001
後藤秀樹陸軍中佐は、目的地の一〇〇m程前で車を止めさせた。
その車は、部隊の公用車である防弾レクサスLSでも、勿論彼の愛車であるスーパーカブでもない。お値段八三〇〇万円の、〇八式装輪装甲車“ブラッドウルフ”だ。
タクティカルブーツが地面を踏みしめる。背筋を正して敬礼する護衛の兵士に、後藤は歩きながらもしっかりと返礼した。
案内のいない状況だが、彼の足は迷うことなく目的地へ向かう。彼の視線の先では、トラックが一両、アウトリガーを下ろし荷台を横へ大きく展開させていた。
と、トラックの中から慌てた様子で戦闘服姿男が駆け出して来る。
「お出迎えが遅れて申し訳ありません!後藤重樹中佐!」
「構わんよ。出世したねえ、長谷川少佐」
緊張した様子で敬礼する戦闘服姿の男、長谷川淳少佐に後藤は凛とした敬礼を返す。
「早速だけど、状況説明頼める?車でニュースサイトを齧って来た程度でさあ」
「は、勿論です。どうぞ中へ」
タラップを下ろした大型トラック、一七式野戦指揮装置の後部ハッチが開けられる。
そこはさながら、軍艦のCICだった。
巨大なモニタが天井から複数吊るされ、ずらりと並ぶコンソールに数名の兵士が取り付いている。トラックの中央にはチャートテーブルが設置されていた。
長谷川がタブレット端末を開きいくつかのデータを表示させる間、後藤中佐は長躯を折りテーブルへ拳銃を置く。銃は地味に重いのだ。
「…遅れました。状況説明に移らせていただきます」
「頼んだよー」
「はい。本日ヒトヒトマルマル、白鷺国鞍馬県・酒旁市に位置する白鷺第二国際空港を武装集団が襲撃、空港に居た民間人五〇〇人余りを人質に取り立て篭りました。マルマルマルフタに一部人質の開放があって以来、膠着状態が続いています」
後藤は左手のクロノグラフに視線を落とした。……一五時三二分。
ちなみにヒトヒトマルマルとは、一一時〇〇分のことだ。
「テロリストについて、現時点で分かっている情報は?なんでもいいよ」
「はい。まず、人種・国籍などは不明です。主武装は回収された薬莢からして、AK47かそのコピー品でしょう。また、一定数の対空ミサイルや大型火器も有していると思われます。彼らは観光バス一両で空港の正面玄関へ乗り付けました。そのことから、人数は多くて五〇人程度と推測されます」
「テロリストの行動は?」
「空港のチェックインカウンター……ここですね、この辺りに自販機や椅子などを積み上げ、それなりの規模のバリケードを構築した模様です。空港の滑走路は四本とも、五〇メートル間隔で障害物を置かれ離発着は不可能。また、テロリストはこの展望デッキに人質の半数とともに立てこもり、残りの半数の人質は国内線ターミナルに駐機されていたこのボーイング787に閉じ込められているようです。……爆発物とともに」
タブレット端末に空港ビルの3Dモデルを表示させ、指先で視点を移動させつつ説明する長谷川。
「敵の要求は?」
「人質一人につき一億円、計四七二億円の身代金。脱出手段の提供と、白鷺の刑務所に収監されているアラブ系テロリスト数人の開放ですね。割とありきたりです」
「被害状況は?」
「はい。テロリストが突入した際に空港警備隊と撃ち合いになった模様です。空港警備隊と言っても警官隊のようなもので、為す術もなく全滅したものと思われます。また、テロ発生の報を受けて緊急離陸を試みたエアバスA380が垂直尾翼に小銃弾を一〇発ほど喰らった模様です。機体は無事に離陸し、最寄りの空港に緊急着陸しました。死傷者はいない模様です。
……最新のものでは、ヒトサンマルマル、警察ヘリが航空管制を無視し空港内へ突入。交渉を行おうとしたらしいですが、事前通告を行わなかったためか、対空ミサイルを喰らい撃ち落とされました」
「止めなかったの?」
「再三再四忠告しましたよ。しかし、如何せん、警官の命令系統は警察側にあるので…」
あーあ、とばかりに後頭部を掻く後藤。
「じゃしょうがないか。……で、最後。うちの行動と、政府の意向は?」
“うち”とは、勿論軍のことだ。
「政府としては、決してテロの暴力に屈するな、前例を作るな、最悪の場合は民間人の犠牲も止むを得ない、との事です。勿論、民間人の犠牲は可能な限り避けろ、との但し書き付きですが。
軍についてですが、現在全軍に待機命令が出ています。空港周辺に展開しているのは、第四歩兵連隊と第七機甲師団の一部ですね。戦車は出ていませんが、防弾能力のある兵員輸送車が二〇両ほど。また、第三偵察隊から歩兵戦闘車ニーベルングが一両来ています。数時間以内には追加で十両ほど届けると言っていますが……」
「うん、多い方がいいでしょ。頼れるものは何でも頼っちゃおう」
「はい。状況説明は以上となります」
「お疲れ様。しかし人質五〇〇人ってのは多いねえ……。歴史的にも結構なんじゃない?」
「空港は人が集まる場所ですからね。一人でも多く助けたいものです」
「うん、同感だね」と頷いた後藤は、拳銃を腰のカイデックスホルスターに仕舞うと踵を返した。それを追いかける長谷川。
「中佐、どこへ?」
「挨拶回りよ。歩兵さんと戦車さんと、あと警察」
「お供します!」
「良いって良いって。それに、頭二人抜けたら仕事にならんでしょ」
長谷川は戦場の情報を統括する、指揮通信隊の現場指揮官を命じられていた。総指揮官として後藤が派遣されたものの、長時間席を外すと拙い立場であることに変わりはない。