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#05『嘘つきは恋人契約の始まり/4』

 転校してきた高校には、各学年の教室と職員室がある『教室棟』、それに向かい合うようにして建っている、科目別の職員室や実験室などが含まれる『講義棟』がる。

 それらがおおもとの建物、通称『校舎』である。

 そして、三つのグラウンドと二つの体育館がある。

 文藝部の部室は、後者の北側に位置する北グラウンドと、西側に位置する西グラウンドに挟まれた、『部室棟』の中にあった。

 部室棟とは、各部活の部室だけを集めた建物で、その最上階、三階の一番端に文藝部室は位置していた。

 顧問が泡吹いて気絶してしまったせいで、わざわざ事務室で場所を教えてもらわねばならなかったわけだ。

 道案内のついでに、事務職員からこの学校の部活について、様々な情報を取り入れられたので結果オーライだけど。

 向こう側も、僕が転校性であることを伝えたら懇切丁寧に話に付き合ってくれた。

 情報を総括すると、――文藝部室、場所が地味すぎる問題。

 まず、部室棟は屋外施設だ。

 体育会系で埋め尽くされる二つのグラウンドや、二つある体育館のうちの片方――大体育館が前方に位置し、後方には食堂や、文化部の活動拠点となっている『会館』がある。

 文化部は基本的に活動拠点を部室のように扱っているので、部室を持つ必要はほとんどないらしい。

 お陰で部室棟は、運動部が占拠している状態。

 一応、文化部の部室もいくつかあるが、荷物置き場にされているのがほとんど。

 また、過去に廃部になった部活の部室もそのまま放置されているようだった。

 特に最上階である三階はその傾向が強いらしい。


 部室棟は『コ』の字状で、その一番端まで辿り着くと僕は振り返った。

 思わず、

「おいおい、碌に活動している部活ないんじゃないか、この階……」

 まさにカネキアザミのために用意された空間のように思えた。

 単身で牙城に潜り込むとは、まさにこういうことなのかもしれない。

 僕は、文藝部室の方を振り返った。

 ぶ厚いカーテンで覆われた横開きの扉が立ちはだかる。

 中の様子を観察することもできない。僕は、三度、周囲に人がいないかを確認した。

 いや、この階、碌に活動している部活が見当たらないから人が全くいないのも同然なんだけれど。

 誰もいない。僕は、深呼吸をした。

 緊張している? ――確かにそれは間違いない。

 何故なら、カネキアザミは僕の脅威になりえる存在だからだ。

 同じクラスの人間の顔は、登校初日だが、大体把握した。

 僕にとって不安要素になる存在は、今のところ僕の前には現れていない。

 僕の前には現れていないけど――いずれ、僕の前に現れるかもしれない脅威は、目の前の部室に鎮座しているはずだ。

 カネキアザミという不安要素。その正体をいち早く掴み、無効化しなければ、きっと夜も眠れない日々が続くのだろう。

 過去の失敗があってか、過度な神経質を患っているような気がしてならない。

 だが、石橋は叩いて渡るものだ。

 同じ失敗を繰り返すのは御免だった。

 文藝部室の扉を叩く。

「すいません、入部希望の者なのですが」

 ――中で、がさごそと、何かが蠢いている音があったが、それもすぐに止んだ。

 再び、文藝部室は静寂に包まれた。中なら、扉を開けてくるようなことはなかった。

 分厚いカーテンはピクリとも動かない。

 入れ、とでも言っているかのように。果たして本当にそうなのか?

