあまりに根を詰めすぎだと言われ、私もたまには何も考えず賑やかな人の中に居たいと二つ返事で飲み会に行きました。


 そしてその中に新入生の女の子も何人かいましてね、気づいたら近くに新入生の女の子が居たのでどこ出身なの、という当たり障りのない話をしました。


 長い髪の毛に大人しく真面目そうな女の子でしてね、その子も私の質問に簡単に返す程度の当たり障りのない会話をしてその時は終わったのですが、偶然大学内でその子と会いまして。


 当たり障りのない会話しかしていない仲ですのでね、また当たり障りのない会話をしました。これから授業なの、なんの授業なの程度のです。向こうもそれに簡単に答え、それでは、と別れようとしたら呼び止められまして。


「変な事を言うかもしれません、けど先輩の隣に誰かいる気がするんです」


 ハ、として立ち止まってその子を凝視しました。


 後ろにいる、なら何を馬鹿なと無視したかもしれません、けど隣と言われるとこの子には隣にいる人が見えているのかと思いまして、立ち去りかけた足をそちらに向けて聞き返しました。


「見えるの?」

 と。


 私は当時自分の命がかかっていると思い込んでおりましたからね、それは必死の形相で助けを求めるかの如くの表情だったのだと思います。変な事を言うかも、と前置きをした女の子ですら私の様子に言いも知れぬ恐怖を抱いた顔をしておりましたから。


 それでも自分以外に見えるという子に初めて会ったのです、ここで逃がしてなるものかとばかりに肩を掴んで、

「見えるの?どうなの」

 ともう一度強い口調で問いかけました。


 しかし大学構内で周りに人がチラホラいたとはいえ相手は大人しく真面目そうな、明らかに男慣れのしていない女の子です。

 そんな子が年上のろくに素性も分からない男に急にせめ寄られ力づくで掴みかかられたのでそれは驚いてしまったのでしょう、小さく叫び声をあげて私の手を振り払って行ってしまいました。


 一瞬追いかけようとも思いましたが、逃げられてしまってから自分がいかに女の子に恐怖を与える行動を取ってしまったかと気づき追いかけるのはやめました。周りの目もありましたし、同じサークルに入っているのだからまた会えるとのん気に考えておりました。


 しかし私のあの行動がよほど恐ろしかったとみえて、その子は知らないうちにサークルをやめてしまっていました。同じ大学内にいるのだから探そうと思えば探し出せましたが、自分を恐れてサークルをやめていったのにそれでも探し出し付きまとったらまるでストーカーではないかと思いまして、その子とは最初から会わなかったものと無理やり自分を納得させました。


 それにその子からは大いにヒントを貰っていました。


 そうです、あなたの知らない世界、そのようなモノを見える人に会いに行き、話を聞きに行けばいいのだと思ったのです。


 なので数少ない女性の知り合いにそのような霊のようなものが見える霊媒師など知らないかと勇気を振り絞って聞きました。


 ええ、今はスピチュアルブームなどで世間一般的に広まっていますが、当時はそのような事を口に出すと本気で言っているのかと男女共から鼻で笑われる始末でしたから。


 …え、スピチュアルではなく、スピ「リ」チュアル?はは、お恥ずかしい、横文字はどうにも苦手でして…。


 それでもよく当たるという霊媒師ではなく、占い師の元に訪れました。

 ええ占い師です。


 ですが私は霊媒師や占い師も同じものだろうと思っておりましたのでね。それに鼻で笑われながらも女の子たちからよく当たる占い師だからとお墨付きを得ていたので、それは期待して行ったものです。


 あの占い師は世間一般的に考えられる占い師と言える方でしたね。


 隠者のような濃い紫のローブを頭からスッポリかぶっていて、薄暗い部屋の中には外国のものらしき調度品が蝋燭の炎の光に照らされてチラチラ見えています。そしてその占い師の女性の化粧の濃いこと。まぶたは真っ青、目は黒々とギョロッとしていて大きく、唇は真っ赤。そして机の上には大きい水晶玉で、目の前に座ると化粧と香水の入り混じった匂いがプンプンしてきて…。


