騎士団初日
目覚めた時、レンの体は強張っていた。
固い寝台の感触と慣れない匂いが昨日までの生活が終わったことを嫌でも思い出させる。
窓から差し込む朝日が木製の天井を照らしていた。
ここはヴァルシオン王国の騎士団宿舎の一室。
レンに与えられた元物置の質素な個室だ。
それでも破格の待遇と言える。
「うぅ……」
布団から這い出すように起き上がったレンは昨夜の出来事を振り返る。
グレイスからの突然の提案と宿舎への移動。
すべてがあまりに早すぎて現実感がない。
それでも腹の虫が鳴り始めたことで「生きている」という実感が湧いてくる。
「今日から訓練なんだよな……」
鏡を見ると目の下にはうっすらと隈ができていた。
緊張で眠りが浅かったせいだ。
制服は簡素な騎士団の下級職員服。
革ベルトと丈夫なブーツも用意されていた。
支給品の靴紐を結び終えた時、廊下から怒号のような声が響いた。
「おい!そこの人間!早く練兵場へ来い!」
ドアを開けると赤茶けた毛並みの猪獣人の青年が立っていた。
太い鼻先に鋭い牙が見え隠れし、薄い青い瞳がレンを値踏みするように睨んでいる。
「お前が新しい雑用か。」
「えっと……レ、レンです」
「あ?名前なんてどうでもいい。とにかく走れ!」
背中を乱暴に押されながらレンは走り出した。
獣人のスピードに合わせるのは至難の業だ。
息が切れ始めた頃、巨大な円形の訓練場が見えてきた。
既に数十名の騎士たちが集まっていて、その多くが筋骨隆々とした獣人たちだった。彼らの視線が一斉にレンに注がれる。
「遅いぞバスク!」練兵場の端で銀狼獣人のガロウが叫んだ。
「新人にもペース配分くらい教えてやれ」
「すんません!隊長!」バスクと呼ばれた猪獣人は慌てて敬礼した。
そして小声でレンに耳打ちする。
「ガロウ隊長の言うことだけは聞いとけよ。じゃなきゃ俺みたいに鉄拳制裁食らうからな」
汗だくのまま整列するとガロウが前に進み出た。
彼の目は鋭いがどこか温かい光を宿している。
「本日より新入りが加わる。名をレンという。主に雑用と掃除を担当するが……」
ガロウは周囲を見渡し声を潜めた。
「彼はまだ若い。皆も多少は手加減してくれ」
レンは自分の立場を改めて実感した。
周りはみな筋肉質な猛者たち。
自分の細身が浮き彫りになる。
そんな中でもバスクの視線が特に刺さる。
彼だけは笑顔の裏に明らかな敵意を漂わせていた。
「まずは基礎体力作りからだ」
ガロウが命じる。
「ランニング五十周!」
「え!?」
レンが驚いた声を上げた瞬間、隣にいたバスクがニヤリと笑った。
「人間の坊やにはきついだろ?」
彼が嘲笑うように言った。
「俺なんか昨日やらかして十周追加されたぜ」
「喋ってる暇があったら動け!」
ガロウの一喝にバスクは肩を竦めた。
ランニングが始まるとすぐにレンは限界を感じた。
十周を過ぎた頃には膝が笑い始めている。獣人たちの軽快な足音が背後から迫ってくる。
十五周目でとうとう足が止まってしまった。
「おいおい!もう終わりか?」
バスクが嘲るように言いながら追い越していく。
「こんな調子じゃ雑用もまともにこなせねぇぞ?」
途方に暮れているとガロウが近づいてきた。
彼の表情は厳しさを保ちつつも、どこか気遣いの色が見える。
「無理するな。今日は三十周で良い」
彼は小声でレンに告げた。
「あとでグレイス隊長から話があるそうだ」
安堵のため息をつきながらもレンは思った。
(グレイスさん……あの熊獣人は僕をどうするつもりなんだろう)
ランニングの後は柔軟体操と剣の素振り見学。
レンは隅で雑巾がけをしながら見学していた。
騎士たちが模擬剣を振るう姿は見事だったが、中でもバスクの動きが際立っていた。
太い腕からは想像できない繊細な動きをしていた。
「どうだ?凄いだろ?」
バスクが汗を拭いながら自慢げに近づいてきた。
「俺の『強撃』スキルならこれで岩だって砕けるぜ。まあ人間には関係ない話だけどな」
その言葉にレンの胸が痛んだ。
スキル——この世界では一部の人間だけが持つ特権。
しかも自分のような弱者は何も持っていないと決めつけられている。
昼食時、食堂でひとり寂しくパンをかじっていると隣に銀色の影が座った。
「ガロウ……さん」
彼は寡黙な口調で答えた。
「今日はどうだった?」
「……ランニングで倒れちゃいました」
「初日はそんなものだ」
ガロウは肉団子を口に運びながら淡々と言った。
「明日からはもう少し楽になる」
「ありがとうございます」
レンは感謝の言葉を口にした。
「あの……バスクさんは……」
「気にするな」
ガロウは即答した。
「あいつは初めて自分の後輩が出来てはしゃいでるのさ」
その言葉が真実なのか誤魔化しなのか、レンには判断できなかった。
午後の訓練は武器の手入れから始まった。
レンに与えられた仕事は模擬剣を磨くこと。
その際に偶然手にした一本の剣が妙にしっくりと感じられた。
「なんだこれ……」
まるで自分の体の一部のように感じる。
握るだけで体の中から力が湧いてくるような感覚。
試しに軽く振ってみると……。
ヒォッ!と気持ちよく空を斬る音がした
「お前!何をしている!」
怒声に振り向くとガロウの鋭い視線が向けられていた。
その目には驚きの色も混ざっている。
「いえ……手入れを……」
「刃を潰しているはいえ、素人が剣を勝手に振るな」
彼の声は厳しかったが、その後すぐに表情が緩んだ。
「まあ……初めてにしては悪くなかった。その剣はお前に預けておく。明日からはそれを磨け」
夕刻、訓練を終えたレンは宿舎に戻ろうとしていた。
廊下で待ち構えていたのはバスクだった。
「ちょっと話がある」
彼は通路の陰にレンを連れ込んだ。
「お前……なんか隠してるだろ?」
「え?」
「その剣を持つ時の目つき……普通じゃねぇ」
バスクの鼻がピクピクと動く。
どうやら匂いで何かを感じ取っているようだ。
「まさかお前……」
その時、低く響く声が闇を切り裂いた。
「それ以上近づくな」
熊獣人グレイスが壁のように立ち塞がっていた。
彼の巨体が通路を塞ぎ、夕陽の影がさらに大きく見える。
「新人を苛めるのは感心せんな、バスク」
バスクは極めて小さく舌打ちしながら後ずさった。
「はい……失礼しました」
彼の表情には明らかに不満が滲んでいた。
新入りが来て調子に乗っていた矢先に、団長直々の介入である。
ましてやその新入りが人間となればなおさら面白くないのだ。
「命令だ。新人には厳しく接しても構わんが威圧は控えろ」
グレイスの声は静かだが威圧感がある。
「次に同じことをしたら減給処分だ」
「了解です!」
バスクは急に丁寧な口調になった。
彼は目上には従順な性格なのだ。
しかし去り際、レンにだけわかるように小さく舌を出した。