 しばらく様子を窺っていれば、あちらから歩み寄ってきてくれるかもしれない。

 僕は半歩下がって、カネキアザミの出方を観察しようとした。

 手元の時計は午後四時半を差している。

 五分待って、それでも来なかった場合は――、それ相応の態度を示そうか。

 僕は、詰襟制服のポケットからスマートフォンを取り出した。

 今すぐに調べたいものがあったから。

 検索ワードを打ち込んだ。びっしりと埋め尽くされた検索結果をスクロールしながら、したり顔で眺めた。

 カネキアザミは、ひょっとすると僕の仕掛けた罠にまんまと引っかかってくれるかもしれない。


 五分はあっという間に経過した。

 ここまでは、予想通り。

 むしろ、途中で扉が開いてたら、カネキアザミに『空気の読めない奴』っていう烙印を押していただろう。

 さすがは、教師をも恐れおののかせる脅威。

 自分から歩み寄ろうとしないのか。

 あくまで、相手が立ち向かってくるのを踏みにじるスタンスですか、そうですか。

 だとしたら、話は早い。再び、半歩前へ。

「星の巡り合わせが悪かったんだろうなあ……、歓迎されていないようですね」

 僕は、あくまで自然体で独り言を呟いた。

 独り言の体で、扉に際限まで近づいた。

 その障壁を易く通り抜けるような声は、独り言というにはいささか無理があるかもしれない。

 だけど、今、僕は独り言をしている。していることにしておいている。

 壁越しの対話を求めているわけじゃないんだ、いいね?

「前の高校でも文藝部に所属していたので、この高校でも入部したいなあって思っていたのに。残念です」

 がたた、という部室の中で響く雑音。動揺している? いやいやまさか。

 カネキアザミは、もともと新入部員を求めていないのだろう?

 なんなら、顧問すらお邪魔虫扱いしているような人間じゃないか。

 関わるだけ、無駄ってもんだよね。

「それじゃあ、さようなら。これから二度と会う機会はないでしょう。せいぜい独り部活を愉しんでくださいね」

 愉快、痛快に。皮肉をたっぷりに。

 恐れるものはない。だって、相手も人間だ。


 五分待って、それでも来なかった場合は――、それ相応の態度を示す。

 僕の答えは至極簡単。誰にでもできる、対面倒臭い人間風情用の対応だ。

 つまり僕は、文藝部室の前から立ち去ったのだ、興味を失った声色で芝居して。


 僕が部室の前から消えた三秒後のことだった。

 ピシャリッッッッ! 横開きの扉が、火花を散らさんばかりの速度でレールを滑った。相も変わらず、僕は振り返らない。だって、興味がないんだもの。

 対して、面倒臭い人間風情様、或いは都市伝説化しているクラスメートは、

「貴方を歓迎しますっっっっ!! ようこそ、文藝部へ!!」

「いや、僕はもう興味の欠片もないんですってば」

「私をここまで怒らせた責任を取ってもらわないと示しがつきません! 拒否権はありませんよ!!」

 はあ、そうですか。気のない返事をして振り返った。

 顔を赤くして、涙目になりながら僕を睨むのは、偶然屋上で出会った、あの少女だった。

「ビンゴ」

 思わず出てしまった言葉。だが、この少女の前だったら訂正する必要がない気がした。だって、彼女自身がまた、独りを好んでいるように見えたから。

「とりあえず、部室に入ってもいいかな? 秋の夕方の風はちょっと寒いから」

「…………すいません、取り乱した。改めて、部屋に、どうぞ」

 呼吸を整えながら、赤く火照った顔が白くなっていく。部室から差し込む蛍光灯の淡い白の光が彼女の真珠のような肌を映した。

 秋の風がそよそよと流れ込む。ひらりと揺れる彼女の髪は艶やかで、彼女自身が一つの出来過ぎた彫刻のようだった。

 そんな彼女の姿が、思わず目に焼き付いた。

 カネキアザミが、僕にとって最大の脅威であることに違いはなかった。



 ※   ※   ※   ※   ※



 改めて、僕はカネキアザミと対面した。

 文藝部室には、天井まで伸びた本棚に本がびっしりと詰め込まれている。ジャンルは様々。図鑑があれば、純文学もあるし、背表紙が色褪せた戦後文学の作品が混ざっていれば、まだ背表紙の色が鮮明な流行りのラブストーリーなんかもある。一般文藝の単行本から、ライトノベルの文庫本まで。