 ええ、誰が見ても占い師と言うような方でした。


 その占い師の方には名前と生年月日、そして自身のこれまでの生い立ちなどを聞かれ、そして何を占いたいのかということを聞かれました。なので私は食い気味に言いました。


「生まれた時から隣にいる人をどうにかしたいのです」

 と。


 占い師の方は黒目がちの瞳だけを上げて、私の隣へ右左と一瞬目を動かし、

「その隣の人は生まれた時から隣にいるのですか?」

 と聞いて来ました。


 何となくその目の動きで、もしかしてどっちに居るのか分かってないのではとチラと思いました。


 隣の人は基本的に右側に居ることが多かったので、見えているのならすぐ私の右側を見るはずではと思いました。


 が、信じる者は救われると思い込むことにして、

「生まれた時というのは言い過ぎましたが、物心ついた時からその人はずっと隣にいるのです。しかししっかりと見ようと思っても姿がかき消えて見えなくなってしまうのです、何が目的で隣にいるのか分からないので呪われて憑り殺されるのではと思うと不安なのです」

 とその占い師の女性に話しました。


 その時に、そういえば小学生の頃に車に轢かれそうな所を助けられたな、とようやく思い出しましたが、それを言って、

「良い霊ではありませんか、そのままでいなさい」

 と言われてはたまらないとその部分は話をしませんでした。


 そして「どうにかなりますか」と占い師の女性に聞きました。


 占い師の女性を真っすぐに何もかも見越しているという顔で、

「占ってみましょう」

 と水晶に手をかざしました。


 私の話を馬鹿にせず、恐れもせず、何にも動じないその態度を見て私はこの人ならどうにかしてくれるかもしれないと期待しました。

 そして水晶に手を当てジッと水晶を見ていました。私もその結果が出るのを固唾をのんで待っていました。


 そして不意に水晶から目を上げて占い師の女性は言いました。


「分かりました」


 私も思わず身を乗り出して、

「いかがでしたか」

 と聞きました。


 これでこの隣の人から解放されると喜んだのもつかの間、飛び出してきた言葉に私は落胆しました。


「これはご先祖様の祟りです」


 はぁ?と思いました。


 大学生になって、自分のルーツ探しではありませんが、私はもっと詳しく自分の先祖について調べました。


 自分の実家のお墓を管理している寺に行けば代々の先祖の名前などが書かれた戸籍のようなものがありましてね。

 母の実家の先祖は辿って戦国時代、どうやら元々農民の足軽から少し出世した人が母の家の始祖、父の実家は江戸時代の半ばくらいから始まり、代々漁師の家でした。そして共に落ち武者伝説、平家の落人伝説などの話はない土地柄であることも調べていました。


 なのでそれ以上は両親の家ともに源平時代まで辿れなかったのです。


 しかしそれだとおかしいではないですか、隣の人は思わず子供の自分が源義経を彷彿とするくらい立派な鎧兜を着ているのです。それほどの鎧兜を着ている身分の人が自分の先祖だというのならもっとしっかりとした家系図や由来が残されているはずなのです。


 それなのに何でこの隣の人が私の先祖なのだと思い、なんでそこで先祖が出てくるのですかと納得がいかず聞きました。


 占い師の女性は続けます。


「隣にいる人というのは供養がしっかりと行われずそのままになっている人です。その人がどうして供養をしてくれないと私を通じて訴えています。大変怒っていらっしゃいます、早くになんとかしなければなりません…私ならそれをどうにかできます」


 それでも納得のいかない私は更に聞きました。それなら私の隣にいるその先祖というのは何時代ぐらいの先祖ですかと。


 そうしたら、

「江戸時代の…」


 信じる者は救われるという考えはそこで改めざるを得ませんでした。


 その言葉だけで十分にこの人はなにも分かってない人だと分かりました。


 私の隣にいる人は源平時代の鎧を身にまとっているのです、それでも一応念のためと…いえ、カマをかけてやろう、この偽占い師の鼻を暴いてやろうという悪い心が湧き上がってまいりまして、食い気味に続けました。


「女性ですね?」


 すると占い師の女性は、ええ、と返してきました。

 占いの女性は自分ならどうにかできる、お金を十万ほど用意していただけるならと繰り返しましたが、私はいいえ大丈夫です、と断り、占い代として一万円を渡しました。


 自分の指先から離れる一万円をみたら、なんでこんなインチキに一万円も渡さなければならないのだ、それも余分に十万も金を取ろうとして、このように他の人からも金を取っているのかと思うとはらわたが煮えくり返ってきまして、去り際に言ってやりました。


