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#22『無痛で愛は叫べない/4』

「まず、いくつか聞きたいことがあるんだ。今の僕には僕がいなかった世界での鐘来あざみの全体像が掴めない。――今更、恥ずかしながら」

「確かに恥ずかしいだろうな。俺に対して、散々な口ごたえをしながら、この鞭の有様だ。お前もまた、彼女の本当を暴ききれていないようだ」

「だから、今ここでできる限りのことを知る。あざみから聞き出せなかった、アイツが僕に対して隠しておきたいような負の出来事ってやつを」

 ハッ、とツマシロが鼻で笑う。口だけ達者な自分に嫌気がさしたのは初めてだった。建前で武装して生きようと考えた矢先に、結局本音を曝け出す無様な姿だ。初志貫徹ってなかなか難しい。――でも、建前を貫くなんて初志を貫徹するなんて、元が真人間の僕にはいささか難しい課題なのだ。そして、どんなに建前で生きようとしても、『結局は本音が一番だ』なんて無意識に考えている人間には、嘘をつき続けることは難しいし、そんな人が憑いた嘘なんか、案外バレやすいものなんだろう。

「どう見ても本心のようだな。――お前、ただの友達っていう枠じゃ、収まらないくらいに面白いな。面白くて……憎い」

「お前もな。友達にしてはややこしい関係だが、敵と考えるには、棘と毒が足りない」

 踊り場に設けられた小窓には水滴がぽつぽつと垂れたような模様が浮かんでいた。暗雲はついに雨をもたらしたらしい。

 いいぜ、全部聞かせてやるよ――、ツマシロは踊り場に腰を下ろした。僕は、屋上怪談入り口のバリケードに寄りかかって座った。窓へと打ちつけられる雨粒の音だけが、僕と彼の世界を支配する。

 何か嫌なことが起きるかもしれない。――というあざみの予想は的中してしまった。今更ながら、彼女の予想は、当てずっぽうな勘や、予感ではなくて、もはや確信に近い予言だったのだろう。だけど、この道を通らない選択肢は、今朝どころか、僕があざみと出会う前に潰えていたのだろう。

 さっきの男女は、あざみのことを『尻軽女』と言った。そして、眼前の妻代啓治は『悪魔』だと断言して忌避していた。いずれにせよ、双方、あざみに対して負のイメージが強いのは明白だろう。でも、どうしてだ?

「まず、どうして――ツマシロは、あざみに対して、嫌悪感丸出しにしているんだ?」

「一言でまとめるなら、彼女に散々な仕打ちを受けたからだ」

「一言でまとめる必要はない。何もかも包み隠さず答えてくれ……って言ったらお前は答えてくれるか?」

「……約束は、約束だからな。答えてやるよ」

 時を四年ほど前に遡る。ツマシロが、中学二年生のときの出来事だ。彼と、あざみは同じ中学出身で、この高校からはるばる離れた土地の人間らしい。

 そして、ツマシロは、あざみにとっての初めての彼氏だった――とのこと。

「ここまで聞いたら、ただの幸せな中学生カップル。でもって、高校入学辺りまで付き合っていたけど、もっといい男がいたから、別れてしまった感じの、典型的中学生カップルの破綻までが見えるな」

「なかなか直球で酷いことを言うな、ミナセ。――お前の推理は間違っているけど」

「へえ、どこ辺りから?」

「確かに俺とあざみは最初こそ、幸せなカップルだったのかもしれない。だけど、付き合ったのは、ほんの一年も満たない期間だけ。つまり、高校に入学するときには別れていた」

 堪えられなくて、思わず咳払いをした。ツマシロの苦笑を直視できない。

「……ぶっちゃけた話、推理が違っていたのは、どうでもいい。大事なのは、お前とあざみが別れた理由と、どうしてお前がここにいるのか、ということだ」

「俺がここにいる理由? ああ、なるほど。なんでわざわざ別れた奴と同じ高校行くんだってことか?」

「行きたくて来ているっていう場合も汲んでいるが、お前の場合は一概に言えない気がしてな。じゃなきゃ、わざわざ別れた奴と同じ高校に来て、かつ僕に向かって、元カノの悪口なんか言わないだろ?」