 本という本が、部屋の壁を敷き詰めている。それだけでは収まり切らなかったのか、床から積みあがった本で、大小様々な塔が形成されている。その数は一〇を優に超える。

 僕はそんな、まさに本の密林のような部室で、本の山を掻き分けたところにあったパイプ椅子に腰かけた。机を挟んで向かいに、カネキアザミは座っている。彼女も左右を本に囲まれている。机の上だけは、何故かモノが全く置かれていない。

 つま先がざらざらした何かを感じ取った。

 見れば、足の裏にも本が転がっている。

 ふと、本の題名が視界を掠めた。

『地味な男が恋愛強者になるには??』

 やかましいわ。

 僕はその本を勢いよく踏みつけた。

「あの、目が殺気立っているのですが……」

「本が俺を煽ってきたから、力の差を見せつけている、っていう感じかな」

「貴方、なかなか頭の螺子がぶっ飛んでいる御方なんですね、何となく理解しました」

「それは理解じゃなくて、誤解だと思うよ? 根本的なところから間違えている」

「誤解を生むような行為をしている貴方が悪いのでは、豪快に後悔してください」

 豪快に後悔ってなんだよ。どうせ言うんだったら、後悔して行いを更改しなさい、とかの方が無理矢理じゃない気がする。

「あの、何か言いたげですね」

「何も。それに、何か思っていたとしても、僕は思ったことをすぐに顔に出さないようにはしているし、分からないと思うよ」

 ……内心では、心臓が跳ね上がりそうなくらいにどぎまぎしている。本当にバレているのだろうか。それとも、僕を誘導するためのハッタリか? ここで彼女に騙されたとしたら、僕すらも彼女の手駒になってしまうだろう。

 それこそ、何もかも壊されてしまうんじゃないか?

「――あはは、そんなに怖がらないでくださいよ」

 冗談ですよ、と言ったカネキアザミの顔は、妖艶に微笑んでいる。

 吸血鬼が、獲物の首を狙うような目つきっていうとしっくりくる。

「君は、一体何を考えているんだ……?」

「あんまり、他人に率直に物事を言うのは得意じゃないので、言えません」

「それは理由になっていないっ!」

 思わず机に乗り出した。駄目だ、このままじゃ本音がダダ洩れじゃないか。

 自制しろ。さもないと、また過去と同じことを繰り返すぞ、水瀬おきな。

「あまり、声を荒げないでくださいね。頭が痛くなりますから……」

 彼女の言葉の一つ一つが、虚構のように思えてしまう。

 争ったら争っただけ、僕の方がボロを出すだけだ。

 抵抗するのを諦めるために、一旦呼吸を整えて精神を沈めることにした。

「貴方の建前、ちょっとばかり拝見させてもらったけど、大したものですね」

「……いつ、見ていたんだ?」

「職員室で顧問の先生と話しているあたりですね。たまたまクラスを通りかかったら、貴方が担任と話している姿を目撃したんですよ。そしたら」

「文藝部に入りたいって言ったな。成程、そこから着いてきたわけか。それにしてもよくバレなかったね。尾行とか得意なの?」

「いや、尾行じゃないですね。強いて言うなら、先回り、でしょうか」

 彼女の話によると、どうやら僕が文藝部に入りたいっていう話を聞いたらすぐに職員室に向かったらしい。その時点では、なんと顧問の教師は職員室にいなかったとのこと。だから、わざわざ携帯で電話をして、急いで職員室に戻したらしい。

「すべては、カネキアザミの手中で動いていたっていうことだね」

「そういうことです。狙った獲物は逃さないので」

「カネキアザミが、そういうこと言うと洒落にならないね」

 むっ、と彼女が顔をしかめたのを見て、余裕が徐々に戻ってくるのを感じた。

「都市伝説化したクラスメート『カネキアザミ』は、どうやら近づいた人間の何もかもを壊してしまうらしい、って聞いたので恐れおののいていたけど、案外そうでもなさそうだ」

