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短編・白

雪舞う坂道で

作者: 早坂智也

短編です、雪降ると大変ですよね、普段降らない地域だと

 季節はこんこと雪が降り積もる冬、

今年は例年以上の寒さだという気象庁の発表もあり、

予想通り積雪を伴う日が多かった。

普段は降雨時に使う傘もこの季節に限り対降雪用防御シールドと化す。

国道を走る車のタイヤにはチェーンが撒かれており、

まるでこの街が雪国であるかのような錯覚に陥る。

そんな取り留めもない事を想像しながら、

あたし佐藤彩乃さとう・あやのは、

大学内にある生徒専用のフリースペースの窓際の席に腰を降ろしていた。

椅子の金属部分が足に当たるとあまりの冷たさに驚いてしまう。

欠伸を一つ入れながら空から舞い降りる白雪を眺めていた。

辛うじて結える程度に伸ばしている髪をいじりながら。


「あ~あ……結局降って来ちゃった。

 今日は夕飯の買い出しをして帰るつもりだったのに。

 もう、あたしが帰る頃までは降らないって、お天気お姉さん朝の番組で言ってたのになぁ。」

「ほう、気怠い午後のひとときに窓の外を眺めながら優雅に独り言とは、

 お前はどこのセレブリティだ?」


 あたしの背後に気配が生まれる。

よく知っている気配だってのは大嘘で、あたしは偶然窓に友人の姿が映っているのを見ていた。

かなり怖い表情をしていた事もあり直視はしてないけど。


「南区でマンション住まいのただの女子大生ですぅ、てへっ♪」

「てへっ♪じゃないっ!

 私をいつまで待たせるつもりだ!

 確か言ってたよなぁ

 ”講義が終わったら講堂前に集合ね、遅れないでよ”ってな!

 気になって教室に戻ってみれば案の定だ!」

「ゴメンなさい!

 ご飯食べたら眠たくなっちゃって茶道部の部室借りて寝てました!」

「お前はどっかの不良中学生か!」


 あたしは取り敢えず平謝りに徹した。

雪が降り積もる程に冷えきったこの日に、

友人である平田由宇ひらた・ゆう

一時間近くも暖を取る手段のない講堂前で、

待ち合わせを提案した本人であるあたしを待ってくれていたからだ。

由宇の長くて綺麗な黒髪に少し雪が付いていた。

あたしを睨み付ける瞳は正に氷のように冷たく雪女ばりに見えたが、

肌は寒さのせいで頬や鼻頭は紅いが全体的に血の気は失せていた。


「ほんとゴメンっ、お詫びにあたしに出来る事なら何でも言ってっ!

 力になるからっ!」

「……”MARYマリー”の新作、確か今日だったなぁ、

 私、まだ食べてないんだよな。」

「イエス・マム! では早速参りましょう!

 ”MARY”の新作は近所の甘味好きにとっては見逃せないニュースですもんね、

 お店に行って売り切れとあっては一大事です、ささ参りましょう!

 あ、もちろんお代はワタクシめから出させて頂きますとも、ええ!」

「卑屈だな……。」


 今回のポカについて、あたしは言い訳をしなかった。

自業自得なのだから、当然と言えば当然であるが。

原因は昨日の夜に思わず見てしまった懐かしのアニメDVDである。

昨日の帰り道にレンタル店へ寄った事がターニングポイント、

そして懐かしさのあまり全巻大人借りをしてしまい、

昨日の段階で半分まで見てしまった事が運の尽き。

そのアニメはあたしが小学生の頃に放送していた感動作で、

当時リアルタイムで見ており大好きだったのだからしょうがない。


 故に、夜更かし及び目の酷使も相まって、

昼食を取った後に猛烈な眠気に襲われてしまったわけなのである。

さすがに講義中に眠りこけるワケにはいかないと思い、

所属している茶道部の部室へ行き、

押し入れに押し込んであったコタツと毛布を取り出し、

即席の”あたし専用ぬくぬくお昼寝セット”を作って、

心地よい夢の世界へとあたしは旅だったわけである。


「元気いっぱいだな彩乃あやのは。

 まあ昼食後に爆睡してたんだから、当然だよな。」

「……意外と引っ張るじゃん。

 もう、その件については”MARY”の新作で手を打ったでしょ!

