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定食屋 太陽と月

1品目『鶏の唐揚げ定食』

作者: 髙島 ダイト
掲載日:2026/06/20

最後にまともな休憩を取ったのはいつだったか…。

昼休憩というより、夕方18時を回ってようやく一息つける時間を確保できたのだ。会社の外に一歩出ると、夕方に仕事を終え各々の帰路に足早に歩を進める人々が目の前に溢れている。そんな中、間をすり抜け、もうすぐ社会人2年目を迎える賢治は何を胃の中にいれ、煩い腹の虫を黙らせるかを思案していた。

食べたらまたすぐに戻らないと…。

もう一度言おう。時刻は18時だが、【仕事の合間の休憩時間】なのである。多くの人の常識なら18時は夕方。しかし、順次休憩を取る賢治の部署では、夕方に休憩が回ってくる事もザラで、むしろご飯を食べる時間を確保できるだけでも御の字のような、ブラック企業だった。頭がいいわけでは無かったが、大学を卒業するまでは普通の人生だったはずだ。一体、どこで道を誤ったのか…。

大通りに店を構える居酒屋でも一日の繁忙期と言わんばかりにあちらこちらで賑やかな声が響いていた。そんな活気付く夕方の街並みにこの後も仕事が控えている賢治は嫌気が指し、大通りから近い小道に逸れて、耳に残る残響を振り切った。流石にコンビニ位は有っただろうと、曖昧な記憶を頼りに歩を進める。すると、閑静な小道の中程に暖簾が風に吹かれ揺れているのと営業中を主張するように、優しい電気の灯りが見えた。

こんな所にラーメン屋でもあったのか?でもラーメンの匂いはしないし…。

暖簾が見えてから、足は止まることを忘れ、吸い寄せられるように歩き続けた。足がようやく止まった時、暖簾の文字がやっと見えた。


定食屋 太陽と月


少しラーメンの口になりかけていた賢治だが、思い返せばここ数日の昼飯はカップ麺やコンビニパスタなど、麺料理しか口にしていない。

たまには定食も悪くない。

賢治は暖簾を潜り、ガラガラガラと戸を開け、店内に入った。

「いらっしゃいませ〜ッ!」

「いらっしゃいませ。」

二人の店員が賢治を迎え入れる。店内の様々な料理の香りが賢治を鼻孔をくすぐる。

「お好きな席にどうぞ!」

店員のうち、女性の方が元気よく席へと誘う。もう一人の男性店員は、なにやら厨房で食材を捌いているのだろう。包丁とまな板の音が店内に優しく響いている。座敷が二ブロックとカウンターが10席ほど。カウンターでは先に来ていた男性二人組が、ジョッキが汗を掻くほどキンキンに冷えているであろうビールと枝豆、ハムカツ、卵焼きを肴に、楽しそうに酒盛りをしている。どうやら、定食以外にも単品での注文もできるようだ。男性客から少し席の離れたカウンター席の一角に向かい、スーツのジャケットのボタンを外す。席についてすぐに流れるような所作で、元気な女性店員がおしぼりとお冷を持ってきてくれた。

「ご注文はお決まりになりましたら、お声がけください。こちらは本日の突き出しの【キュウリとわかめの酢の物】です。お代わり無料ですので、お好きなだけ召し上がって下さいね。」

簡単な説明とコトリと小鉢を目の前に置いてくれた。突き出しがお代わり無料は嬉しい。



おしぼりで手を拭い、箸立てから箸を取る。キュウリとわかめの緑色にゴマの白が綺麗に映える。小鉢からキュウリを掴み、口へと運ぶ。シャキッ、シャキッとキュウリを咀嚼する。

「…美味い」

つい口に出してしまった。酒盛り二人組の会話で店内は盛り上がっていたから、賢治の呟きが会話を止めてしまうことは無かったが、厨房の中の料理人の口から小さく笑みが漏れた事見てしまった賢治は、呟きが聞こえてしまったかと、少しだけ耳が赤く染まったのを感じた。照れ隠しで、箸を進める。

