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#07『嘘つきは恋人契約の始まり/6』

 というわけで、僕とあざみによる二人だけの文藝部(文芸部ではなく、文藝部。これを間違えたら強制退部させられるらしい)生活は幕を開けた。

 あざみは、相変わらず教室には姿を見せないが、部室に行くと常に本を読んでいた。

 活動時間になると部室の前に列ができている。あざみの相談コーナーは、連日大盛況らしい。生徒はもちろんのこと、教師陣までもが相談に来ることがある。一日十数件、多い時は二十件の依頼をこなす。もちろん僕も、部員兼助手として以来の手伝いをすることになった。半強制的に。文藝部とは、って感じだがこれはこれで悪くない。

 表面上の彼女は、誰にも嫌われる要素がないように思われた。むしろ、誰からも好かれるように理詰めされ尽くしている。誰にどう対応すれば好かれるかを熟知しているように思えた。

 だからこそ、彼女の建前は分厚い壁のように僕を遮断する。そんなにまで壁を作って、何を隠そうとしているのか。単純に、彼女の本音が気になって仕方がなかった。

 だから、僕は彼女に不意打ちをかまそうと思う。

 やることは単純だ。後は、プランを実行に移すタイミングを見計らうだけ。

 待っていろよ、鐘来あざみ。

 今日も今日とて、僕は文藝部室の扉を開く。


「明日は、とうとう文化祭ですね」

「そういえば、もうそんな季節なんだね……、よし、部誌の製本、おしまい」

 文藝部は毎年一冊だけ部誌を制作しているらしい。部員の書いた短編を載せた合同誌の形式をとっているとのこと。

 不登校で引きこもっていた期間は、家に居ても特にやることがなかったので、小説を書くことがあった。

 ゲームはすぐに飽きてしまったし、絵は猫を書こうとしたら犬になるどころか象になるくらいには下手だったので、結局行き着いた先は小説だった。

 だから、小説を書くことは苦ではなかった。一万字以内の短編だったら三時間くらいで書けるので容易い。

「そういえば、オキナ君の作品、読ませてもらいました。君の文章、結構好きです」

 僕はどういう反応をすればいいか困った。僕は、引きこもってから数か月、割と頻繁に小説を書いていたし、せっかくだから公募やウェブ掲載もしたことがあった。顔の見えない相手から評価されることは何回かあったし、その都度嬉しいと感じた。