「言っておきますが私の隣にいる人というのは源平時代の鎧を身にまとった男です。あなたは実に何も分かっていないインチキ占い師だ、詐欺師だ」

 と。


 …え、占い師ですか?驚いた顔をしていましたね。

 すぐに部屋から立ち去ったのでそれ以上は何もありませんでした。警察に訴えようかともチラと考えましたが、その占い師の言っていることが嘘か本当かなんて分かるわけがないんです。ですのでそのあと占い師がどうなったかも分かりません。


 そのような事もあったので占い師というのはインチキが多いと関わるのをやめました。


 そうして大学生から院生になり、次第に鎌倉時代の事について詳しいので専門家の道へと歩みを進めていきました。…ええ、大学の講師への道です。


 ああ、これでも今は大学教授なんですよ、いえいえ、大したことありません、そりゃここまで来るのに険しい道のりでしたが、それでも最初は隣の人をどうにかするためでした。自分の命がかかっているのだからもっと知識を増やさなければとこの道に進んだのです。


 それでも二十代を過ぎ三十路を越えたあたりになるとわずかながらに冷静にもなりました。

 恨んでいて殺したいと思っているのなら、こんな三十を超える前にとっくに私は死んでいたのではないだろうかと。


 それに小学生の時車に轢かれそうになったあの時、後ろに引っ張らずそのままにしていれば私は死んでいたでしょう。そう思うと別に隣の人は私を殺そうとしているわけではないのではと思い始めました。


 なのでわざと車に轢かれそうな状況に陥ったらまた隣の人は私を助けるのでは…と思いましたが、そんな自殺志望のようなことをわざわざやる気にもならず大学講師の役割を全うしておりました。


 その頃です、今の妻になる人に会いました。


 当時学生だったのですがなぜか妙に慕ってくれましてね、しかし私は講師でしょう?なんでこんなに若くて明るくて可愛い子がこんな年齢の一回り離れたパッとしない私を?と思いましたね。

 そりゃあ慕われると悪い気分ではありませんでしたが、立場上お付き合いするのはまずいですから付き合いましょう、デートしましょうと言われてもその度に断っておりました。


 今だから言えますが、断っていても私も妻に惹かれていたのは事実ですので卒業するまで、卒業したらと思っておりました。でもその間に他の若い学生に目移りするのではと内心ヒヤヒヤした毎日を送っておりましたよ。


 そんなある夕方、当時まだ学生だった妻はさようならと挨拶を交わして足早に走って行きました。


 長期休暇に入る時期でしたのでね。妻は電車と夜行バスを乗り継いで実家に帰る、五限が終わったらダッシュで帰らないと電車に間に合わない、と話しておりましたので、私はその後ろ姿を見送っていました。


 すると、

「止めろ」

 と野太い厳しい声が聞こえました。


 え、と声のする右を見ると、例の隣の人が真っすぐに私を見てもう一度言うのです、

「止めろ」

 と。


 私はあまり背も高くないのですが、その人もそこまで背の高い人ではなく、わずかばかりに私がその人を見下ろす形でした。


 相変わらず兜でその人の目の辺りは影になっていてよく見えません。子供の頃にはおじさんだな、と思っていたのですが三十を超えてその人の顔を見て、もしかして今の私と同じくらいの年齢なのではと思えました。


 そうしているうちにその姿はかき消えました。


 止めろと言われて何をと思い顔を巡らせると、向こうに妻が走っている姿が見えています。

 もしかして妻を止めろという意味かと思いましたが、そんな実家に帰るための電車に間に合わないと焦っている人を引き留めるのは…と躊躇しておりますと、

「止めろ!」

 と雷を落とされるがごとく耳元で怒鳴られました。


 三度も聞こえ、それも怒鳴られたのですから私もひゃっ、と走り出して妻の名前を大声で呼んで必死に追いかけました。

 妻も私がヒィヒィ走って追いかけているのに気づき立ち止まり、何ですか、と聞いて来ましたが、明らかに迷惑そうです。


 迷惑だと分かっていても止めろと怒鳴られたのですから私もどうにか止めなくてはと思い、授業内容の事について話し出しました。


 妻は「それは今話さないといけないことか」とばかりに鬱陶しそうな顔をし立ち去ろうとしますが、私は必死に引き止めます。最終的にどうしようも無くなって、

「良かったら甘いものでも食べにいきませんか」

 と言うと妻はやや表情を変えて、

「デートですか」

 といいます。


 講師と生徒という間柄その言葉はまずいと思いつつ、どうにか引き止めなくてはという気持ちが打ち勝って、

「そうです」

 と言うとコロッと鬱陶しそうな顔から嬉しそうな顔に変わって、それなら帰るのは明日でもいいとそのまま甘いものを食べに行きました。


 正直その嬉しそうな顔を見て何て私は幸せ者なんだ、こんなに可愛い子に好かれているなんてと思いました…ああすいません、のろけてしまって。


 そして妻の乗ろうとしていたその夜行バスなのですが…途中の山道で豪雨に遭ったそうで、山からの大水に巻き込まれて崖の下へと落ちたそうなのです。死人や重傷者もでる大惨事だったそうで…。