「――あの、少しいいですか」

 カネキアザミは、いつの間にか顔を俯かせていた。

 前髪に隠れた彼女の表情は定かではない。

 ただ、その声色はまるで、こちらの心臓を瞬間冷却してしまいそうなくらい凍えた低い声だった。

「その話は、あんまりやらない方がいいですよ……? 本当に貴方を壊しかねないですから」

「壊しかねない? 壊すのは君だというのに、言い方が回りくどいよ」

「ともかく、やめてください。あまり、声高に話せることじゃないんです……」

 ぞくり……、と僕の胸の中で何かが騒いでいた。

 嗜虐心。ああ、それだ、目の前の脅威を虐げたい欲望。虐げることで得られるのは、至上の快楽。そして、脅威を服従させることによって、平穏が訪れるだけじゃない。彼女がもしも、この学校の一般認識の悪役だったとしたら、いつの間にか英雄扱いだ。少し目立つ立ち位置になるかもしれないが、それでも僕の世界では平穏が長続きするはずだ。

「……本音で、話すのは。まだ、まだまだ。怖くて、辛いので」

 ――そのとき、彼女がそういう的確な言葉を発さなかったとしたら僕は今頃、彼女という敵役を袋叩きにするべく、計略を練り始めていたことだろう。

「…………」

 彼女の言葉は、本音なのか、建前なのか。本音で語るのが怖いという本音なのか。僕と本音で語るのが怖いという建前を通じて、僕に一切の興味がないことを示しているのか。ああ、我ながら、面倒臭い考えの持ち主だと思う。

 とにもかくにも、僕にはどうすることもできなかった。彼女を彼女以外の人間共通の敵役に仕立て上げるには、まだ時間が足りな過ぎた。分析しきれていない。彼女の本音が流れてこないせいで。

「やっぱり、君は、脅威だよ、カネキアザミ」

「カネキアザミって言い方は、あんまり好きじゃないです。……アザミって言ってください」

 口答えをするなよ、僕の最大の脅威様。

 思わず、舌打ちが漏れた。

「せめて、カネキの方がいいんじゃないかな」

「それだと距離感が遠くなってしまいますので」

「――猫を被ってそうなやつがよく言うよ」

 しまったな、口が滑った。そういう誘導尋問なのかもしれない。恐る恐る前方のカネキアザミへと目を向ける。口に手を当て、緩まった頬を隠しているのを目の当たりにした。

 してやられたな。僕は頭を抱え込んだ。

「私の猫も剥がれてしまったようですが、貴方の分厚い猫の皮も剥がれてしまいそうですね」

「……わざとやってる?」

「……わざとのように見えますか?」

「わざとにしか見えない」

 では、そういうことにしておきましょうか。差し込む夕日に照らされた彼女の顔がまばゆい。文藝部室は、彼女のお立ち台だった。客人は皆彼女の手によって操られるマリオネット。

 巣窟に迷い込んだ仔羊共は、逃げることを許されない。

 糸に張り付いた獲物は、毒を盛られて、じりじりと拘束されていく。

「貴方は、まるで私と同類項のようですね」

「君のような人間と同類項だなんて、こっちから願い下げだよ」

「だけど、事実なんですもの。私も貴方も、建前で人との間に障壁を作ることで安心した生活ができている。――違いません?」

「いいや、それは認めざるを得ないね。だけど、君と僕とでは、一つだけ決定的に違うところがある」

 それは……、と続けようとした僕の前に彼女の身体が乗り出していた。人差し指が、僕の唇に上乗せさせられる。言葉を奪われた、とはまさにこのことを指すのだろう。

「――これ以上は、言わないでください。分かっていることなので」

 角の取れた優しげな声であることには変わりなかったが、何故か言外にとげとげしい感情が垣間見えていた。それも、僕の肌を刃物で突き刺さんばかりの感情。怯え? 敵対? 拒絶? カネキアザミの眼光が僕を射抜いていた。鋭い視線は、高所から餌を狙う鷹の如く。

