002
「…いー、クガちゅーいー!」
そんな声が耳に届く。
姿を見せて返答したいのは山々だが、生憎ちょっと手が離せない。
「ここだー、砲塔ん中!」
左手だけ開けっ放しの上部ハッチから出してひらひら振ってやると、声の主、笹原祐麻少尉はすぐさま駆け寄ってきて車体を登り、ハッチから車内を覗き込んだ。
「いたいた。空閑中尉、何やってんすか?」
「いやあ、ちとお隣さんの様子をね…よし入った」
手のひらサイズの分隊無線機をいじくりまわしていた俺は、突如雑音を裂いて聞こえてきた音声に目を細めた。無線機のランヤードに付けた人気アニメの主人公のマスコットが揺れる。青髪ポニテにブレザーという出で立ちの、SD化された少女だ。
「ほれ、警察無線。ネットに周波数は出てたけど、ちと合わせんのに苦労したぜ」
「あーそれ聞きたいっす……じゃなくて、中尉!中佐殿が視察に来てんすよ!」
「げ!?先に言えよ!」
マズい。いくら手持ち無沙汰とは言え、任務中に警察無線を傍受して遊んでいたと知れたら確実にどやされる。職務怠慢もいいところだ。
「あーもうとりあえず、そこから出てきてください。中佐が来る前に…」
「ざーんねん、もう来ちゃった」
間延びした声。反射的に顔を上げる。少尉の脇にもうひとつ顔が現れ、掴みどころのない笑みを浮かべてこちらを覗き込んでいた。
……どの中佐殿が来るのかと脳内で二、三人リストアップしてはいたが、まさかこの人とは。
昼行灯で能天気なただのおっさんに見えて、その有能さはしっかりと階級に裏付けられている。飄々とした雰囲気を醸し出す長身痩躯の男……後藤秀樹中佐だ。
「面白そうなことやってるじゃない。あとで数字教えてよ」
弁解する暇もなく、嫌味のない口調で話しかけられた。ちなみに数字というのは、たぶん警察無線が聞ける周波数のことだろう。
「は、はい、申し訳ありません!今降ります!」
「いいのいいの」という声が聞こえた気もしたが、上官が立っているのにまさかこちらが座った状態で話をするわけにも行かない。スイッチを弾いて後部ハッチを開けた俺は、車体後部の兵員室を背を屈めて抜け、細長いハッチから外に走り出た。
改めて中佐と対面して敬礼。テンプレ通りの挨拶で所属と階級を名乗ると、中佐も同じように返してくれた。
「しっかし、でっかいねえ」
「一九式ですか?」
「うん、そうそう。俺は普段ジープくらいしか見てないからねえ、乗り物は」
そういえば、中佐は特殊戦闘連隊…要するに特殊部隊の大隊長だったな。他の部隊との合同訓練で装甲車などを利用することはあっても、自分の部隊で戦車クラスの大型車両を目にする機会はそうないのだろう。
改めて自分の車両を見上げる。
一九式歩兵戦闘車、“ニーベルング”。
高い装甲防御力と一〇五口径の四〇ミリ機関砲、そしておまけ程度の渡河能力を備えた、白鷺が世界に誇る装甲戦闘車両だ。ちなみにお値段五億六〇〇〇万円。
普段は良好な避弾経始を持つ車体と小さめの砲塔によりすっきりとしたフォルムを醸し出すニーベルングだが、今はその面影はどこへやら。
車体前方には地雷除去用ではあるが履帯周りの装甲にならなくもないマインプラウ、砲塔にはERAキット、そしてコマンダーハッチ上にでんと載っかったRWS…リモート・ウエポン・システム。早い話が、車内から遠隔操作できる銃座だ。
FPSゲームに中ボスとして出てきそうな様相を呈していた。名実共に移動要塞だ。
「うちでも買おうかなあこれ。何人くらい乗れるんだっけ?」
「運用に操縦手・砲手・車長の三名、また兵員室に最大八名が搭乗可能です!」
背筋を正し声を張り上げて答える。
「んー良いねえ。こんなの来たら士気上がるよ。じゃ、いろいろ無茶頼んじゃうと思うけど、よろしくー、空閑中尉」
なんでこの人俺の名前を?と思いかけて、戦闘服の胸元にローマ字表記で“HAYATE KUGA”と書かれていることを思い出した。
去っていく背中に敬礼を返す。しかし、最高責任者自ら下っ端に挨拶に来るとは。
大変な数日間になりそうだ。
警官には二種類ある。
即ち、キャリア組とノンキャリ組。
最難関試験に合格して警察庁に就職し、高速昇進への道が拓けているキャリア組は、その経歴によるエリート意識のためプライドが高く、また自分の履歴に傷を付けないよう徹底した事勿れ主義を貫く。つまり、階級の高い無能となる確率が非常に高いわけだ。
後藤の前でふんぞり返っている男も、そんな存在だった。
「分かっていると思うが、この事件は警察の管轄であり君達軍隊は部外者だ。くれぐれも、そこの所を弁えて行動して貰いたいものだね」
名前は不明。肩の階級章からして階級は警部だろう。
軍隊を追い出して警察だけで事件を解決し、手柄を立てようとでも思っているのか?いや、そんな野心的なタイプには見えない。
恐らくたまにいる、軍人嫌いな性の人間だろう。
そんなことを考えながら、後藤は「分かってますよ」と生返事。
追い出されるようにして警察のテントを出た後藤の背を、部下を叱責するさっきの警部の声が押した。