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雨龍堂奇譚

作者: 岸脇 葉流

 しとしとと雨が降る薄暗い日に、塔子は偶然その店を見つけた。


 先月東京からUターンして地元に帰り、つい先日から手伝い始めた隣町の伯父の会社のお遣いで、三時のおやつを買いに近くの和菓子屋を探していたのだ。

 伯父の会社は創業120年の日本茶専門店で、観光地化された小さな城下町にある。社員3名、アルバイト1名の零細企業ながら地元の飲食店や企業に茶葉を卸して細々と商売をしている。


 お目当ての店、雲龍堂は弊社の二代目、塔子の曽祖父である松栄(まつえ)の幼馴染が始めた和菓子屋で創業92年、三代にわたってお世話になっている老舗仲間だと聞いている。城下町の特に入り組んだあたりにあり、季節の果物大福が人気の店である。

 車では何度も通り過ぎたことがあるが、実際には初めて足を踏み入れる城下町。

 小さな町役場のやたらと広い駐車場に車を停めて一歩路地に踏み込むと、車も通れない幅で町家長屋が並んでいる。


(雲龍堂、雲龍堂…)

 漢方店の角を右、ジグザグをに買い越して、丸いポストを左、とメモを片手に狭い路地を歩けばたちまち方向感覚が失われていく。

 迷ってうろうろ見渡して、ちょっと戻ってまた進んで、と繰り返していくうちにだんだん道幅も狭くなり舗装もなくなり。

 そろそろ社に電話して助けを呼ぼうかとべそをかきかけたところで、唐突に小さな池に突き当たった。


 特に公園というわけでもなく、ちょうど六角形になった、窓もない町家の壁に囲まれた形の池には、岸から大きくせり出すように、ねじれた枝垂れ柳の大木が立っている。

 見上げても天辺が見えない高さと水面近くまで堂々と長く垂れ下がった枝ぶりが、一本の木を巨大な滝のように見せている。


 入り口も出口もない不思議な池と、そびえ立つ柳の巨木。

 お遣いも忘れて、塔子はふらふらと引き寄せられていった。


 **************


『雨龍堂菓舗』

 その扉を見つけて、塔子はぽかんと口を開けてしまった。

 通りから隠れるように、巨木を回り込んだ反対側に、胸の高さほどの小さな扉が気に埋め込まれている。

 中からは甘い香りが漂ってきて、口の中にじわっと唾がわいてきた。

 こんなところにお店があるなんて。

 いやいや、メモにあるのは『雲龍堂』だ。これは違うお店だ。

 でもなんだってこんな木の中にお菓子屋さんがあるのかしら。

 名前も似ているし、話のタネになるか。飴玉でも買って帰り道を聞こう。

 塔子は静かに扉を引いた。


 扉の中は下りのらせん階段が一周分くらいあって、その先に洞みたいな空間の店があった。

 カウンターが一つだけの店内は薄暗くて、光源はなんだかわからないがところどころ壁が薄黄色く光っている。雨だからか木の中だからか、空気はじめっとしている。

「いらっしゃい」

 カウンターの中から声をかけてくれた店員を見ると、ぼうっと暗闇から浮き上がったような、鋭い目つきの着流しの和装の男性だ。

「あの、雲龍堂というお菓子屋さんを探していて。あ、ここのおすすめは何ですか」

 雰囲気に押されながら、つい余計なことから言ってしまった。

「すみません、私、会社のお遣いで来たんですけど道に迷ってしまって。雲龍堂さんのお饅頭を買いにきたんです」

「雲龍堂の饅頭か。饅頭ならうちも出せんことはない。雲と雨なら似たようなもんだ。ちょっと待ちな」

 眼光鋭く塔子を睨んだあと、そういって男は店の奥に消えた。

 消えたようにいなくなった。


 残された薄暗い店内には陳列棚もなく、でこぼこの壁に達筆すぎて全く読めない書きつけが数枚貼ってあるのみ。

 ぐるりと見渡してみても、営業してるとは思えない設えだ。


(というか、ここやっぱり雲龍堂じゃなかったな)