 だが、何故だろう。

 視線はぎらぎらと鋭い。なのに、その鋭さを錆びつかせている『怯え』に似た感情が彼女の瞳にちらついているように思えるのだ。

 僕を睨みつけている眼光は、激しく揺らいでいた。

 きっと、直感ではない。むしろ、確信だった。

 だけど、そこまで彼女に干渉する理由が僕にはない。誰かの本音に干渉することは、その誰かに傷をつけてその傷から溢れ出る受益じみた感情をすするようなものだ。

 僕は、むやみやたらにカネキアザミを傷つけることは避けたかった。

 理由はただ一つ。

 建前だらけで虚飾した、『いい人』を演じて生きると決めているからだ。

 だから、誰も傷つけない。僕も傷つかない。

「――すいません、取り乱しました」

 はっ、と顔を上げたカネキアザミは、そそくさと乗り上げた身体を後退させて、また僕と対面した。彼女は、すぐに目線を合わせようとしなかった。

 手元にある文庫本を、開いてはパラパラとめくり、本の山に積む。めくって、詰む。傍から見て無為な行為を何度か繰り返した後に、思い出したように彼女は僕の方へ向き直す。

「さて、心が落ち着いたので、本題に入りましょう。――文藝部へようこそ、新入部員くん。私は貴方を歓迎します」

「そんな無表情で歓迎されても、歓迎された気分にならないけど」

「内心そこまで歓迎できてないですから」

「僕も、まさか文藝部の部員がカネキアザミだったとは思ってもいなかったよ」

 お互い様ってやつだ。不満なら、さっさと僕を置いて消えていけ。文藝部室は、内部こそ雑然としているが居心地は悪くない。立ち込める本のミルククッキーのような優しく甘い匂いの中で放課後を潰すのもなかなか悪くないものだと思った。

 だから、僕に居場所を譲ってくれ。カネキアザミが先に文藝部に所属していた事実は横に置いておいていいから。

「……私は、この場所が好きですから、貴方に譲るわけにはいきません。何より、私が先客っていうことを忘れないでほしいところですが」

「言いたいように言っていればいいよ。最後には僕が君を追い出すんだろうから」

 目線が絡まり合って火花を散らしていた。どうやら、僕と彼女は犬猿の仲らしい。だけどそれでいいと思った。気が合っているという錯覚に浸るなら、最初から気が合わない二人であり続ければいい。

 各々のゆく道はいつまでも平行線で構わない。

 あくまで、この部室に集まる部外者っていう目でしか、彼女を見ることはできない。

 彼女に興味がないと言ったら嘘になる。同類項の人間を間近で観察することで、自分の建前に足りない部分を補完できるかもしれない、という点で興味はある。

 カネキアザミという人間への興味関心はさらさらなく、利用価値がある道具として彼女を扱えることへの関心が大きい。使うだけ使って、価値を吸い尽くしたら捨ててしまえばいい。幸い彼女は、学校内でも煙たがられているような奴だ。行動を一つ二つ引き起こせば、勝手にこの部室から消えてくれるだろう。

「カネキアザミ、僕が君のことを食い潰すまで、よろしく」

「貴方がそういうなら、同じように返しましょう」

 そういえば、――彼女が何か思い出したように顔を上げた。僕も大事なことを言い忘れていたことに気付く。「あの」という言葉だけが重なった。気まずくなったひと時の沈黙。目配せをして、彼女に先を促した。

「まだ、貴方の名前を聞いていないですね」

「僕もそれを言おうとしていたんだ」

 ……同類項同士、案外気が合ってしまうモノなのかもしれない。

 思わず、二人して噴き出してしまった。

 これが、僕こと、水瀬おきなと、彼女――鐘来あざみの初めての邂逅である。

 深まった秋の風が、文藝部室に積み重なった本の渓谷を通り抜けていく。

 雲一つない空、何も遮るものがない濃い橙色の夕日に照らされた彼女は、空気に溶け込んでしまいそうなくらいに透明だった。


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