007.懇願
「我がミランダを救ってはくれまいか・・・この通りだ・・・」
人に何かの行為をしてもらうために、人は人に頭を下げる。これは人類にとってとても普通の行為であり、なんら恐ろしいことではなく、頭を下げられた方には大概YESかNOの選択肢が与えられるものだ。
しかしながら、こんなにも『NOが与えられていないお願い』されることに嫌気が刺したのは、前世では相当に多かった記憶があるが、とにかく今世では初めてのことであった。
___今世紀最大の危機である。
『お願い』の内容は、つまり諸々省略して言うと、正妃ミランダ・ミディス・ロワイヤルが謎の病に侵されており、すでに衰弱しきって一ヶ月も持たなそうなので、聖魔法を所持するのなら救ってくれ、ということだった。
相手方からすればどんな治療薬も処方も効かない謎の病魔にもうこれまでか・・・という絶望に見舞われた時、天からの思し召しかと言わんばかりのタイミングで聖魔法所持者が現れたというこの状況に希望という光を見出していることであろう。
だがしかし私からすれば、いまだ操れないしそもそも感じてもいない聖魔法という正体不明の力を、聖魔法師でもないのに華麗に操って、謎の病魔を駆除しろと言われた。
はっきり言おう。無理だ。
運転免許も持っていないうえ車自体初めて見る子供に、戦車を操って敵を壊滅してこいと言っていることとあまり変わらないことを目の前の為政者は理解しているのだろうか?伴侶である正妃を失うという現実から、思考回路が鈍っているとしか思えない。
そもそも正妃が病に倒れよもやもうすぐ死ぬというこの局面で、奇跡的に聖魔法所持者が見つかるというあり得ない偶然になにやら薄ら寒さを感じてしまう。
とにかく出来ないものは出来ない。
しかしだ。
この状況で断るという選択肢は残されていないこともまた事実。
仮にここで「出来ない」と断るとする。相手方は「そうか、わかった!」とはならないだろう。かなりの確率でお願いが命令に変わる。それでも断った場合は、正妃を見捨てた魔法師として今後陛下にどんな仕打ちを受けるかわかったものではない。
またここで受け入れても悲惨だ。私が治療を完遂できる可能性はゼロと言っていい。その場合も陛下の人格がわからない今、正妃を殺した魔法師として、陛下にどんな恨みを持たれるやもわからない。
そもそも目の前の陛下は我々に断られると思ってはいないだろう。
命ずれば済む話を、頭を下げてお願いするという行為をすることによって、それなりの緊迫感とあくまでも真摯的な印象を我々に与えようということ。人情深い人物であることはわかった。
しかし今、その人間性がとてつもなく憎らしく感ぜられる。民に寄り添う心優しき王が、頭を下げてまで正妃を救おうとしていることは横にいる一糸乱れぬ姿勢で立つ兵にも一目瞭然。
つまり。
この目の前の為政者を否定することはつまり、ヒールの立場に自らを追いやることと同義だ。
「陛下。臣下に頭を下げるなどお止めください。アインザッシュ侯爵家は陛下の身心のままに。どのような命令も完遂してみせましょう」
そしてそれを父が認めるはずもない。このように快く受諾してしまうのは目に見えてわかった。
ああ、もし許されるのならば今すぐに断って逃げ出したい。
前世の感覚では、出来ないことを出来ないということこそが、生産性をあげるにしても大切なことだと考えている。出来ないのに仕事を受けて、いったいどうするというのだ。
____汗が、止まらない。
人間は己の危機を感じると発汗作用がコントロールできなくなる。今その状況に自らがいることを、身体を伝う汗で理解できた。
非常にまずい。この状況は非常にまずい。
「もし完遂できなかった場合につきましては、娘の左手を切断し国家の新兵として献上致しましょう。アインザッシュ侯爵家が正妃を救えずして、国家の盾は務まりませぬ」
「おお・・・・!受けてくれるか!」
断っても、受け入れても私の運命は最悪の一途を辿ることが決定している。
父が、私が失敗した場合は自分は責任を取らないということ、そして国家に鎖をつけて献上することを明言しているのを聞き流しながら私は久々に絶望という感情の味を味わうことになったのであった。