 あたし的にもあんまり振り返りたくないシーンなんだから~。」

「あはは、そんだけ気にしているなら私的にはこれ以上突っ込む気はないよ。

 さてと、雪が積もりる前に”MARY”へ行こうか。

 彩乃も買い出しがあるんだろうしさ、急ごう。」

「おっけ~、今日はあたしと弟しかいないから、急ぎめで帰んなきゃ。」


 あたし達は雪が降りしきる中、

吐息の白さに寒さを実感しながら大学を後にしたのだった。


********


 さて問題はここから。

雪が降るだけなら何の問題もないけど、

ここはそれなりに多くの人が生活を営む小都市で、

且つおまけに滅多に雪が積もる事なんてない場所にあるのだから、もうお解りだろう。

あたしの予想通り大学を出ると街はちょっとした混乱に見舞われていた。

つるつる~っと公道を滑って行く自家用車、

豪快にすっころぶ自転車に乗ったおばさん、

そして物珍しい様子で元気よく走り回る子ども達。

あたし達はその様子を横目に目的地である駅へ向かっていた。


「予想通りですなぁ~、皆さん景気よくはしゃいでますねぇ。」

「相変わらずこの街の対雪能力には呆れる。」

「なんで?」

「去年の大雪でかなりの被害を被った事を忘れたのか。

 まあ滅多に雪なんて降らない地域だし

 二年連続で積もるとは予想出来なかっただろうとは思うが、ここはだなぁ~……。」

「いいんじゃない~?

 滅多に積もらない雪に対してオタオタする人々。

 これはこれで一種の風物詩とは思わんかね由宇君、うんうん。」

「……趣味悪いよ彩乃。」


 あたし達は取り留めのない会話をしながら、飾り気のない街のアーケードを歩いていた。

流石にこの寒さと降雪のせいだと思うが、多くの店がシャッターを降ろし店を閉めていた。

商売っ気の無いアーケードだなと思われても仕方がない気がする。

由宇と喋りながら十五分程で、通学に使っているいつもの駅に着いた。


 駅は五十年も前に建設された古い建物で、

あちこちに目立つ亀裂や塗料が剥げてしまっているところがある。

改修工事の話は出ているらしいけど、どうやら上手く前に進んでいないらしい。

築五十年と言えばそれなりの年代物、それゆえレトロな雰囲気も出ている。

その外観から一部のマニア達に人気があるようで反対の声は当然のようにあがった。

そんなこんなで未だに着工には至っていない。

ただ今日の降雪で建物のダメージは大きくさらに増えているのは間違いないと思う。


 駅の構内は大勢の人で賑わっていた。

普段もそれなりに電車を利用する客で賑わいを見せているが今日は一味違っている。

賑わいと言うよりは、雰囲気が少し殺気立っているように見えた。

あたし達はお互いの顔を見合わせた後、原因を探るために人集りの中へ入っていった。


「申し訳御座いません!

 降雪の影響で線路の凍結が確認されていまして、このまま運行しますと事故の危険性が御座います。

 現在運行を見合わせており、状況が変わり次第追ってご連絡致しますので、

 不明点につきましては駅員までお申し付けください!」


 駅員が必死に迫り来る乗客に対して状況の説明をしていた。

マイクを使わずに声のみで怒鳴っているように叫んでいる。

この騒ぎじゃどれだけの人間に伝わっているか知れない。


「いつ動くんだよ!