 あの時私に引き止められていなかったらどうなっていた事かと今でも妻は思い出すたびに口に出していますね。


 ええそうです。妻は私に助けられたと思っていますが、妻は私の隣の人に助けられたのです。


 それがあって、私はこの隣の人は私を殺そうとしているのではない、助けようとしているんだと改めて分かりました。

 そうなると今まで散々鬱陶しいと思い、自分を呪っているのでは、殺そうとしているのではと思い続けていたことが申し訳なく思いました。


 私が青春時代のころからずっと隣の人を不必要と思っていたのが通じていたのかは分かりません。

 それでも命の危険が迫った時に助けてくれたというので百八十度考えを改め、隣の人は感謝と尊敬の対象になりました。


 あまりに自分勝手だなと今でも恥ずかしく思います、それまで散々引き離そうとしておいて、一度良い目にあったとなればもてはやすのですから。


 そして何となく私は妻と結婚するのだろうと思いました。


 …どうして?いえね、妻はその当時まだ学生で、お互いに好意は持っていても付き合ってもいない、言わばほぼ他人だったのです。それなのに隣の人が助けたということは、これから先の人生に妻がいるのかなと思いまして。


 …ええ、その予感は当たりました。結婚して、今でも仲良く笑い合っていますよ。昨日も私の好きなぶり大根を作ってくれましてこれがまた美味しいのなんの…ああ、すいません、またのろけてしまって。


 それ以来、目の端にその人が映るようになっても過剰に気にすることはなくなりました。この人は私と、私に深く関わる人を守ってくれているだけと思うようになりました。


 ああそうそう、娘が産まれてハイハイできるようになって、妻が台所で料理をして私が新聞を読んでいたときですね。


「おい」

 と隣の人から声をかけられたのです。


 その人を見ると真っすぐに娘がハイハイしていた所を指さし、かき消えます。


 その指の先へと視線を向けると、先ほど私が娘相手に遊んでその辺に置いていた指人形を口の奥へと入れている最中の娘がいまして、叫びながら娘に掴みかかって口の中から指人形を取り出しましたっけ。


 あまりの私の剣幕に娘は泣く、妻は自分が台所に立って料理している時ぐらい新聞じゃなくて子供をみていてもらわないと困る、子供が何でも口に入れるのだからとりあえずとばかりに床に物を置くなと激怒し、その母の剣幕に娘が更に泣くという大変な騒ぎになりましたが…しかし喉に詰まるのを防いでくれたことに感謝しました。


 もうここまでくると隣の人に感謝の心しか湧かなくなっていましたね。


 四十もすぎたころになってもその人は隣に居ます。

 そして次第にこの人はどうしてここまで我々を助けてくれるのだろうと思うようになりました。


 若いときの頃のように命の危険を感じて敵の事を知らなければという気持ちではなく、私は純粋に隣のこの人の事をもっと知りたいと思うようになりました。

 しかし源平には詳しくなりいくつか源平に関する本に関われる身分にもなりましたが、隣の人に関する情報は全くありませんでした。


 それまでに何度かその人の姿を見ましたが、その鎧もその当時の中でも随分立派なものなので身分の高い方なのだろうということぐらいしか分かりません。家紋などが分かればと思いますが、じっくり見られないので分かりません。


 もしかしたら心の中で問いかけたら応えてくれるのではという子供時に考えたようなことが頭に浮かび毎日語り掛けていましたが、返事は一度ももらえませんでした。


 そんなある日です、子供絡みで妻と私の共通の友人がいましてね。ちょうど私も休みで家にいる時に遊びに来ました。


 女性なのですが男の私からしてもサバサバしていて付き合いやすい方でしてね。

 それでもどちらかというと仲がいいのは妻の方ですし、女同士だけで話したいことがあるだろうと私は自分の部屋に引っ込もうとしました。


 すると妻もその友人の方も、せっかくなんだから一緒にと誘ってくださって、最初はいいよいいよ、と断っていたのですが、あまり強く断ると感じが悪いだろうと思いご相伴させていただきました。