 だけど、こうやって目の前にいる人間から評価されたことは一度もない。

 だから、気恥ずかしい、というか。

「動揺していますね、オキナ君」

「…………今回は、何も言い返せない。図星だよ」

 彼女と目を合わせるのが難しかった。目線の焦点が定まらない。感情が高鳴っている。こんな些細な承認欲求を満たされただけで気を動転させるな、みっともない。

 ――僕は、建前で人と壁を作って生きていこうと思っているのに。承認っていう砂糖菓子の銃弾で砕かれる脆い壁を建てた憶えはない。

「ああ、もう恥ずかしいな」

「不意打ち、大成功ですね」

「ああ、そうだね。まったくだよ」

 僕の作った壁をあまり壊そうとしないでくれよ。僕は内心で嘆いていた。

 もう、古傷を再び抉り返すようなことはしたくなかったから。

「作業終わったし、もう帰るね。明日、頑張ろう」

 僕は、それだけを残して部室から飛び出した。

 直後、部室棟の階段を急いで駆け下りていく音が耳に入った。

 だけどもう、そこには誰もいなかった。

 僕が文藝部に入り浸るようになってからの話だが、近ごろ正体不明の気配を近くに感じている。

 被害妄想だったらそれで事なきを得るのだが、気配は日に日に近づいている。

 今も、僕が部室を飛び出した瞬間、階段を駆け下りていく音がしたくらいだ。

 自分の存在を隠すとしたら、もっと足音立てずに去るのが正解なんだろうけど。

 気配の正体は、一体何を考えているのだろう。

 やはりベストは、僕の被害妄想で完結していることだけど。


 校門に向かったら、後ろからツマシロに呼び止められた。

 部活帰りとのことで、途中まで僕らは一緒に帰ることになった。

「そういえば、お前――文藝部に入ったんだってな」

「その話題、すごい今更じゃない?」

「だって、知ったの数日前だしな。どうしてもっと、早く言わなかったんだよ」

 ――単純明快。彼にそのことを言ったら、いの一番に「そんな部活やめろ」って言われるのを分かっていたからだ。

 彼は、鐘来あざみを目の敵にしている。その理由までは深入りしたことがないが、ともかく毛嫌いしているのだ。

「だから、鐘来あざみに近付くのはやめておけ」

「……彼女、別に嫌われているような印象はないけどね」

「それは彼女の猫被りが巧いからだ」

「それに、あの子、見ている分にはなかなか面白い子だと思うんだけどね」

「まさか、気があるとかじゃないよな?」

「それとはちょっと違うね。単純に、あの猫被りの内側が見たいだけ」

「――あまり詮索するのは止めておけ。鐘来あざみは“神”だからな」

 神。それはどういう意味か。絶対不可侵の存在か。天災の意か。それとも、この世界を俯瞰する身、という意味か。崇拝されるべきものということかもしれない。

「学校内での悪い噂の一つに、鐘来あざみの狂信者を名乗る人間が暗躍しているというものがある。――鐘来あざみの命令は、絶対だ」

 僕は、話半分に頷いた。



 ※   ※   ※   ※   ※



 ――話を冒頭に戻そうと思う。

 文化祭は、二日間の日程を終え無事終了した。

 体育館から聞こえる後夜祭の喧騒をバックに、文藝部のブースを片付けていた。

 部誌は刷った冊数分配り終えることができた。無料配布だったからかもしれない。

 ともあれ、これでひと段落。

 と同時に。

 僕は偶然にも不意打ちのタイミングを見つけてしまった。

 ――日が暮れた頃の教室には、藍色の哀愁漂う空気が充満している。

 僕は。

「――付き合ってくれないかな?」

 鐘来あざみに告白をした、建前だらけで愛情を繕って。

 柔い、秋の終わりの風がカーテンをほどいた。


「後悔しても、知りませんよ?」

「後悔覚悟で臨んでいるよ。それくらい、君には興味がある」

 僕は果たして、言葉の重みとやらを感じているのだろうか。

 後悔の重みを真に理解しているとしたら、きっと彼女の内側に触れないのが正解なのだろう。

 僕の興味は、果たして建前の感情の理詰めされた戦略で済んでいるのか。

 彼女の本性曝け出す、という命題に向けた戦略だけで済んでいるのか。

 僕の、はりぼての決意を聞いた彼女は、腹を抱えてうずくまった。

 身体は小刻みに震えている。何事か、と覗いてみたが、直後。

「あは、ははは! あー面白い!! 貴方のような人間は初めてです!」

 彼女は、抱腹絶倒していた。一体何が面白いのだろう。

 そんなにおかしいこと言ったか、僕。

 しばらくして、笑いが収まったあざみは、僕の方に近付いた。

 そのまま僕の胸に飛び込んだ。とっさに受け止める。

 見上げた彼女の視線が覗いている。その瞳は、澄んだ紅だった。

「――二言はないよ、同類項君」

 彼女は、普段見せることのない艶やかな微笑を浮かべた。

 ああ、やはり彼女は悪魔だ――と気付いた時にはもう、何もかもが遅かったのかもしれない。

 これから通る道が、修羅の道だったとしても、建前だらけの僕は、盾の堅さを過信して突っ走ってしまうのだろう。

 だけど、それでも構わないと思った。

 もう、人間を好きになることは懲り懲りだ。彼女の本性を暴き出せたら、彼女の前から姿を消してしまえばいい。

 最初から、そのつもりだが。彼女にできるだけ接近して、用済みになったら捨ててしまえばいい。要らないものを簡単に手放すために僕の建前は存在するのだから。

「――ああ、二言はないとも」

 僕は、笑った顔のマスクを被った。

 過ぎ去りし悲劇、という呪いがマスクと素顔を縫いとめているから。

 僕は、僕を演じ続けることができる。


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