 雲と雨は似たようなもんかもしれないが、店が違ったら違う店だわ。

 饅頭なんてどこも似たようなものかもしれないが「雲龍堂の饅頭」とは似て非なるものが出てくるはずだ。

 土地勘がないとはいえ、たかだかお遣いでこんなに時間をとった挙句、言われた買い物すら満足にできないなんてお叱り必至、バイト失格である。

 そして店内は物音ひとつせず、しんとしている。

 塔子は不安になって、そわそわと視線をさまよわせた。


 バタン、と突然扉が鳴って、どたどたと足音が下りてきた。

「こんにちはー!注文のもの取りに来ましたぁって、きゃあっ!」


 悲鳴の主を見ると、これでもかと目を真ん丸にした10歳くらいの少女。

 時代劇の町娘ような短い着物を着て、赤い帯をしている。

 パクパクと口をふるわせ、塔子を見て驚いている。

「こんなところに人が来るなんて!

 …あらあなた、松栄のご縁の方?

 ここに来たの?それとも迷い込んじゃったの?」


 食い入るように顔を近づけてくる少女は、雨に当たったのか濡れていて、もわっと水の匂いがする。

 それにしても目が丸い。

 あまりにも顔が近くて、気まずくなって塔子は目を逸らした。

「私ですか。初めてこのあたりに来たんですけど迷ってしまって。

 お菓子屋さんを探していたところだったので、今お店の方にお饅頭を包んでもらっているところです」

 答えると、信じられない、といった顔でのけ反った少女。

「迷い込んだとしても、お饅頭だなんて!言っとくけど、ここの饅頭は大しておいしくないわよ。

 ね、せっかく来たんだから『龍の鱗』を注文なさいよ。おすすめのお菓子なの。あなたはそれを持って帰るべきだわ。ね、そうしなさい。

 ご主人ー!『龍の鱗』を出して!」

 勝手に注文すると、少女は複雑な光沢のワンピースをひらひらさせながら、落ち着きなく塔子を観察し始めた。

(あれ、この子さっき着物じゃなかったかしら)

 塔子もそれとなく少女を見ると、まんまるな目がさらにのっぺりとしてきて、なんだか魚のように見えてくる。

 あれ、と思った瞬間目が合って、きゃあ、と顔を隠した少女は小さな魚になって姿を消してしまった。


(何なの、一体)