 それでも話題といえば母親同士、女同士の会話というのが主でして、父で男でという私は中々話に参加できずにただ話を聞いて頷いて、というのを繰り返しておりました。これなら私が居ない方がもっと好き勝手に話せたのではと少々居心地の悪さを感じ始めた時、妻はトイレに立ち上がりました。


 妻がドアを閉め足音が遠くなった時、その友人が私に目を向けて言うのです。


「前々から思ってたけど隣にいるお方、格好いいですよね」

 と。


 私は目を見開き、その友人を見て聞きました。

「見えるの?」

 と。

 その友人の目線は明らかに私の右…いつも私が見えているそちらへと向けられています。あのインチキ占い師のように右に左にと動いていません。


 それもあっけらかんと笑いながら言うのです、

「最初に見た時から隣の人格好いいなぁと思ってて。五月人形みたいな立派な鎧着てて、精悍な顔つきの男性ですよね。老けて見えるけど三十代くらいかな、あれだ、命かけて戦うからその分顔つきと雰囲気がしっかりしすぎてるんだ、現代人みたくぽやんとした雰囲気が少しもないですもん」


 ああこの人は本当に見えていると思い、身を乗り出して食いつくように聞きました。


「隣の人は何者なのですか?なぜ私たちをこんなにも守ってくださっているのですか?」

 と。


 友人は一瞬黙り込み、

「お礼だと言ってます」


 隣の人の言葉を人を介してでも聞いたのはその時が初めてです。そのお礼とは何なのか…と聞こうとしたら妻が戻って来まして、母親女性の話題に戻ってしまいました。


 もっと隣の人について聞きたいと思いましたが、隣の人のことを妻に話したことが無いのでそのようなオカルト話を大真面目に聞くのは気が引きますし、後で聞こうにも一応私は男で相手は女性ですからね。いくら友人だからって妻にバレないようにコソコソと電話なり会うなりしていたら妙な誤解を受けてしまうと悩みました。


 だから帰る前にどうしてももう一度そのような話をしたいと機を狙っていましたが、結局その日はそのような話題を振るに至らず、時間だからとその友人は帰ってしまいました。

 それでもサークルの女の子のように逃げるわけでもなく妻との共通の友人なのですからまた遊びにくるだろう、その時にまた聞けばいいと思っていました。

 ええ、神経質な所はかなり神経質なんですが、結構私はのん気なんです。


 その夜のことでしたか。私は夢を見ました。


 周りは全体的に日の暮れた辺りでしょう。私は地べたの上に敷かれたゴザに座っておりました。


 周りは見た目にも上等とはいえない、明らかな掘っ立て小屋のような家で、目の前には囲炉裏があり、五徳の上に鍋が置かれています。


 …五徳とはなにかと?五徳とは囲炉裏の火の上に設置して、その上に鍋や薬缶などを乗せるための道具です。ちなみに丑の刻まいりの時にはこれをひっくり返して頭に被って五徳の足に蝋燭を…ああ、話がそれましたね。


 汁の多い鍋の中には野菜や米…なのか分かりませんが穀物のようなものが一緒に煮られています。


 私はそれを早く食べたいと待ち望んで目の前で鍋をかき回している粗末な身なりの女の人を見ます。静かそうな、それでも愛情深い目で私を見て微笑んでいます。


 夢の中でその女の人は母という設定で、私は小さい子供になっていました。横を見ると父という設定の男の人がむっつりと押し黙っています。

 一見怖そうに見える人なのですがね、ただ口下手なだけというのが伝わる素朴そうな人でした。


 …夢とは不思議ですよね。誰が何を言うわけでもないのに、見た事もない人を夢の中でこの人は父、この人は母、と役割がすぐ分かるのですから。


 それも私は小さいその子と一体化して同じ目線から鍋や両親を見ているかと思えば、その子供のすぐ隣に座って子供である自分を横から見ている…と視点がたまに動きます。それでも私とその子供は同一人物であるという設定なのです。