 俺は今から大事な商談があるんだ! どうにかしろっ!」

「子どもを迎えに行かなきゃならないのよ!?」


 予想通り駅員の説明を聞いていない人達の怒号が飛んでいた。

あれでは駅員が可哀想だ。

その時、あたしは一つ重要なことに気づいてしまった。

思わず膝を床につきそうになる。


「……ま、待って、電車が動かないって事は

 あたし達も身動きとれないって事じゃない?!」


 血の気が失せていくのが判る。冷や汗も出てきた気がする。


「今頃それを言うか。

 あんた自分で言ってたじゃない、一種の風物詩だーって。

 言っておくけど私はこの展開は読んでたからな。

 てっきり歩きで”MARY”まで行くものと思ってたぞ。」


 冷静にあたしの問いに返答をしてくれる由宇。

この時ばかりは、この由宇のクールさが頼もしいなあ、と感じた日はない。


「いやいやいやいや、歩きでは流石に。」

「……はて、どうしたものか。」


*********


 あたし達は状況が動くことを期待して、

駅構内で営業をしているカフェテリアに入った。

普段より二割増しで客が多かった。

みんな考える事は一緒のようだ。

店内に入った瞬間、コーヒーの香ばしい匂いが寒さで悴んだ鼻を刺激する。

冷えた身体に暖かいコーヒーはたまらない、とあたしは由宇に注文を任せ先に席確保へ向かった。

出来れば窓側で外の様子を確認できる位置がいい。

あたしは取り敢えず弟に現在の状況を連絡する事にした。


「もしもし~? 彩斗あやと?」

『何のようだよ、今忙しいんだけど。』

「あんた家にいないの?」

『うん、今は友達の家。

 姉ちゃんこそどこにいんだよ、今日は姉ちゃんが飯の当番だろ?』


 ふと気づくといつの間にかあたしの座っているテーブルの上に、湯気の昇るカップが置かれてある。

あたしの注文通りブレンドコーヒーだ。

隣を見ると由宇が腰を降ろしており、ミルクを入れてかき混ぜているところだった。

それにしても彩斗のヤツ、今日はあたしが当番だからって友達の家に逃げたんじゃないだろうな。


「あ~……ほら、雪のせいで電車が止まっちゃってね、身動きとれないんだぁ。」

『は? マジでか。

 ……ちょっと待てよ、何でまだ外にいんだよ。

 朝家を出るとき午前上がりとか言ってなかったか?』

「だ、大学生には色々あるのよ。

 と言うわけで少し帰りが遅くなるから……。」


 電話の奥で何やら聞き慣れぬクラシックが流れていた。

さらには、キャッキャウフフ的な楽しげな女の声も追加だ。

お姉さん的にはどう反応したらいいのか困ってしまった。


「彩斗、忙しいって……何やってんの?!

 まさかお姉ちゃんに言えないような……?!」

『だから友達の家で遊んでるんだっての!