仕事疲れの身体に酢のさっぱり感がとても染み渡る。

小鉢をあっという間に空にし、カウンターに目を向けると、写真立て位の小さなコルク板に手書きで【本日のおすすめ】と書かれた紙が画鋲で止められているのに気付いた。


『【本日のおすすめ】鶏の唐揚げ/チキンソテー/筑前煮 ※単体注文・定食承ります。』


鶏肉料理が本日のおすすめと言うことか。おすすめ食材とあらば、食す以外の選択肢は無い。

再びカウンターに目を向けると、さっきの女性店員と目が合った。

「すぐ向かいますね!」と、丁寧な接客で応じてくれた。

「ご注文はお決まりですか?」

「唐揚げを定食にしてほしいんですが、お願いできますか?」

「はい!可能ですよ。その他は大丈夫ですか?」

「あと、このキュウリの小鉢、お代わりで。」

「かしこまりました!唐揚げはご注文頂いてから揚げるので、少し小鉢大目に入れときますね!」

そう言うと、店員さんは小鉢に先程より少し多く突き出しを盛って出してくれた。

注文を受けた料理人は、冷蔵庫からタレに漬け込んである鶏肉を取り出し、片栗粉と混ぜ合わせる。そして、一口大の鶏肉をいくつも慣れた手つきで油の中へと投じる。ジュッと小気味のいい油の音が店内に鳴った。高音の油の中をパチパチと跳ねる音を響かせて、鶏肉が泳ぐ。少しして、カラカラカラ…と揚がる音が変化する。その横で女性店員が、皿に刻まれたキャベツを盛り付け、お盆に茶碗とお吸い物用なのかお椀を準備する。その後店内を見回し、先客の酒盛り二人組と何やら軽口を交わし、空いたお皿を下げていく。裏に姿を消し、水の音が聞こえることから、恐らく先ほどの下げた皿を洗っているのだろう。厨房の男性は、頃合いを見計らって、油の中の鶏肉を油切り用の半月アミに移し、少しして再び、油の中に移動させる。

店内に満遍なく広がる揚げ物の薫り。間も無く自分の前に揚げたての唐揚げが定食として現れる。想像するだけで、ヨダレが溢れてくる。今か今かと完成を待ちながら、賢治はキュウリとわかめの酢の物を口に含み、口内をさっぱりさせる。カラカラカラと揚がる音を聞きながら、今か今かと心を落ち着かせる。


「お待たせしました。【鶏の唐揚げ定食】です!」


洗い物を終えた女性店員によって、賢治の前に完成を待ちわびた定食が運ばれてくる。

十数分と思われる調理時間をついに耐え切ったのだ。

皿半分に盛られたアツアツな唐揚げ、お茶碗の上で光り輝く純白のお米、透き通った出汁の中を泳ぐ溶き卵のスープ。これらの湯気の隙間から姿をのぞかせる、瑞々しさ溢れる千切りキャベツと小鉢に入った冷奴。見た目もさることながら、出来立ての料理の香りが、空腹を戦い抜いた賢治に直撃する。ゴクリッと、溢れ出すヨダレを飲み込み、箸を持ち直す。出来立てホヤホヤ、アツアツの唐揚げを一つつまみ、口へと運ぶ。


ザクッとヒビが入る衣。

ジュワ〜〜ッと押し寄せ、溢れ出す肉汁。

完成を待ちわびていた賢治には喜びもひとしおだ。

普段食べていたカップ麺やコンビニ弁当がいかに味気なかったかを痛感する。

今までの食事がただ腹は膨れても、どこか満たされない自分がいた。誰かが作っている様を目の前で見て、作ってくれている間を待つ時間、出来立てを食べれる幸せがあって、初めて食事が満足するのだろう。

