キミがいなくちゃ始まらない!
高校生になって全然かわいくなくなった年下の幼なじみ。久しぶりに一緒に歩く帰り道は――。
「髪、伸びたね?」
桜の花がすっかり散った帰り道。
あたしと同じ制服を着た、ひとつ年下のヒロタに言う。
そういえばこんなふうに、二人一緒に帰るのは何年ぶりだろう。
と言っても、たまたま部活が休みだったあたしと、近所に住む幼なじみのヒロタが偶然校門の前で会って、なんとなくあたしがヒロタのあとを歩いているだけなんだけど。
「あ? なんか言った?」
しばらくたって、背中に刺さる冷たい視線に気づいたのか、ヒロタが耳につけていたイヤホンを外した。
「……人と一緒に帰る時、音楽聴くかな? フツー」
「別にいいじゃん。アズミなんだし」
「は? それどーゆー意味よ! あたしの話なんて聞かなくてもいいってこと?」
「そんなこと言ってねーし。うっせーなぁ、相変わらずアズミは」
そう言ってヒロタが、イヤホンをポケットにつっこんで、ぷいっと顔をそむける。
こいつ……ホントかわいくないわ。高校生になって一段とかわいくなくなった。ちょっと前まで坊主頭の中学生だったくせに。
「バーカ。全然似合ってないんだよ、その頭。なに茶髪にしちゃってんの? チャラいし校則違反だし」
ぴたっと立ち止ったヒロタがあたしをにらむ。
あ、怒ってる? でも本当のこと言っただけだもん。
中学生の頃、汚いユニフォームを着てボールを追いかけていた坊主頭のヒロタのほうが、あたしは好きだったから。
「野球部、入るんじゃなかったの?」
ヒロタの顔を見ないままつぶやく。
「あ、ほら、いつもあんたが一緒にいる子。あの子、野球部のマネージャーやるらしいじゃん?」
「……なんで知ってんだよ」
だ、だって。同じ学校の中、女の子と並んで歩いているヒロタの姿、見たくもないのに見つけちゃうんだもん。
いつもヒロタの隣にいるあの子。あの子といる時、ヒロタはスマホもいじってないし、音楽だって聴いてないよね?
「うちのクラスにマネージャーやってる子がいるからさ。その子が言ってたの。あの女の子が新しく入った一年生のマネージャーだよって」
「ふうん?」
ちらりとあたしのことを見たヒロタが、また歩き出す。あたしはそんなヒロタの少し後ろをついていく。
背、また伸びたなぁ。小学六年生まで、あたしより小さかったくせに。
中学になってぐんぐん伸びて、いつの間にかあたしよりずっと大きくなっちゃったヒロタ。
ヒロタとあたしはあたしのお兄ちゃんの影響で、地元の少年野球チームに入っていた。
そう、あれは確か、あたしが小学二年生でヒロタがまだ一年生の時。
「おれ、高校生になったら絶対甲子園行くんだ!」
そんなことを言う三つ年上のお兄ちゃんの真似をして、あたしとヒロタも意味の分からないまま宣言した。
「じゃあぼくも甲子園行く!」
「あたしも!」
だけどお兄ちゃんは首をかしげてあたしに告げた。
「アズミは無理だよ」
「え?」
「女の子は甲子園には行けないんだ」
「そ、そうなの?」
お兄ちゃんがうなずいて、あたしはすごくがっかりした。
なんだ、あたしは行けないんだ。あたしはお兄ちゃんやヒロタと一緒に行けないんだ。
そんなあたしのことを、ヒロタが黙って見ていたのを、今でもなんとなく覚えてる。
それでもそれから小学校卒業まで、少年野球を続けたあたしは、中学生になって吹奏楽部に入部した。
だってほら、ブラスバンドなら女の子だって甲子園に行けるでしょ?