 何やってるってゲームだよゲームっ!』

「ま、まあいいわ。夕飯時までには帰ってくんのよっ!」

『うるせーって、お前はオカンかっ!』


 そう彩斗は電話越しに言い放ちぷちっと電話を切ったのだった。

あの野郎、お姉様の心配をうるせーの一言で済ますとは許せん。

あたしは若干イライラしながら手元にあったコーヒーを一気に飲み干した。

湯気が出ているくらいに熱せられた中身の入ったカップだと忘れて。


「うにゃあぁぁぁぁっ!!??」

「……アイスが良かった?」

「お冷や……もらって……きてくだされ……うぅ……。」


 由宇の提案に従わない理由はない。

あたしは無言の頷きで、水を要求したのだった。


「誰かと思えば佐藤さんじゃんか、どしたの?」


 あたしがあまりの熱さに悶えていると、背後から優しげだが、

どこか頼りないほわっとした男性の声がした。

あたしはその声に聞き覚えがある。

あたしは少々涙目のまま後ろを振り向いた。

そこには少し長めにカットされた黒髪の青年が、少し心配そうにあたしを見つめていた。

今まで外にいたのか着ていたジャケットに雪が溶けないで残っている。


「何だか苦しそうだけど、もしかして喉が詰まったとか?」

「……おしいっじゃなくて……、

 熱いコーヒーを一気飲みしちゃったせいで、喉が大ダメージなの!」

「あはは、何やってんだよ~バカだなぁ~。」

「う、うっさいなぁ。

 と、ところで何でここに晃太君がいるのよ、

 今日は風邪引いたとかで休んでたじゃない。」


 彼の名前は遠山晃太とおやまこうた

あたし達と同学年で学科も同じ、あたしの数少ない男友達の一人である。

いつものほほんとしているが、

よく講義中に堂々と居眠りをかますどこか肝の据わったところもある。

由宇曰く、何も考えていないだけ、との事だったが

これについてはあたしも全面的に同意している。

見ての通りの人物だが、週に二回程度の頻度で”風邪を引いた”という

あからさまに嘘の理由で大学を休む時がある。

もちろん本当の理由は知らない。

由宇は……意外と知っている気がする。


「おー、彩乃が珍しく男と話してると思ったら晃太じゃないか。」


 少し離れたところで水を貰ってきた由宇がニヤニヤした表情であたし達を見ていた。

何だか知らないけど小馬鹿にされているような気がする。

あたしは早く早くと身振りで由宇を呼ぶ。

口で言えば早いところだけど、

実はさっきからヒリヒリ具合が半端無い状態で声を出すのも億劫になっていたのだ。


「由宇姐さんもいたんだ。ちゃーす。」

「だから、その姐さんはやめろって。

 私だけあんた達より年上みたいじゃないか。」

「でも違和感ないよね。

 よっ姉貴!カッコイイ!」


 由宇もあたしや晃太君と同い年なのだが、

あたしよりも長身でさらに頼りがいのある性格をしている事もあり、

よくあたし達よりも年上に見られることが多かった。

本人は不本意であるらしく事ある毎に否定していた。

面白がってからかうのもあたし達の間じゃ最早日常と化していた。


「晃太、この水飲みなよ。

 彩乃はいらないらしいから。」

「ゴメンナサイ。

 お水ください。もうからかいませんです、はい。」


 平謝りパート2。

どうも今日は星の巡りが悪いらしい。


「それはそうと晃太、どうしてアンタがここにいるんだ?」


 そう言えばあたしもそれを聞いていたところだった。

由宇のせいで話の腰が折れたままになっていたんだ。

この男、何故にこのタイミングでここにいたのだろう。


「いや~、今日は駅構内のショップでバイトしてたんだけど、

 見ての通りのお天気状態だしさ。

 客も少ないからうちの店長が今日は店終いだって言って強制上がりになったんだよ。」

「ふーん、でも何で外にいたの?」

「駅の駐車場に止めてた車を見てきたんだよ。

 この大雪だしさ、流石に凍ってやしないか心配になってね。

 取り敢えず動く事は判ったから帰ろうかなと思ったら、

 カフェに見たことがある二人がいるじゃないか。」

「あぁなるほど、それであたし達を見つけたわけか。

 これはちゃーんす。」

「お、彩乃が悪巧みを考えている目をしている。

 晃太、覚悟しといた方がいいぞ。」


 晃太君=車。

つまりこのまま晃太君の車で送って貰えれば、

あたし達は何の苦労もなく帰れるじゃないか、とあたしの頭脳はそう解析した。

この間、僅かにレイコンマ一秒。

となると話は早い、あたしは晃太君の手を握りしめ上目遣いで、

自分で一番カワイイと思っている表情をして説得することにした。


「だからね、晃太君っ!」

「……あ、へ、な、何?」

「なるほどね、こういう時はホントにキレがいいな彩乃は。」


 晃太君はあたしの顔は見ず、明後日の方向を見ていた。

何だか表情損した気がする。


「わ、判ったよ。二人を送ればいいんだろ?」

「さっすが晃太。

 ……と言うわけで、取り敢えず南区にある”MARY”へ向かおうか。」

「”MARY”……?

 なにそれ? 家に帰るんじゃないの?」

「彩乃との約束でね、ちょいとその店に用があるのさ。」


 由宇姐さん流石です。

いついかなる時でも約束は守るべきですよね。

あたしは少し肩を落としていた。

このちょっとしたドタバタで”MARY”の件は忘れてくれていたらと思っていたからだ。

だが、そう上手くいかないのは世の中の常と言うことなのだろう。


「じゃあ取り敢えず駐車場まで走ろうか。」


********


「へー、小さくて結構カワイイね、これなんて車?