 そうしているうちに音が聞こえてきました。ガシャガシャという聞きなれない音です。


 その音が聞こえて来たら両親の顔がピクリと動いてその音に耳を傍立てていました。もちろん私も家の中から音の聞こえる方向へ顔を動かします。

 その音はどんどんと家に近づき、その音が近づくたびに家の中の緊張感が高まりました。


 そして家の入口前で音が止まると粗末な壁を叩かれ、「もうし」と男の声が聞こえました。


 母は鍋をかき回す手を止め、不安そうな顔を父に目を向けます。父は表情を強ばらせていかにも嫌な予感がするという顔つきで立ち上がり、ドア…ではなく、入口に下げられていたムシロを上げました。


 囲炉裏の明かりで照らされた外の男の人を見て私はあっと思いました。


 いつも目の端にとらえていて、三度しか姿を見た事がない隣の人がそこに立っているのです。


 しかしその姿は何度か見たあの立派な姿ではありませんでした。


 兜はなく髪もざんばら、額から血が流れたのかきつく布で縛って血を止めていますが、黒っぽくなった血が生々しく布に、顔にこびりついて乾いています。

 それにあの立派な鎧も土と血にまみれ、明らかに満身創痍だというのが分かる有様でした。外にいるその人は疲れなのか、ふぅふぅ息を軽く切らしてそこに立っていました。


 夢というのは不思議なもので、それまでの夢の中の出来事があらすじのように脳裏に流れてくるものでしょう。他の方はどうなのか知りませんが、私はそうなのです。


 そのあらすじによると私の住む村ではその地を治めるお偉いさんから平家の者はかくまうなと連絡を受けていたという設定のようでした。そしてこの家へ来るまでもちらほらと家はあったはず、それでもここまで来たということは行く先々の家で断られてきたのだろうと。


 この人はやはり平家の人なのだ、落人だったのだと思って私はいつも隣にいるその人を見ておりました。


 しかし私はその人の顔を見て思わず吸い込まれるような感覚がしました。


 血と泥にまみれ、息を切らしているという満身創痍の姿であってもその目も顔も、まだ自分は負けてはいない、生きている、死んでなるものかとばかりの生に対する強い気迫がにじみ出ているのです。


 なんて強い人だろうと、子供の私も、私自身も一瞬でその人に憧れと尊敬の念を抱きました。


「飯をいただきたい」


 いつも隣にいるその人はあの野太い声で、しかしあまり威圧的にならないようにと配慮しているようなトーンで告げました。


 父も母も途端に渋い感情になったのを感じました。


 母などは出来かけた鍋を見て、本当はあげられるほどに出来上がったのだけれどそれは出来ないとばかりに気まずそうな顔になって身を強ばらせ鍋から目を逸らしました。

 父も本来は良い性格であるのでしょう。すぐに断ることもできず、なんとも気まずそうにもごもごと手足を動かしています。


 子供と私は同じ気持ちで、子供の私は言いました。

「いっしょに食べよう」

 と。


 途端に父も母もギョッとした顔で私へ視線を向けました。しかしいつも隣にいるその人は私の言葉では中に入ってきてくれません。


 なのでなおも、

「いっしょに食べよう、もう食べられるよ」

 と促しましたが、その人は子供の言う事だからと黙って入口に立ったままです。


 普通、それほど疲弊してそこまで言われたら中に入ってくるものでしょう。しかしその人は自身の立場をわきまえた方で、あくまでも自分を迎え入れるかどうかは子ではなく父の判断とばかりに入口に立っています。


 その姿に私はもっと憧れを強く抱きました。ここまで立派な心持ちの人を追い返してはいけないと思いました。


「いっしょに食べよう」

 立ち上がって近づこうとする私に、

「これ」

 と私は母にたしなめられ、父も慌てたように、

「わけてやるわけにはいかん、分かっとくれ」

 と素っ気なくいいました。


 その様子を見たその人は、ただ黙って頭を一つ下げ、鎧の音を響かせながら歩いていきました。


 去っていくその人を見送った父も母も、なんとも罪悪感に打ちのめされた顔つきで押し黙ってしまいました。


 私は…子供と一緒になって癇癪を起さんばかりに怒りました。


 そんな顔をするのなら普通に迎え入れて一緒にご飯を食べればよかったではないかと。なんでそんな簡単なことができないんだと。

 それでも両親にそれを言ってもどうにもならないというのも子供心にうっすらと分かっていました。ただ強い憧れを抱いた人に何もできない自分がとても悔しく、泣きたくなりました。