我ながらいい考えだと感心しながら、あたしは部室でトランペットを吹く。
一年遅れて入学してきたヒロタが、校庭で埃まみれになって、ボールを追いかけている姿を眺めながら。
「あの子と一緒に野球部入ればいいのに」
ヒロタの後ろでつぶやいた。オレンジ色に染まるその背中を見つめながら。
「高校でも野球続けなよ。だってほら、あんた昔言ってたじゃん? 甲子園行くって」
「は? バッカじゃねぇの、アズミ。お前本気でそんなこと思ってんの? 行けるわけねーじゃん、甲子園なんて」
あたしはヒロタの後ろで立ち止まる。そんなあたしに振り向いてヒロタが言う。
「そりゃあちょっとは強いけどさ、うちの野球部。でも甲子園なんてマジで無理だし。だいたいおれレギュラーになれる自信ないし。てか、もう野球なんてつまんねーし」
肩にかけていたバッグをぎゅっと握り、あたしはそれをヒロタに思いきりぶつけてやった。
「バカァ!」
「いって……」
「バカバカバカ! ヒロタのバカ! あんたはあたしの気持ちなんて何にもわかってない! あたしがどうしてこの学校に来て吹奏楽やってるか……あんたは全然わかってない!」
そう怒鳴り散らすあたしの前で、ヒロタはわけのわからない顔をしている。
そりゃあそうだよね? あたしは誰にも言ったことないもの。
あたしがどうして野球の強いこの学校に入学したか――それはきっとヒロタもここに来ると信じていたから。
あたしがどうして吹奏楽をやっているか――野球をやっているヒロタのことを、ずっとずっと応援したかったから。
「アズミ?」
ヒロタの声が聞こえる。あたしは握りしめた手で目元をこする。
なんで涙なんか出るんだろう。もうやだ、わけわかんない。
「あのさぁ。だったら言わせてもらうけど」
耳に響くヒロタの聞き慣れた声。
「アズミはおれの気持ちわかってるわけ?」
「へ?」
顔を上げてヒロタを見た。あたしのことを見下ろすように見ているヒロタ。
「おれがどうして野球つまんなくなったか。アズミはわかるの?」
ぽかんとした顔のまま、首をぶんぶんっと横に振った。ヒロタはふてくされたようにあたしを見て、そして顔をそむけてこう言った。
「お前がいない野球部なんて、全然おもしろくねーんだよ!」
え? それっていったいどういう……。
ヒロタの横顔がみるみるうちに赤くなる。それを見ていたあたしの心臓がおかしいほど高鳴り始める。
うわー、ナニコレ。静まれ静まれ、あたしの心臓!
パニックになりかけながらも年上ぶって、平静を装うあたしのことを、ヒロタがちらりと見て言った。
「入部希望」
「は?」
「吹奏楽部に入部希望」
「だ、誰が?」
「だからおれが!」
「ななな、なんで!」
舌回ってないよ、あたし。
「アズミと一緒に甲子園に行きたいから、に決まってるじゃん!」
そう言った後、あたしの顔をじっと見て、いたずらっぽく笑ったヒロタ。
「そーゆーわけだから。明日からよろしく先輩」
「はぁ? あんたなに考え……ちょっ、ちょっと待ちなよっ、ヒロタ!」
ヒロタが笑いながらイヤホンをつけて、あたしを無視して歩き出す。あたしはそんなヒロタのあとを追いかけて、その隣に並ぶ。
ヒロタの隣。いつもあの子が並んでいる場所。
するとヒロタが前を見たままつぶやいた。
「あの子のことは、なんとも思ってないから」
あたしの左手がふんわりとあったかくなる。
「ホントーにただの友達だから。アズミが想像してるようなことは、なんにもないから」
言い訳みたいなヒロタのセリフがなんだかすごくおかしくて、あたしも前を見たままふっと笑う。左の手にヒロタのぬくもりを感じながら。
「うん。もうわかったよ」
「それからこの頭も変えないからな」
「え、なんで?」
「なんでって……お前がカッコいいって言ったんじゃん! 中学生の頃、雑誌見ながら! 坊主頭のおれの前で!」
えー? そんなこと言ったっけ? そう言えば言ったかもしれないなぁ。当時好きだったアイドルの写真見て。
「はぁ? でも顔違うし。髪型だけ真似されてもなぁ」
「うっせ。だまれ。バーカ」
「イヤホン外してよ」
「ぜってーヤダ」
つながり合った手をぎゅっと握ったら、ヒロタも握り返してきた。そしてそのまま手をつないで、夕暮れの道を並んで歩く。
あたしの隣にはヒロタ。ヒロタの隣にはあたし。
うーん、少し見慣れたせいかな? その髪型もなかなかいいかもなんて思えてきたりして。
ばらばらだった二人の道がひとつになって、あたしたちの未来はここから始まる。
なーんて、ヒロタの隣で考えた春の放課後だった。