ザクジュワ。

ザクジュワ。

ザクジュワ。

一つ一つと、次々に箸が伸びる。

唐揚げと唐揚げの間に自然に摘む、白米、冷奴、刻みキャベツも箸が進む。


これでビールが呑めたなら……。

この後も仕事が控えているので、先客酒盛り二人組の目の前に置かれてるような汗を掻くほどキンキンに冷えたジョッキに注がれる黄金色の液体を頼むわけにはいかない。だが、こんなに美味い唐揚げなら間違いなくビールが進むことだろう。社畜の悔しさを感じて店内に目をやると、壁に貼られた品書きに『各種ノンアルコール・ソフトドリンク有』と書かれた紙を見つける。いかに昨今のノンアルコールビールが企業努力で進化しているとは言え、どうしても感じてしまう「これじゃない」感。

「…すいません。ジンジャーエール追加で。」

「は〜い、ただいま!」

すぐに運ばれてきたこちらもキンキンに冷えたトールグラスに並々と注がれたジンジャーエール。

もちろんビールには敵わない。

が、これはこれで唐揚げに合う。

唐揚げとジンジャーエールを徐々に減らしていく。

「お客さん、これからまたお仕事ですか?」

「え?」

カウンターから料理人が話しかけてくれた。

突然の問いに賢治はついポカンとしてしまった。

初の来店ではあるが、接客は全て女性店員さんに任せきりだと思い込んでいた。

確かに時間帯はゴールデンタイム。揚げ物に酒類を頼まなかったのはまずかったか。

「そうなんです。すいません。ゴールデンタイムなのにお酒頼めず…。」

「いえいえ、お気になさらないでください。ここには下戸の方もたくさん来られますから。

ただ、どこか我慢されてる表情を浮かべられてたので、何か料理の中に苦手な食材があったのではと思ってしまいましてね。」

「とんでもない!メインの唐揚げから小鉢、汁物に至るまで全て美味しすぎて、もっと早くこちらのお店の存在に気付けていたかったですよ、ホントに。」

「恐縮です。少し分かりにくいところに店構えてますもんね。」

穏やかな料理人の声までもどこか気持ちが良い。

最後の唐揚げを箸で摘み、少し冷めていても感じるサクジュワを堪能し、スープを啜る。

そろそろこの居心地の良い空間から会社に戻るとするか。腹八分の心地よい状態で会計しようとすると、

「お兄さん、この後もお仕事頑張って下さいね。本日はサービスとして皆さんにこちらをお渡ししてるので、良かったら。」

と、女性店員がコトッと小皿を置く。

「私ごく稀にスイーツ作りたくなる日があるんです。今日がたまたまその日で【レモンシャーベット】です。」

アツアツの唐揚げが出していた湯気に変わり、冷気を纏ったレモンシャーベット。酸味のあるレモンの香りが、唐揚げの残り香をスッキリと浄化していく。

「ありがとうございます。頂きます。」

添えられたスプーンでシャーベットを掬う。

シャクリ、シャクリとレモンの酸味が口内をスッキリさせていくのがとても気持ちいい。

あっという間に小皿が空になった。

「ご馳走様でした。とっても美味しかったです!すいませんが、お会計を。」

「こちら伝票です!」

そう言って賢治に出された手書きの勘定書は、他店で外食した際の経験を元に予測していた金額よりもかなり安価だった。

「え、こんなに安くていいんですか?」

「ええ、うちではこの価格設定でやらせて頂いてます。よろしければまた是非お越しください。」

カウンターの中から料理人の男性が微笑んでくれた。

「ええ、必ず!」

会計を終え、ガラガラと、戸口を開け、少し冷え込んだ外に出ると、

『ありがとうございました!』と、二人の店員さんの声が聞こえた。


こんなに居心地がいい定食屋は初めてだ。社内の同僚にはバレるまで隠し通したくなるお気に入りの定食屋【太陽と月】。

この出会いは正に千載一遇だ。


賢治は、しっかりと膨れたお腹から満足感を噛み締め、店を後にし、会社への来た道を戻る。

今の賢治なら、どんな仕事でも頑張れそうな気さえする。


定食屋 太陽と月。

本日も閑静な小道の中程で、優しい雰囲気と美味しい料理で迎え、来店したお客様を満足させて送り出してくれる。

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