難民街へ
夕焼けに染まる城下町。レンは冒険者ギルドマスターのハルクと共に、荒くれ者たちが集う酒場兼宿屋の一角にいた。対峙するのは筋骨隆々のスキンヘッド――難民街出身の冒険者スクイヤーだ。
「なんでこんな小僧の護衛なんざやらにゃならんのだ?」
スクイヤーは苛立ちを露わに酒杯を叩きつける。
「しかも行く先はあの難民街だと? 冗談じゃねぇぞ」
「それが依頼だ。文句言うな」
ハルクが重々しい声で制す。
「お前が一番信用できる。それにレン坊は……特別な存在だからな」
レンは黙って俯いていた。治療院でニーナから提案された「人間を救う証明」として貧民街訪問を選んだが、スクイヤーの態度は明らかに刺々しかった。
「わかったよ! 行けばいいんだろ!」
スクイヤーは乱暴に立ち上がった。
「ただし、これ以上俺をイラつかせたら……知らねぇからな」
***
翌朝。二人は高い壁と鉄柵に囲まれた貧民街へ向かった。入口では痩せた人間の門番が睨みを効かせている。
「おいおい、珍しい客が来たな」
門番が嘲笑う。
「獣人様の犬っころが何の用だ?」
「教会の聖女からの依頼を受けここの治療に来ました」
レンが一歩前に出た。
「冗談も大概にしろ!」
門番は唾を吐き捨てる。
「お前らが俺たちに何をしてくれた?」
その時だった。
「……お願い……」
壁の隙間から細い腕が伸びてきた。幼い少女が泣きそうな目でレンを見つめている。
「弟が熱で……苦しそうなの……」
レンは躊躇なく手を伸ばし隙間に差し入れた。スクイヤーが「おい!?」と制止する間もなく、温かな光が指先から漏れ出る。
少女の瞳が驚きで見開かれた。彼女の腕の小さな擦り傷が瞬く間に消えたのだ。
「……今のは……」
スクイヤーが呆然と呟く。
壁の向こうから、ざわめきと共に大人たちが集まり始めた。
***
「出ていけ! 獣人の手先め!」
「この偽善者が!」
罵声と石礫が飛び交う中、レンはただ一人で傷ついた人々の前に立っていた。
スクイヤーが「馬鹿野郎!」と叫びながらレンの前に割って入る。石礫がスクイヤーの左腕を掠めた。鮮血が滴る。
「ぐっ……!」
痛みに顔を歪めるスクイヤー。だがその時、レンは躊躇わずその傷口に掌を当てた。
「大丈夫ですか?」
「放せ! 俺の傷なんぞ……」
抗議しようとするスクイヤーの言葉が途切れた。傷口が淡く輝き、まるで逆再生のように塞がっていく。それだけではない――長年の酒浸りでできた肝臓あたりの鈍痛までが嘘のように消えていくのを感じた。
「……何だ今の?」
スクイヤーの目に動揺が走る。
レンは静かに周囲を見渡した。
「僕にできることはこれだけです。皆さんの心を開けなんて言いません。でも……苦しむ人を一人でも減らしたいんです」
「嘘だ!」
年配の男が叫ぶ。
「そんな都合のいい話があるか!」
「そうだ! 操られてるに違いない!」
騒然とする中、一人の老婆がゆっくりと前に出た。かつて火傷で失明した片目の痕跡があった。
「試してみても……損はないのかもしれんな」彼女がレンに向かって手を伸ばす。「この老いぼれでよければ……治せるかどうか見せてもらおうじゃないか」
レンは深く頷き、老婆の目元に両手を添えた。温かな光が包み込む。老婆の瞼がピクリと動いた。
「……見える……見えるぞ! 左の目が……見える!」
歓声とどよめきが広がった。次第に「俺も」「私も」と列が形成されていく。疑念と恐怖の入り混じった視線は未だあるが、少なくとも暴力は止んだ。
スクイヤーは腕を押さえながらその光景を見つめていた。レンが治癒するたびに、彼自身の古傷もなぜか疼く気がした。
(こいつ……ただの若造じゃねぇ)
ふと視界の端に違和感を覚えた。ヴェールで顔を隠した人影が、護衛と共に民家の陰からレンを凝視している。
「……あいつか?」
スクイヤーは小声で呟いた。噂に聞く教会の聖女に違いなかった。
***
夕刻。長蛇の列がようやく途切れた頃には、レンは疲労で膝をついていた。
「おい、大丈夫か」
スクイヤーが支える。
「平気……です」
レンは虚ろな目で微笑んだ。
「少し休めば……」
「バカか。そんな状態で歩けるわけねぇだろ」
スクイヤーはレンを半ば強引に担ぎ上げた。
その時――
「ありがとう……レン様」
老婆の感謝の言葉が背中に届いた。レンの肩が微かに震える。
「……俺は最初はお前を疑ってた」
スクイヤーが歩きながら言った。
「だがな……」
彼は治癒された腕を軽く拳に握った。
「少なくともお前のその力は本物だ。獣人とか関係なくな」
彼の目線は一度だけ教会の聖女――ニーナの方へ向けられた。ヴェール越しに何かを見透かすような視線が交錯していた。
(あの聖女……何か企んでやがるのか?)
スクイヤーの警戒心はむしろ高まった。だがそれ以上に強く感じるのは……
(このガキ……死なせちゃならねぇ)
守るべき新たな対象への意識だった。




