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泥と汗

王都ヴェルヘイムの城壁が夜霧に霞んで見えたとき、騎士団は全員疲れ果てていた。

森での激闘と魔獣の死骸処理に加え帰路でも魔物に出会した事で泥と汗まみれになり、鎧の隙間には乾いた血と獣毛がこびりついていた。


「やっと……着いたか……」


虎獣人の騎士ボルドが呻くように呟く。

彼の黄色い縞模様の尻尾は地面に引きずられそうになっていた。


「まず風呂だ!」


猿獣人のマルコが叫ぶが、すぐに犬獣人のライガに肘打ちされる。


「バカ言え!宿舎に風呂なんかあるわけないだろ!」


宿舎は石造りの堅牢な建物だったが、内部は狭く簡素だった。

訓練場付きの兵舎の二階部分が団員用の居住区で、一部を除き個室などない。

共有の大きな部屋に雑魚寝が常だった。


「湯が届いたぞ!」


厨房係の熊獣人ジョーが桶を抱えて階段を上がる。

湯気立つお湯が床に溢れそうになる。


「早くしろ!」


ガロウが鋭い声で指示する。


「明日は通常の三倍の量をこなす。体を清めて就寝時間だ」


バスクがさっそく立ち上がる。


「俺がみんなの背中を拭くぜ!」


「お前が?」


ライガがニヤリと笑う。


「あのチビ坊主にやらせろよ」


チビ坊主――レンのことだ。

本人は一階で剣の手入れをしていたが、呼びつけられて仕方なく階段を上ってくる。

まだ新しい剣は借り物だが手になじみ始めていた。


「手伝います」


レンは控えめに言う。


「よぉし!じゃあまずは俺からだ!」


ボルドが脱ぎ始め、筋肉の塊のような体が現れる。

虎模様の被毛は湿り気を帯びて光っていた。


「しっかり拭けよ坊主!」


レンは固まった。

これまで獣人の裸体を間近で見たことがないわけではないが、こんな至近距離で筋骨隆々とした身体に触れることなど初めてだった。


一方バスクは素早くライガの背中に布を滑らせていた。


「どうですか?強すぎません?」


「ちょうどいい」


ライガが満足げに尻尾を振る。


「お前、結構器用だよな」



ボルドの厚い肩甲骨にレンが恐る恐る手を伸ばす。

熱い肌に布が吸い付くようだった。


「もっと強く!これじゃ蚊に刺されても気づかねぇぞ!」


「は……はい!」


レンが力を込める。

ボルドの背中は岩のように硬く、触れるたびに微かに震えた。汗と土埃の混ざった濃厚な匂いが鼻をつく。


「お前も……いい手つきしてるな」


ボルドが振り返りニヤリと笑う。


「女の扱いも心得てるんじゃないか?」


レンが赤面する。

否定しようとした矢先、「次は俺だ!」とマルコが割り込んでくる。

猿獣人の体は俊敏そうな筋肉で覆われており、胸板は薄いがしなやかさを感じさせた。


「俺は敏感だから優しくしてくれよ〜」


マルコが冗談めかして言う。


レンが手を当てると驚くほど柔軟な肌だった。

筋肉の繊維一本一本が布を通して感じられるようだ。


「すごい……ですね」


思わず声が漏れる。


「だろ?」


マルコが得意げに尻尾を揺らす。


「俺たち猿獣人は戦うよりも逃げる方が得意だけどな。この筋肉のおかげで木から木へ跳べるんだぜ」


バスクはライガの背中を拭き終わると次は熊獣人のジョーに取り掛かっていた。

ジョーの毛皮はふさふさとして柔らかく湯気に当たって湯気を立てている。


「おー、これは助かるなあ」


ジョーが嬉しそうに鼻を鳴らす。


「若いのに人の世話をするなんて感心だ」


「急に褒められるとゾワゾワするんすけど……」


バスクが照れる。

彼の耳は赤くなり始めていた。


レンが最後の騎士の背中を拭き終えると廊下の角でガロウと鉢合わせた。


「随分手際が良くなったな」


銀狼の騎士は微かに微笑む。


「明日からお前たちの訓練メニューを考え直す必要がありそうだ」


「どういうことですか?」


レンが問う。


「グレイス団長からの指示だ」


ガロウは視線を逸らす。


「お前とバスクに基礎から徹底的に教えろとのことだ。今日の戦闘を見る限り、まだまだ改善の余地があるからな」


「あの……感謝します」


レンが頭を下げる。

バスクが階段を上がってくる気配がした。


「礼は不要だ」


ガロウが踵を返す。


「睡眠不足は判断ミスの元となる。もう寝ろ」


部屋に戻るとレンは新しい剣を枕元に置き毛布に潜り込む。布団は湿っていて固かったが不思議とすぐに眠気が襲ってきた。


微睡の中で自分が切り捨てたゴブリンの断末魔が聞こえた気がしたが、心は驚く程落ち着いていた。


(何かの命を直接奪ったのは初めてなのに……僕はまともじゃないんだろうか)


それに答えを返す者も居らず

レンの意識は暗闇へと堕ちていった。

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