 よくわかんないけど。」


 晃太君の車は小型で小回りの効きそうな感じで、淡い青色のカラーリングがカワイかった。

ドアが二個あって、少しレトロなデザインのコンパクトカーというヤツだろうか。

あたし自身は運転免許を持っていないから、イマイチ車のことは判らない。

……だけど全く興味が無いわけじゃない。


「わかんないのに知りたいのかっ!」

「えーっとね”スロープ20/11”って言って、

 小型・軽量・低コストと俺みたいな貧乏学生にはぴったりな車さ。

 欧州車のデザインコンセプトを取り入れた画期的な造形でね、

 最近のハイブリッドうんぬん……。」

「ウンチクはいいから、さっさと車だそう。」


 あたし達三人は目的地である”MARY”への進路を採っていた。

車内はエアコンが効いていてほっとするくらいに暖かく、

外気との差がかなりあったことを実感した。

おかげで車の窓は曇ってしまい、いちいち手で拭わないと外が見えないくらいだった。

あたしは助手席に座って道案内をする事になった。

由宇は後部座席で伸び伸びとしている。

あ、いいなそれ。


「それにしてもやっぱ今日は車少ないなぁ~、

 いつものこの時間、こんなにスムーズに流れてる事なんてないよ。」

「おぉ~っすげっチェーン巻いてる車走ってるっ!

 まるで雪国じゃんっ!」

「彩乃、お前は子どもかっ!」


 あたしは少し興奮していた。

まさか地元でチェーン車を見ることが出来るなんて。

いやなんか”あたしがチェーン車を好き”みたいな感じになっているかもだけど、

別にチェーン車が好きなわけじゃない。

この雪が降ってますよ~、という冬らしい風景が好きなのだ。


「”MARY”はこっちでいいんだよね?」

「ああ、次の交差点を左に曲がって坂を下ったところにある洋菓子店がそう。」


 晃太君はすいすいと慣れた手つきで雪道の中、車を走らせていた。

それにしてもハンドル捌きが上手すぎる気がする。

路面が凍結しているところもあるだろうに、それを感じさせない完璧な運転操作だ。

あたしは思わずふむふむと首を振り感心してしまった。


「それにしても晃太君、運転上手いよね。

 なんで?」

「なんで?と言われてもなぁ。

 俺としては”何となく”としか答えられないなぁ。」

「晃太らしいわ、うん。」


 しばらく進むと交差点にぶつかった。

ここを左に曲がれば”MARY”につくはず。

あたしが指示するように晃太君の車は交差点で左に曲がり、きゅるきゅると軽快な音をたてた。

道の先は緩やかだがそれなりに距離のある坂道になっている。

ここら辺一体は、住宅街と言うこともあり、歩道には桜の木が等間隔で植えられている。

春になれば薄ピンク色の花を咲かせ、坂を通る人々の目や心を楽しませる、

それはそれは華麗な光景になる。


「あの店じゃないの?”MARY”って。」

「そうそう。」

「でも何だか暗いよ?

