表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/25

#24『無痛で愛は叫べない/6』

 話は、数分前に遡る。十分にも満たない時間だが、僕とケイジは散々殴り合った。手加減は要らない。後先のことを考えて喧嘩したんじゃ、本気の気持ちをぶつけたことにならない。踊り場という狭いリングの中で、たった二人、詰襟の制服を着て喧嘩に励む僕らがいた。

 ケイジの方も、手慣れている風体ではなかったのは幸いした。もしも、武道経験者だったら、丸腰の歩兵になるんじゃないかとひやひやしていたが、余計な心配だったらしい。しかし、素人同士の喧嘩だ。武道がからきしの二人の間に起こるのは偶然のアクシデント。襲い来る拳に注意をしつつ、足蹴にも気を配る。つまり、集中力の消耗が激しい。喧嘩のド素人ならば、すぐに集中は切れる。肉弾戦を続けたところで、誰も得しない。

 だから、先手を打って、早々と勝負を決める――!

(――貰ったッ!!)

 上履きで地を踏みしめて、ケイジの腹めがけて、拳を振り抜く。彼の腹はがら空きで、いかにもここを殴ってくれ、とでも言いたげな様子。残心を取れていない。足は閉じかけていて、力はきっと入らない。決まった――、

 不意に黒い影が、僕の顔面を横切った。

「――――ぐがぁ!?!?」

 思わず、声が出る。ケイジの拳が、左頬に直撃し、身体は踊り場の壁にぶつかった。腹部を一蹴される追撃を受けて、僕は蹲った。痛い、痛い痛い痛い痛い……!

「もう、終わりか。オキナ? 大口叩いた割には、情けないじゃねえかよ」

 もう一度、一蹴。痛みが重い。蹲って、地面にのたうち回る。口の中に血の味がした。腹部の鈍痛は、簡単には去ってくれなさそうだった。痛い、痛い痛い痛い――!

「だけど、まだ、終わってない……!」

 気を緩ませ、僕に近付いていたケイジに向かって足を振り回す。斜め上へと伸びる軌跡を描いた一蹴は彼の太ももに直撃する。「っ……!」と苦悶の声を上げて跪く検事の横で、階段のスロープを支えに立ち上がる。

「まだ、終わってない……! そっちこそ、もうバテてるんじゃないかな…!?」

「ま……さ、か……!」

 左足の太ももを抑えながら、ケイジが起き上がった。双方、持ち堪えたとして、残り一撃が限度だろう。殴られたり、蹴られたり、傷だらけになった身体を引きずった僕らは、再び相対した。

「終わりにしようか、ケイジ」

「言われなくてもだ、オキナ」

 直後、二つの拳が交わった。踊り場に肉を打つ軽やかな音が響き渡った。

 拳はそれぞれの顔面を抉って突き抜けた。脳を揺さぶられる衝撃に耐え、立つことをやめないように努める。一方、ケイジの身体は殴打の衝撃で後ろに飛ばされ、なおかつ頭を揺さぶられたことにより、足元が覚束ない。

「あっ」と声を漏らしたのはどちらだろう。

 ――ケイジの身体が階段を踏み外し、虚空に投げ出された。

 あぶない――という声が果たして出たのかどうかはともかく、僕の腕はケイジの身体へと迫っていた。ケイジの手が伸ばされる。

 間に合うか――――!? 初めてできた高校の友達を助けるために、僕は想いっきり体を伸ばし、手の先まで伸ばし、そして――。


 ※  ※  ※  ※  ※


 屋上の扉を内から開く。

 あざみとざくろが共に抱きしめ合いながら、音の方へと振り返ったところだった。

 どうやら、主役は、遅れてやってきた、ということらしい。……遅れ過ぎて、主役が主役をなせていない感がある。というか、主役ってなんだ? あはは、まさか――女の子二人のお話に男の一匹――それも、彼女らの友情には無関係の男一匹が迷い込む余地なんてなんじゃないか。

「ええと、あざみに……ざくろ? 二人とも、どうしてこんなところに……?」

「大丈夫、オキナ君には関係のない友情エピソードだから」

「……?」

「そうだよね、ざくろ」

「えー、あー。……うん。大体そう」

 やけに上機嫌なあざみの横で、僕の幼馴染が不機嫌そうに睨んでくる。

 屋上に降りしきっている雨の音は急速に弱まっていき、雲間から地に突き刺さるように伸びた数条の光に導かれるように、群青色の空が僕らを出迎えた。

「あ、虹だ」

 あざみが指さした方向に綺麗なアーチを描いた虹が見えた。雨をもたらした邪険な雲海を掻き消さんばかりに、それは彩光を放っている。たった今、あざみの心象を写し取ったんじゃないか、と疑うくらいに鮮明で。そんな空に投影された心のレプリカの数十倍の明るさを、今のあざみは放出していた。

「ともかく、だな。一件落着、ということでいいのかな、あざみ?」

「まあ、とりあえずは、いいんじゃない、オキナ君?」

 あざみが屋上入口へと軽やかに潜り込んでいく。僕もその後を付けようとした。だが、幼馴染がそれを許してくれなかった。

「…………わたしを置いて勝手に話を進めるのをやめなさい!?」

「うおっ。どうしたんだよ、ざくろ。そんなに大きな声を出して」

「どうしたも、こうしたも……、全部、貴方のせいよ、馬鹿おきな!!」

 一歩、二歩、三歩目で助走を終え、僕めがけて飛んでくる少女がそこにいた。いや、釜澄ざくろっていう幼馴染なんだけれ『ドンッ!』

 あれれ、平手打ちを受けたはずなのに、音が心なしか鈍いぞ。足取りが覚束ないぞ。

 ――まさか、まさか、僕を気絶に追い込む一撃が、幼馴染の平手打ちだとは思ってもみなかった。

 屋上の床はさっき降った雨で水たまりが散見したが、幼馴染は恐れを知らぬ勢いで、僕を水たまりの餌食とした。いざ、倒れ伏してみると、ケイジとの喧嘩での疲労とか、あざみの周囲の関係とやり取りするという究極的疲労困憊生産活動のツケがどっと押し寄せてきた。

 冬の空気は常に凍てつくような辛さ、厳しさを僕らに語っている。

(さて、いくつか疑問があるんだけど――、まず、どうして僕はざくろから平手打ちを食らったんだ?)

 殊更どうでもいい疑問を抱えたまま、僕の意識は微睡の沼に沈んでいった。

「おきな……約束、守ったって言ったじゃん……! ばかぁ……!」

 意識の断絶の直前、糸が切れたように膝から地面に崩れ落ち、両手を顔で覆った幼馴染の姿が見えた。約束……、そういえば、僕がこっちに引っ越してきた日にも同じようなことを言っていた気がする。約束の内容は、憶えていないけれど。

 どうせ、幼少期に交わしたものだ。時効だよ、時効。

 ――ちなみに、目覚めた後に同じことをざくろに伝えたら、腹の上にのしかかられて、無限の平手打ち地獄を経験することになるのだけれど、それはまた別のお話ということで。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