 ここまでくると、いくら何でもおかしいことが分かる。

 じめじめした空気がより圧迫感を増した気がして、塔子は腕をさすった。


「お待ちどう」

 竹の皮の包みを二つ持った店主が戻ってきて、はっとして塔子はカウンターに向き直った。

「あの、さっき女の子が。帰ってしまったかもしれないんですけど」

「人は滅多に来ないから逃げたんだろう。そんでもまぁ、『龍の鱗』を持って帰れとは。

 饅頭は早めに食べな。それとこっちが『龍の鱗』」

 説明しながら二つの包みを手早く和紙で包み、紐をかけて渡してくる。

 手渡したときはじめて気づいたかのように、店主が塔子を見た。


「あんたの会社って、もしかして常盤木堂かい。

 …松栄には世話になったんだ。しばらく会ってないが、息災か」

 塔子はいよいよまずいことを聞いた気がして、背中が冷たくなるのを感じた。

 膝が震えるが無理矢理口角を上げる。

「弊社をご存じでしたか。松栄は二代目で、私の曽祖父になります。私が生まれる前に亡くなりまして、今は四代目の松郎が社長をつとめております」

 店主は上に見ても30代後半か40代といったところ。

 今年25歳の塔子が生まれる前が最後で「しばらく」とはどういう尺度だろう。

「そうか…松栄はもう死んだのか」

 人の生とは短いものだ、と店主は目を閉じて嘆息した。


 これは何なのだ。

 この店はやっぱり怪談的なやつなのか。

 ひいおじいちゃんは妖怪と友達だったのか。


 短い黙祷の後、改めて塔子に向き直ると、店主は懐から小さな布袋を出した。

「これを松栄に供えてくれないか。私は命の恩があってな、これをずっと渡したかったんだ。

 曾孫殿、あんたは間違いなく雨龍堂を目指してきた。きっと松栄の計らいだろう」

 そういって塔子に袋を持たせると、店主は扉まで塔子を見送った。


 **************


 店から出て、気が付いたら車の前に立っていた。

 雨はとっくに上がったようで、道路も乾き始めている。

 手には和紙の包みと布袋。

 どこをどう歩いてきたのかわからない。

 狐につままれた心地で慣れた道を走り、会社に戻った。


「ただいま戻りました」

 事務所から奥に声をかけると、すぐに伯父社長が出てくる。

 ぽちゃっとしたやさしい恵比寿顔を見て、塔子はようやく肩の力を抜いた。

「おお、早かったね。すぐに分ったかい?」

「それなんですが…」

 塔子は道に迷ったこと、雨龍堂のこと、店主の話と預かった袋のことを全部伯父に説明した。

「そんなわけで、雲龍堂さんには行けなくて。

 代わりに雨龍堂のお饅頭とおまけで『龍の鱗』をいただきました。

 あ!お金払ってません」

「それはそれは…雲龍堂にはいつでも行けるが、思いがけない珍しいものにありつけるわけだ。

 いや、その店は実は爺さんから聞いたことがあってね。

 子どもの頃、あの池には時々魚を捕りに行ってたんだ。入り口も出口もないのに大きな魚がよく捕れたもんだよ。

 ある時すごく大きな鯉がかかってね、家に持って帰ったら爺さんに言われたんだ。

 あの池の鯉は龍になるんだと。

 だからむやみに捕っちゃいけない、昔ワシも捕まえて、命乞いをされて助けたこともあると。


 柳の枝を滝に見立てて、雨の日に枝が水面に降りるだろう、それを昇って龍になるんだといわれてね。

 おとぎ話の類かと思ったが、本当だったか。

 爺さんは茶屋の息子で甘いものに目がなかったから、きっとそいつは菓子屋になったんだな。

 なんとまあ、義理深いやつがいたもんだ」

 懐かしそうに笑って、袋から取り出したのは丸みを持った雫型の、レンズのような魚の鱗のような半透明の板。

 押すとしなって虹色に光を反射する。

 手のひら大のそれを受け取って、光に透かしてみる。

 何とも言えない気持ちで眺めていると、菓子の包みを開けた伯父が歓声を上げた。

「なんと!水まんじゅうだ。爺さんの大好物だったんだ。中に鯉が泳いでるよ。

 もう一つは琥珀糖だ。その鱗みたいな薄さだな。

 ははは、すごいじゃないか」


 水まんじゅうと言われたお菓子は透明な丸いゼリーのようなもので、中には練り切りでできた緑色の葉と銀色の魚が浮いていて、ふるふると泳いでいるように見える。

 琥珀糖は布袋の中身そっくりな薄さで、ピンクや水色など色々な色の鱗のようだった。

 あまりの美しさに今日一日は仏壇に供えることに決め、塔子はもう一度今日の分のお使いに出ることになった。


 そして、今度はあっけないほど簡単に「雲龍堂」に着いたのだった。


 **************


 後日、記憶を頼りにあの池までたどり着いたが、そこに柳の木はなく、えぐれたような地面だけが残されていた。

 通りかかった人に聞くと、数日前の夕立のときに雷が落ち、真っ二つに割れてしまったらしい。

 幸い火事にはならなかったものの、木は跡形もなく燃え落ちてしまったそうだ。


 その煙が、天に上る龍の姿に見えたとか、見えなかったとか。


 完。

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