 こんなに曇っていて暗いのに。」

「マジっすか?」


 あたし達は晃太君の言葉に従って、”MARY”の方を見やった。

確かに晃太君の言う通り、店内は明かり一つ点いておらず客の姿も無かった。

時間はまだ十五時、おまけに今日は”MARY”の新作の発売日のはず、

客が誰も居ないと言うのは不思議でならない。

あたしは晃太君に店の前まで車を回してと伝えた。


「……”本日は悪天候の為、午後よりお休み致します”だと?!」

「あ、由宇が珍しく動揺している。」

「まあさすがにね。

 この悪天候じゃ店を開いていてもお客さんなんて来ないよなぁ。」


 後部座席で由宇がガクッと肩を落として、まさに落胆していた。

どうやら本気で”MARY”の新作を食べたかったらしく、

さっきまでとは打って変わって気の抜けた顔をしていた。


「こりゃ残念だったね。

 あたしも”MARY”の新作は食べたかったから残念だよー。」

「……ふ、ふふ……ふふふ。

 絶対に食べてやる、食べてやるぞ”MARY”!!!」


 あ、復活した。


「いや”MARY”は食べられないよ……ってどうすんの、これから。」

「取り敢えず第一目標は達成無理だったわけで、次は由宇の家とあたしの家かな。」

「いや、彩乃の家だけでいい。」


 あたしはバックミラーに映った由宇の顔を見た瞬間、寒気がした。

目が据わってる。目が据わってますよ由宇さん。

残念ながら考えていることは大体判ってしまった。


「……わかったわよぉ、今日はウチに泊まるつもりなんでしょ。」

「うん。翌日、朝イチで買いに行くぞ。」

「はは……そりゃ大変だ。

 じゃあ、次は佐藤さんちな。」

「よろしくお願いします。」


********


 三十分後、あたしは生きている間に”地獄”を見る事ができた。

いや、ただしくは現在進行形で味わっていた。

阿鼻叫喚とはよく言ったものだ。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!

 誰か止めてーっ!!!」

「晃太!

 お前、もっと安全運転しろっ!」

「してるよ! 全力でしてるよ!」


 神がかりなハンドル捌きで晃太君は自身の愛車を操縦していた。

凍結している路面上を右に左にまるでジェットコースターばりの動きを見せていた。

奇跡的にガードレールや信号機にはまだぶつかっていない。

しかし人を轢いてしまいそうになったこと三回、

物にぶつかりそうになったこと五回、

何故か車が回転したこと二回。

思い出しただけでも身の毛もよだつ。

と言うか思い出したくない。


「うわぁぁぁっ!!!」

「ぶつかる~っ!!!」


 あたしは眼前に現れた回避不能の物体の存在を視認した瞬間、気を失った。


********


 気がつくとあたしは晃太君に背負われていた。

状況が理解できない。

何であたしは晃太君に背負われてるの?

あたしは身動ぎしたが、どうにも足腰に力が入らない。

あたしは自分の身体の状況を確かめる為に色々と動かしてみた。

首は痛くない、頭も痛くない、両手は問題なく動いた。

雪の上を歩く晃太君の足音が少し重く感じられた。


「あ、気がついた。」

「ちょ、え? なんで?

 なんで、あたしは晃太君におぶってもらってるの?」

「忘れたのか彩乃。

 あんたは気絶しちゃったんだぞ。」

「あ……そっか。

 あたしあの後、倒れちゃったんだ……。」


 状況把握及び理解。

それはそうと良くみんな無事だったものだ。

実際のところあたしは気絶してしまっていたから、

具体的な被害状況は判らないが、

道を歩く二人の様子を見る限りでは身体自体に怪我はないらしい。


「ねえ晃太君、車は?」

「あははは……置いてきた。」

「いや、ボンネットから煙が出てきたときは焦ったな。

 爆発すると思ったぞ。」

「大丈夫なの?」

「まあ、保険入ってるし、何とかなるかなーなんて思ってたり。

 それよりも誰も怪我しなかったんだから良かったよ。

 ってかあの状況で被害が俺の車だけだったってのもラッキーだったかもね。」


 あっけらかんといい放つ晃太君の姿を見て、

あたしは少し申し訳ない気持ちになっていた。

間接的とは言え、あたし達の家に向かう途中で起きた事故なのだ。

あたしの家に行く事が無ければ起き得なかったとも言える。

だがこの事を言おうものなら、二人から相当怒られる気がした。


「……アリガトウ晃太君。

 大丈夫だよ、もう自分で歩けるから。」

「お、行けそう?」

「無理すんなよ彩乃って、マンションに着いたか。」


 由宇の言う通り、あたし達はあたしのマンションの入り口まで来ていた。

あたしは晃太君の背中から降りると、身体に付いていた雪を払う。

思ったよりも多くの粉雪があたしから落ちた。


「やっと着いた~、ねえ由宇、今何時?」

「えーっとちょい待ち……うわっ!