「違いないな。お前から見た僕は、男として情けないように映っているだろうな」

「点と線が繋がった今だったら、そう思えるかもな。半分か、三分の二以上は」

「ちなみに、もう半分、或いはもう三分の一は?」

 思わず、吹き出した。目を細めるツマシロに向けて、僕は指を指した。なんだ、自分では気づいていないのか、それとも気付いてしまってもその気持ちを押し殺そうとしているのか。どうやら、妻代啓治という人間も、嘘を吐くのが下手な人種らしい、僕のように。

「お前、まだ、あざみに恋をしているんだろうよ?」

「まさか」

「好きな人のことを忘れられないのは、僕も共感できるからな。まあ、僕は違った意味で忘れられないんだけど、その話はおいおいにして」

 ツマシロの表情が険しくなっていく。一限開始のチャイムが階段に響いた。 

 上の階は空き教室が多いから、多少の声で、誰かに気付かれることはないだろう。おまけに屋上階段前のバリケードは僕らの身を隠すには十分な大きさを誇っている。ここで僕は、ツマシロと決着を付けなければいけない。なるだけ、早く。

「俺があざみのことを今でも好きなのかどうかはこの際別問題だ。お前が知りたいのは、まず、どうして俺があざみと別れたか、だっただろ?」

 僕が先導していた話のペースをツマシロが元に戻す。

「俺がアイツと別れた理由なんて簡単だよ。――『窮屈だったから』だよ」

 窮屈、まただ。一体何が窮屈なんだ? 彼女の言及したい窮屈さは何なんだ? なら、いずれ僕も窮屈と言われるのだろうか。『窮屈』の定義が知りたいんだ。まるで、彼女は彼氏という存在を檻のようなものだと定義づけているみたいじゃないか。

「――彼女が、今のようになってしまったのは、俺のせいでもあるのかもしれないな」

「……ツマシロが何をやったって言うんだ?」

「アイツに本音をぶつけられる環境を与えてあげられなかった。中学生の時の自分は、今よりも幼くて、わがままをアイツに押し付けてばかりだったから……、そりゃあ、窮屈って言われてもしょうがねえよ」

 そんなの、過去に過ぎた話だ。中学生の頃のツマシロが至らなかっただけで、きっとその経験は彼の中で、大きな価値を持っているはずだ。果たして、僕が言っていいことなのかは分からないけれど。

 やっぱり、お前は、鈍感だよ。そしていい奴だ。友達ポジションとか、機械的な役柄をお前に与えたのは間違いだった。僕は、お前と友達になりたいよ、真の意味で。

 だけど、あざみのことは譲らない。

「お前は、ちゃんと過去を顧みることができる、強い人間だよ。きっと、僕なんかよりも強い。そして、無意識なのかもしれないけど、まだ、お前はあざみのことが好きなんだろ」

「…………だけど、アイツにはお前っていう彼氏がいる」

「好きでいるのは自由だろ?」

 僕はバリケードを支えに、立ち上がった。立ったばかりで足腰が鉄塊になったかの如く、重い。それでも、僕は階段を一段ずつ踏みしめて登っていく。視線の先には、ツマシロが待っている。彼も立ち上がろうとしていた。

「ただ、僕もあざみのことが好きだ。――好きになった。好きでいた年月で負けようとも、胸を焦がす想いの熱さだけは、お前の比じゃないと思っている」

「――好きでいても、きっと苦しいんだろうな。感情が高まれば高まるほど傷つくのは俺自身だって言うのは分かっているのによ……」

 ツマシロが目蓋を拭う。赤くなった双眸に睥睨された。

「なあ、ミナセ」

「オキナでいい」

「じゃあ、俺もケイジでいい。――オキナが買ったら、お前が屋上に行け。だが」

「僕が負けたら、ざくろの前から姿を消して、二度とアイツと顔を合わせるな、だろ?」

 一段飛ばしで、踊り場に乗り上げる。妻代啓治が、僕の隣に立っていた。踊り場はこの瞬間、リングと化した。観客は皆無。報酬は、あざみとまた会う権利。代償は、あざみの前から姿を消すこと。喧嘩なんて自信がないとか言ってる場合ではない。

 負けなければ、音を上げなければいい。

 ――ケイジの、右腕が飛んできた。僕も右腕で応戦。

 元カレ対今カレの勝負、僕に負けていい理由はない。

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