王都 ヴァルシオンにて
夕陽が草原を朱に染める頃、遠くに城壁の輪郭が見えてきた。
「あれが目的地……?」
呟く蓮——いやレンの声はかすれている。
グレイスが短く告げた。
「王都ヴァルシオン、ノアステラ最大の王国だ。獣人が人口の8割を占める」
「獣人……」
振り返った先には巨大な熊獣人の姿がある。鎧から覗く黒褐色の剛毛。黄金に輝く瞳。
「お前たちが『人間』と呼ぶ種族は多くない。大半が他国の捕虜の末裔か難民だ」
城壁が近づくにつれレンの足取りは重くなった。
「本当に……『藤宮蓮』って名前を捨てなきゃいけないんですか」
グレイスは僅かに眉を寄せる。
「それがお前の命を守るためだ」
「でも……思い出だってあるし……家族だって……」
声が震える。異世界に来た衝撃よりも大切な名前を奪われる痛みの方が辛かった。
「……泣くな」
大きな手が荒っぽく頭を撫でる。不器用な仕草だったが温もりが伝わってきた。
「俺がついている」
短い言葉に込められた想いは重い。グレイスの金の瞳には珍しく柔らかな光が宿っていた。
(なんでだろう……この人だけは信じられる気がする)
***
巨大な門が開くとそこは別世界だった。
石畳の道路を行き交う多種多様な獣人たち。虎の商人が荷車を引き猫耳の少女が露店で果物を売っている。
中央広場では象獣人が音楽隊を率いてドラムを叩き群衆が踊っていた。
「すごい……」
圧倒されるレンをグレイスが促す。
「行くぞ、その格好は目立つからもっと側に来い」
確かに周囲を見渡しても人間はおらず服も布製や毛皮が多い。今の姿は完全に浮いていた。
「こっちだ」
マントで覆うようにレンを包むとグレイスは歩き出した。
知らない景色の中で護られている気がして少し気持ちが楽になった。
暫くして石造りの建物に到着する、扉の前には「本日の診察は終了しました」と立て札がかけてある
グレイスはそれを気にせず扉を開き中に入ると
「カイレン、居るか?」
と中に向かって声をかけた。
トタトタと足音が聞こえると、
レンと同じぐらいの背丈をした白衣の三毛猫獣人が姿を現した。
「おや、グレイス珍しい。どこか怪我でも…」
グレイスは無言でレンに被せていたマントを捲ると
背を押して前に出るよう促した。
「おやおやおや、これはまた更に珍しい!君が人間を連れてくるなんて!」
カイレンと呼ばれた三毛猫は眼鏡をクイッと上げると物珍しげにレンの顔を覗き込んだ。
「あ……あの……」
あまりに至近距離だったのでレンが少し後ろにのけぞって俯いて下を見る。
「やぁ、これは失礼。私はカイレン、この町で治癒師をしているものだよ」
にぱっと人懐っこい顔で笑いながら手を差し出してくる。
「あ、あの……ふじ……いえ、レンと言います」
そう言って差し出された手を握る
肉球がぷにっとした感触で心地よい。
「なるほど、なるほど……何となく事情は察したけど、顔見せに来たわけじゃないんだろ?」
カイレンはグレイスに向かって問いかける。
「当然だ、服と食事を用意して今日は休ませてやってくれ。俺はこれから城に戻る」
そう言うが早いかグレイスは踵を返しドアに手をかける
「明日、明朝に迎えにくる」
それだけ告げるとさっさと出ていってしまった。
取り残されたカイレンとレンの2人
「まったく……相変わらず勝手だねぇ……。まぁいいや、とりあえずこっちにおいで、まずは体を拭いて着替えようか。」
唖然としているレンの手を引くカイレン
またもやぷにっとした肉球の感覚がした。
その後はカイレンが水の入った桶と布切れを用意してくれた。汚れた身体を綺麗にする間にパンとスープを持って来てくれた。
「簡単なものしかなくてすみません」
そう言って頭を下げるカイレン
「いえ!ありがとうございます!嬉しいです!」
慌ててレンは頭を下げる。
「それを食べている間に着るものを用意しますね。サイズは似たようなものだと思いますが穴を塞がないとダメですね。」
「穴でふか?」
パンを頬張りながらレンが問い返す
「そう、これですよ」
カイレンはレンに背を向けると白衣を捲る。
そこには尻尾をゆらゆらと揺れていた。
確かにズボンには尻尾を通す穴が空いているようだ。
***
建物の奥にはカーテンのようなもので仕切られたベッドがいくつかあった。
どうやらここは病院のようなところらしい。
「早いですが、今日は疲れたでしょう。あまり寝心地はよくないかもしれませんがごゆっくり。今日は私もここに居ますから、何かあったら呼んでくださいね。」
そう言ってカイレンはレンを残して部屋を出ていった。
***
ベッドに横になると様々な出来事が脳裏をよぎる。
(これからどうなるんだろう……元の世界には戻れないのかな……)
不安で眠れずにいると扉が静かに開いた。
「寝られないか」
グレイスが立っていた。
「あ……はい」
「当然だな。見ず知らずの世界に来たら誰でもそうなる」
椅子を引き寄せ腰を下ろすグレイス。
「お前に教えておくことがある」
唐突な言葉にレンは身構えた。
「この世界では……『器』と呼ばれる存在がいる」
「器……」
「そうだ。スキルと呼ばれる力を宿す者だ。
スキルの質は大小あるが、過去には天変地異を鎮めた者もいれば国一つを滅ぼした者もいる」
「スキル……そんな……」
「お前にもその片鱗がある」
金の瞳がじっとレンを見据える。
「昼間の治療がそれだ。もし他のスキルも備えているなら……国はお前を逃さないだろう」
レンは言葉を失った。自分がそんな特別な存在だとは微塵も思っていなかった。
「だからこそ名前を変えろと言った。
異国から来た人間の『器』は特別であることが多い。
お前が器だと知れれば利用されかねん」
「……はい」
「そして覚えておけ。何があっても自分の力の使い方を考えろ」
厳しい忠告だったが不思議と重圧は感じなかった。
「わかりました……グレイスさん」
微笑むレンを見て熊獣人は僅かに頬を緩める。
「休め。明日から忙しくなる」