 18時廻ってるし!」

「うへぇ……二人を拾ってから3時間近くもかかったのか……。」


 あたし達は疲労困憊のままフラフラとマンションのエレベーターに乗った。

エレベーター内であたし達は一言も言葉を交わさなかった。

ただ二人は、足が痛いだの、疲れたーだのつぶやきレベルのことは言っていたけど。

マンションのあたしの部屋の前に着いた瞬間、部屋のドアが突然開く。

あたしは思わず地面に座り込んでしまった。


「姉ちゃん、やっと帰ってきたか!」


 ドアを開けた人物は我が弟、彩斗だった。

少しイライラしているようで目つきがちょっと吊り上がっている。

あたしはドア開けた相手が彩斗だったことに胸を撫で下ろした。


「な、なんだ彩斗か……。」

「なんだじゃねーよっ!

 姉ちゃんが夕飯の当番だろっ! 待ってたんだぞっ!」

「ご、ゴメン。

 ……ってあんた何食べてんの?」

「ん? これ? 友達んちで貰った。

 腹減ってたから丁度いいやって思って。

 あと一個残ってるから食う?」


 何者かがあたしの肩を強く握る。

それもガシっと。

恐る恐る振り向くと由宇が鋭い視線で、彩斗が食べているものを見つめていた。


「なあ弟君、

 君が持っているそれはもしや”MARY”のお菓子ではないかね?」

「え……?

 まあ、そう、だけど。」

「ほほぅっ!」

「新作作ったから味見してみろって親御さんに……。」


 その言葉を彩斗が発した瞬間、由宇はもの凄い早さであたしの部屋に飛び込んだ。

あまりの早さと常軌を逸していると言っても過言ではない勢いで、呆気にとられてしまった。

そうこうしているうちに、由宇はにこやかな笑顔を称え、

”MARY”の新作を手に取って戻ってきた。


「いやー悪い悪い。

 つい我を忘れてしまった。」

「さ、さすが由宇姐さんだ……。」


 入手経路はやや特殊だが、

由宇は当初の目的である”MARY”の新作を手にしたわけだ。


「姉ちゃん、飯っ! 腹減ったぞ!」

「わかったわよ、今から作るから部屋に戻ってなって。

 そうだ、由宇も晃太君もお腹減ってるでしょ?

 うちで食べて行きなよ、ここまで運んでくれたお礼もしたいし。」

「え、いいの?

 いやー助かるよ、今日はコンビニか牛丼かで悩んでたところだったんだ。」


 今日は何を作ろうかな。

あんまり時間がかからないものがいいかな。

彩斗うるさいし…って今日は確か食材を買いにいくつもりだったような……。


「うあああああっ!!!!」


 あたしは叫んだ。叫ばずにはいられなかった。


「今日の夕飯の材料買い忘れてた~っ!!!!」

「は、はぁ?!!」


 一瞬目眩がした。完璧に忘れていた。

色々ありすぎて完全に脳内から抜けていた。

隣で晃太君が真っ白になって崩れ落ちていた。

そ、そんなにあたしの夕飯が楽しみだったのかな。

そんなことは無いか。


「どうすんだよ、今日の夕飯っ!

 この雪じゃ出前のラーメンもピザのバイク便だってこねーぞっ!!」

「う、うっさいわね!」


 その後、あたしは家にある食材を片っ端からかき集めて、どうにかこうにか料理の形にした。

あり合わせも良いところだが文句は言っていられない。

幸いだったのは卵とお米があった事、ただし米は少し古い。

取り敢えず丼モノの卵とじで体裁を整える。

コメさえあれば日本人ならばどうとでも成る、との由宇の有り難い進言のおかげか。

冷蔵庫の野菜室にあったあまり野菜はしなびた風味のサラダで、

あたしはケリを付けることにしたのだった。


「さ、サラダ?なのか、これは。」

「……何だか黒いブツブツや、

 青紫色の液状のものが散見してるんだけど……。」

「と、取り敢えず食べてみてよ。ほら彩斗も。」

「……ま、不味そうだ。」


 翌日、あたしと彩斗は寝込む羽目になった。

どうやらあのサラダが原因らしい。

あとで聞いた話では由宇と晃太君も同様に寝込んだらしい。

正直スマンかった……。



終わり

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