 そんなぐずついている私に母が、

「ほらお上がり」

 と器に汁を入れて渡してくれました。


 私はそれを食べようとして、先ほどの人が頭によぎりました。

 そして立ち上がって、

「トイレ」

 と家から器を持って出ました。


 …そりゃそうです、当時はトイレなんて言葉ありません。けど夢の中で普通にトイレと言っても通じていたのです。夢とはなんともご都合主義ですね。


 そして器を持った私は先ほどあの人が立ち去って行った方向へと走りました。そうしているうちに鎧の音が聞こえ、その音を頼りに近づいて行ってその人の元へとたどり着きました。


「お侍さん」

 私が声を変えるとその人は振り向きました。暗いし月も出ておらずあまりにも真っ暗で、お互い闇に溶け込んでいると思える程でした。


 そして私はどうぞと器を渡しました。


 その人は少し戸惑った様子を見せましたが、

「渡してこいと言われたか」

 と言いました。


 私はいつも隣にいるその人と会話ができるのが嬉しくて…子供の私は憧れたお侍さんと話せるのが嬉しいという気持ちでしたが、ううん、と頭を横にふり、

「食べてもらいたくて」

 となおも器を高く掲げてその人に差し出しました。


 その人はかすかに自嘲的な笑い声を立て、

「かような幼子にすら身の上を憐れられるとは」

 と小さい声で呟きました。


 なんとなく自分の行動で目の前の人は男として、侍としてのプライドが傷ついていると察した私は、

「違う」

 と首を横に大きく振ります。


「私があなたの立場だったらこうしてもらうと嬉しいからしているのです」

 と言うとその人はやや動きを止め、そしてかすかに下をうつむき泣いているような鼻をすする音を出してその器を受け取りました。そして音を立てて汁を大事そうに全て飲み干し、器を私に返します。


「今までで一番の飯だ、有難い、感謝する」

 良かった、喜んでもらえたと私は嬉しく思って器を受け取ります。


「この礼はいずれ必ず」


 その人は私の頭を一つ撫で、そのまま立ち去っていきました。その一撫での力強かったこと、撫でられたあと頭が擦り切れたのではと思うほどでした。


 そして空になった器を持って家に戻りました。


 父も母も何も言いませんでした。ただ最初のように黙って母は鍋をかきまぜ、父もむっつりと押し黙っていました。


 二人とも何をしに私が外に行ったのか分かっていたことでしょう、しかし二人は何も言いませんでした。しかし心なしか罪悪感は消え失せ、表情は柔らかくなっているように見えました。


 その両親の顔を見て、私のしたことは間違いではないと感じました。


 すると場面が変わり、昼になっています。居場所も家の中ではなく外で、私は木の棒を持って地面に他愛のない落書きをしておりました。

 するとその落書きをしている端に立派な具足をつけた足が見えたので顔を上げました。


 そこにはあのお侍さんが立派な鎧兜に立派な刀を腰に()いた姿で立っているのです。


 …ああ、源平時代というのは腰に刀を「差す」のではなく「()く」と表現するのですよ。


 子供の私はその立派な姿を見て嬉しくなって立ち上がり、勝ったのですかと聞きました。しかし子供の背後に立っている私はそんな事はないと理解していました。

 その人もどこか寂し気に微笑み軽く首を横に振りました。


 私は胸が潰れそうな心持でその人を見ていると、私は子供の目線からその人を見上げていました。その人はしゃがみ、子供の私と目線を合わせました。

 それはなんと力強く優しい目をした人でした。


 そして言うのです。


「礼をいずれと言うたが、私は死んでしまった。あの時の飯、大層嬉しかった。命がけで戦い、このような満身創痍の者にすら追い返すこの世の中を呪っていたらお前は共に飯を食おうといい、飯を分け与えてくれた。あのおかげで世の中を呪わず正しい心で最期まで生き抜くことができた。そしてあの飯の礼はしかと返さねばならぬと思うて魂となりここまで来た。これから先に難のある時は、私がその命助けてやろう」


 そう言うとその人の姿はかき消えました。


 私はまるで白昼夢を見ているような心地で天気のいい、山間の中の畑を見渡しておりました。


 そこで私は目が覚めました。

 あまりにもリアル過ぎて目が覚めた時私はどこにいると混乱したほどです。それほどまでに私は夢の中で子供とシンクロしていました。


 そして起きた私の目の端にはその人が居ます。


「もしかして今のは昔のあなたと私ですか」

 隣の布団で寝ている妻に配慮して小さい声で聞いてみました。返事が返ってくるわけがありません。それでも何となくそうなのだろうと思いました。


 そしてそんな源平の時代から一杯の飯でこの人はずっと私を守っていてくれていたのかと、もしかして源平の時代から現代になるまで何度生まれ変わろうともその度の人生を守り続けていたのではと思うと嬉しいような、申し訳ないような気持になりました。


