第3話 天宮ミサキ(1)
「このままでいいの? ミサキ」
「えっ? い、いいのって……何が?」
「決まってるでしょ。大和タケルのことよ」
「い、イッチャン!」
放課後、いつも一緒に下校している親友のイッチャンが突然大和君の名前を出したものだから、思わず動揺してしまった。
「で、どうするの?」
「ど、どうって……」
「このまま指をくわえて見ているつもり? 大和タケルがあのミカエラってコに手籠めにされるのを」
手籠めって……
「そ、それは……でも、私なんか……」
「…………」
「うっ、そんな眼で見ないでよぉ……」
イッチャンはこうやって人をじぃっと無言で見つめる癖がある。
クラスでは密かに『絶対零度の視線』なんて揶揄されてるけど、小学校からの幼馴染の私ですら、この視線を向けられると言葉に詰まっちゃう。
でも、イッチャンの言いたいことは分かってる。
私が大和君に密かに片思いしてることを、親友のイッチャンだけは知っている。
だから突然恋のライバルが現れたことを心配しているのだ。
そして信じられないぐらいキレイなミカエラさん相手に、もうすでに気持ちが負けそうになっている私を無言で叱咤していることも。
「ま、私には未だにあんな男のどこがいいのかよく分かんないけどね」
「イッチャン……!」
「でも、好きなんでしょ?」
「う……うん……」
私が初めて大和君を意識したのは中学二年ぐらいの頃だったかなぁ。
きっかけは本当に些細なことだった。
でも、一度気になりだしたら知らず知らずのうちに大和君のことを目で追うようになっちゃって、気付けば私の気持ちはどんどん膨らんでいった。
イッチャンはそんな私の気持ちにすぐに気付いたらしく、事あるごとに告白を勧めてきたけど、私にはそんな勇気なんてなかった。
私みたいな地味で目立たない女の子がいきなり告白したって、上手くいく保証なんて全然ないもの。
ううん、きっとダメに決まってる。
今だって自信なんか持ててないけど、当時の私は本当に自分に自信がなくて、いつも大和君をこっそり見つめることくらいしかできなかった。
そのまま1年以上が過ぎ、気持ちを打ち明けられないまま迎えた中学の卒業式の日、イッチャンが大和君をある公園に呼び出したと言った。
そして驚く私を強引に引っ張ってその公園へと連れて行ったの。
物陰に隠れて様子を窺っていると、卒業証書を手に持った大和君がやって来た。
思わず視線が胸の第二ボタンに向かう。
ちゃんと付いたままになっているのを見た時はほっとしたっけ。
イッチャンに言わせると「そんなの当たり前でしょ」ってことらしいんだけど、なんで他の女子は大和君の魅力に気付かないんだろ。
それはともかく、後は私が出て行って大和君に気持ちを打ち明ける。
ただそれだけ。
だけどたったそれだけの事がどうしてもできなかった。
イッチャンはイライラしながら目線と時には肘で小突きながら私を押し出そうとするし、大和君も腕時計をチラチラ気にし出した。
大和君が公園に来てからどれくらいの時間が経っただろう。
これ以上はもう本当に帰ってしまうと思って、私はついになけなしの勇気を振り絞って物陰から飛び出した――けど……
私よりも先に大和君に声を掛けた女の子がいた。
彼の妹さんだ。
私とはちょうど反対側、公園の入口の方から歩いてきた彼女は、小さな身体で大きなビニールの買い物袋を重そうにぶら下げていた。
大和君は妹さんと二、三言言葉を交わすと、妹さんの買い物袋を持ってあげて、一緒に公園を出て行ってしまった。
私は声を掛けるタイミングを完全に逃してしまって、それを黙って見送ることしかできなかった。
その日はイッチャンの家で一晩中泣き明かしたっけ。
「まったく、あの時のミサキは見てられなかったわね」
「……ごめん」
イッチャンの言う通り、あれだけイッチャンが協力してくれたのに、結局何もできなかった自分が情けなくて腹立たしくて……そしてイッチャンにも申し訳ない気持ちでいっぱいだったのに、それでもイッチャンに甘えてみっともなく泣き喚いて……あの時は心底自分が嫌いになったな。
「だけど大和タケルも同じ高校だと分かって、アンタ馬鹿みたいに喜んでたっけ」
「うっ……べ、別に馬鹿みたいには喜んでないわよ!」
大和君が同じ高校だったと知ったのは入学式の日だった。なんで卒業する前に気付かなかったんだろうって思ったけど、とにかく私の初恋はまだ終わっていなかったんだ。
「それなのにアンタときたら……せっかく同じクラスになれたっていうのに、未だに何の進展もないなんて」
「うぅ……分かってるわよぉ……」
イッチャンが言うことももっともだ。
去年は残念ながらクラスが違ったために結局ほとんど話す機会がないまま終わってしまったけど、今年は同じクラスになれたんだから大和君と距離を縮めるチャンスはいくらでもあったはず。
それなのに新学期が始まってもう一ヶ月以上が経つのに、未だに会話らしい会話もできなかった。
中学の頃から全然成長してないよ……
「ま、それも今日までよね」
「へっ?」
「へ、じゃないでしょ。せっかくきっかけが出来たんじゃない。いきなり告白とかはどうせ無理なんだから、これを機に少しずつ仲良くなっていきなさい」
「で、でも……」
そこでまたミカエラさんの顔が脳裏をよぎり、弱気な言葉が口を衝こうとする。
そんな私をイッチャンが今まで以上に厳しい目つきで睨みつけた。
「わ、分かったよぅ……」
イッチャンの気迫に押されるように、私は小さく頷いた。
「あれ? もしかしてイッチャン、私のためにベルさんと友達になったの?」
お昼休みの購買で、それぞれ好きな物を買うために一旦イッチャンと別れたけど、合流した時にはすでにベルさんとイッチャンは仲良くなっていた。
というより、なんだか一方的にベルさんがイッチャンに懐いていたようだったけど。
「ん、別に。あれは単なる偶然。でも、そのおかげで大和タケルと仲良くなるきっかけが出来たんだから、ちゃんと活かしなさいよね」
うっ、またその話に戻っちゃった……
なんとか話題を変えないと。
「で、でも意外だよね。お家が神社なのに悪魔のコと友達になってもいいの?」
イッチャンの家は古くから代々続く神社だ。
お正月なんかはよくお家の手伝いで巫女さんの恰好をしてるけど、これがまた様になってるのよね。
「そう……ね。おかしいよね……」
あれ?
なんだかイッチャンの様子が変?
私は単なる冗談のつもりで言ったのに……
「あの、イッチャン……?」
「じゃあ、また明日ね」
気付けばもうイッチャンの家の近くの分かれ道まで帰ってきていた。
ここで私とイッチャンは別れる。
「う、うん。また明日……」
なんだろう?
いつも静かで表情が読みづらいイッチャンだけど、ベルさんの話をしたら急に沈み込んだように見えた。
もしかして、本当にベルさんは悪魔で、イッチャンは仲良くしちゃ駄目だったとか?
「まさかね……」
気のせい気のせい。
大体、天使とか悪魔とかあり得ないし。
そんなことより、明日から本当に大和君と距離を縮められるかなぁ。
ううん、絶対に縮めないと!
ミカエラさんは私から見てもドキっとするほど綺麗だけど、だからってこのまま何もしないで諦めるなんてできないもん!
あれ?
でも待って。
確かあの2人って、大和君のお家で一緒に暮らすんだよね。
……まさか、ね。
だってご両親だっているはずだし、妹さんだっているんだもの。
大丈夫……大丈夫――