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#02『嘘つきは恋人契約の始まり/1』

 水瀬おきなのモノローグは、いつになっても影から抜け出すことができない。


 なにもかも、本音を晒し過ぎたからだ。本音でぶつかり合おうとして、独りだけ足をすくわれて、笑いものにされた。


 そんな間抜けな愚者の末路が、この有様、すなわち僕である。


 本音と本音でぶつかり合って友情が芽生えました、まる。

 ――それって現実舐め腐ってない? 


 あんな幻想、今どき流行らない陳腐な少年漫画だからあり得るんじゃないのかな、と思う。正直、あの暑苦しさは嫌いだ。熱に浮かされそうになるし、喉が焼け焦げそうになるからだ。あの手の創作物は非現実もいいところだ。


 もっと、現実を見てくれ。本音を吐き出せない弱者だっているんだ。本音を吐き出して、晒しあげられて笑いものにされる弱者だっているんだ。


 創作物は、綺麗な結晶の集まりだ。不純物はなんであれ排除されなければ作品としての美しさが損なわれる。


 ――さて、現実に目を向けよう。僕は、本音の晒しあげを過去に体験した。ざっと、半年近く前だろうか。あの時は散々だった。まさか、誰かに好意を伝えただけで学校中の笑いものにされるなんて思ってもみなかったからだ。


 思い出すだけで胸糞悪い。

 だけど、そんな間抜けな自分とは、今日をもっておさらばしようと思う。


 学校中で笑いものにされてから、不登校が続いていたが、ようやく念願の転校が決まって、今日は引っ越し当日だ。


 引っ越しとは言っても、生まれ故郷へ、一〇年ぶりに帰ってきただけだが。


 東京の真ん中から、埼玉の北の方に。東京に住んでたとは言っても、特別区育ちではない。やや都会の街から、やや田舎の街へと移り住むだけだ。


 電車に揺られながら、僕は決意を新たにした。


 決して、物語の主人公を目指そうとしない。影踏みをするようにひっそりと生きろ。

 自分の本心を表に出そうとするな。涎を垂らしたハイエナ共に骨肉までしゃぶり尽くされるぞ。


 建前は、僕を護る強固な鎧であり、何でも裁ち切る魔法の剣だった。これさえあれば、僕の日常は平穏に続くのだから、手放すことはできない。むしろ、肌身離さず身に着けていたいくらいだ。


 ――例えば、一〇年来の幼馴染に再会した時だって。


「…………あ!」

「…………ん?」


 振り返れば、僕の方に人差し指が向いている。

 その持ち主である少女へと目線を映していく。


 新品の運動靴でアスファルトが叩かれる。たん、たん……と小気味いいステップで近づいてくる。デニム生地のスリムパンツはすらっと引き締まった長足のシルエットを際立たせる。


 茶色がかったショートヘアが揺れる。飾りっ気のない琥珀色の髪留めで結わえられた艶のかかった髪は、一〇年前の面影とさほど変わらないように見える。


「オキナ! オキナだよね……?」

「うん。僕は、水瀬おきなだけど……、君は、もしかして」


 快活な声が懐かしい。

 僕が視線を上げると、彼女の緑がかった黒の瞳がこちらに向いていた。

 秋真っ盛りの空は、雲一つのない澄んだ快晴だった。


 そして、僕の手が届きそうなくらいまでに近づいて止まった少女の笑顔は、秋の快晴には不相応なくらいに輝いている。


「ざくろ、で、いいんだよね」

「憶えていてくれたんだ! そう、ざくろ! 釜澄ざくろ!」


 斜め上、僕の顔を見上げる少女の笑みは、確かに明るくて愛嬌のあるものだ。

 僕と彼女が出会った一〇年前と何一つ変わっていないように見える。


 だが、今の僕の目には、綺麗なものですら虚飾に塗れているように映ってしまう。

 十年来の幼馴染の、色褪せることない屈託の笑顔ですら。


(こいつは、裏で何を考えているのだろう)


 決して、口にはしない。それが建前ってものだから。


「戻ってきたんだ! おかえり、オキナ」

「ただいま、ざくろ。一〇年ぶりだな」


 ――建前という分厚い仮面で顔を覆い尽くす。

 今の僕は、一〇〇%の笑顔を繕っている。

 般若とか鬼――ああいうのは仮面ではなく仮面の奥にそっと潜めさせておくものだ。


 この世界の人間風情は、人の皮を被った化け物。

 その化け物が本性を現すのは、批判すべき当人がいない場所。


 人様の二面性にはもう飽き飽きだ。そっちがそうならば、僕もそのように対応するまである。


「そういえば、もうそろそろ荷物が運ばれてくる時間だった」


 腕時計に目を通していたら、エンジン音が聞こえてきた。

 業者のトラックが家の前に停まる。都合がいい、ここで話を切り上げるか。


「ちょうどいいし、わたしも引っ越し作業手伝おうか?」

「いや、荷物多くないし」

「手伝うよ!」

「いや」


 かたくなに意見を呑み込ませようとするなしつこい。

 内心で毒づくが、顔には出さない。うわべの友好関係は色々と役立つからね。


「二人の方がすぐ終わるし、それに……話したいことがたくさんあるの。……だめ?」

「そう言われると、断れないな」


 ――対応は常に柔軟であらねばならない。


 決して、色目を使ったわけではない。付き合いが悪い人間だと思われないように予防線を張っただけだ。一〇年ぶりの故郷であれ、長い歳月が経ってしまえば結局は、新天地であることに変わりはない。

 第一印象を固めることで、安穏な日々を送ろう。


 アウトカーストはもう、こりごりだ。

 僕はざくろに引越しの手伝いをしてもらうついでに、彼女の話に付き合うことにした。

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