 言っておきますが生まれ変わりだの前世だの、心から信じているわけではありません。


 それでもこれだけはそうなのだと信じたい気持ちになり言いました。

「守ってくださるのはこの今の人生までで結構です」


 私はそう言って続けました。

「仮に生まれ変わりというのがあって来世というものがあるのなら、お互いに良き友人となって肩を並べて過ごしませんか。一方的に守られるのではなく、私はあなたともっと話したいのです」


 そう言いながらそちらに顔を向けました。


 すると予想外にその姿がハッキリと目の前に映っていて、その人はどこか、分かった、とでも言いたげに笑うとその姿が消えました。


 ああ、これは来世が楽しみだと私は思いましたね。


 * * *


「や、長々と珍妙な自分語りをしまして」

 品の良さそうな眼鏡の男性が少し気恥ずかしそうに頭を下げる。


「ああいえいえ全然。とても楽しい話を聞かせていただいて」


 居酒屋で偶然隣になり、普段はカウンターなどで隣に人が居ても声をかけるなどということは一切やらない自分であるが、隣に座った小柄で妙に品のいい男性があまりにも場違いに見えて気になって声をかけてしまった。


 そしてお互い他愛ない話をしながら酒を飲んでいるうちに次第に話が弾み、そうしたらこの品のいい男性は隣にいるという源平時代の鎧を着た男の話をし始めたのだ。


 真面目そうに見えるが大いに妄想の世界を生きているヤバい人なのかもしれないと初め思ったが、その語り口と表情には話を誇大するようなものは一切入っておらず、淡々と話される話にずぶずぶとのめり込んで話を聞いてしまっていた。


「…ああ、娘がそろそろ駅にたどり着く時間です。行かなければ」


 大学で源平の事を専攻に教えているというこの大学教授は夜遅くにこちらにたどり着く娘を心配して歩いて迎えに来たらしいが、どうやら時間が余り過ぎたせいで何か軽くつまもうかとこの居酒屋に入って来たらしい。


「ついお酒も飲んでしまって…娘にお酒を飲む口実で迎えに来たのかと怒られそうですね」

 大学教授はそう言うと立ち上がり照れくさそうに頭をかき、お勘定をお願いいたします、と店員に言いながらカウンターの椅子を元に戻す。


「あの」


 僕は大学教授に声をかけると、はい、と大学教授は振り向いた。


 僕は今一番気になることを質問した。


「僕とこうやって話している時にもその人は隣にいたんですか?」


 大学教授はニッコリ笑うと右の方へ軽く手を動かした。

「いましたよ、ずっとここに」


 さも当然とばかりの顔と声で大学教授はそう言うと、

「では失礼します。お話できて楽しかったですよ」

 と言うと勘定を済ませ、店の賑やかさを背にガラガラと引き戸を開けて暖簾をくぐり、扉を閉めた。


 賑やかな笑い声響く店内でおひとり様になった僕はお酒に目を落とし、ちびりと口に入れる。


 自分だってそんなにそんなオカルト的な話など信じていない。


 しかしああまで同然とばかりに「いましたよ、ずっとここに」と言われると、本当に世の中にはそのような事があるのかと思えてしまうのだから不思議だ。


 まさにあなたの知らない世界。そして大学教授は知っているけど僕は知らない世界。


 ドッと笑い声が後ろのサラリーマングループから起き、僕はぼんやりとお酒を見つめているのに気づいて我に返った。


「いやはや…いい世界をのぞかせていただきました」

 もう立ち去ってしまっている大学教授に僕は軽くお酒を傾けて飲み干した。

友人がそんなのが見える人で、実家に三人の何かが居るらしくて、学生として実家から県外に離れる時そのうちの一人が付いてきて「くれた」の、と言っているのを聞いて、怖がるでもなく感謝の心なんだなぁと思った。いい付き合いだなぁと思った。

そしてその友人のアパートで一泊し、後日そんな話を思い出して、

「私が泊ったときもその人いたの?」

と聞いたら当たり前のように「うん、いたよ」と返されて、そうかぁ居たのかぁ全然分からんかったなぁどこにいたんだよぉ見たかったなぁ、と思った。

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