実戦・襲撃
レンが騎士団に入って数週間が過ぎた頃
「おい……大丈夫か」
早朝の薄暗がりの中、騎士団集合場所でバスクが俯くレンに声をかけた。
彼の猪耳が微かに震えている。
「あ……はい」
レンは弱々しく微笑んだ。
「ちょっと緊張で……」
彼の瞼は腫れぼったく、指先が小刻みに震えている。
昨夜はベッドに入っても眠れなかった。
初めての実戦への恐怖が胃を締め付ける。
「そりゃ当然だ」
バスクがぶっきらぼうに言う。
「俺だって初めての時は吐きそうだった」
彼はポケットを探ると、黄色い干し草を一束取り出した。
「これ食っとけ。少しだけだが気が楽になる」
「え? いいんですか?」
レンが驚いて受け取る。
「余計なお世話か?」
バスクがそっぽを向きながら言った。
「ただ……お前みたいな奴が死ぬのは嫌なんだ」
(この人……本当は優しいんだ)
「ありがとうございます」
レンが感謝を込めて言った。
その時、森の奥から蹄の音が響いた。
馬上にいたのはグレイスだった。
彼の大柄な熊体は遠くからでも威圧感があった。
「準備は整ったか?」
彼の低く重い声が朝霧に溶ける。
「はい!全員揃っております!」
先輩騎士の一人が敬礼した。
グレイスが馬を降りる。
彼の黄金の瞳が騎士団全体を一瞥した。
「今回の任務はゴブリン掃討だ。だが……」
彼は声を一段と落とした。
「バルナス卿の意向により、私とガロウは後方に控える」
団員たちの間に動揺が走る。バスクが歯軋りするのが聞こえた。
「グレイス殿が……?」
若い騎士の一人が思わず口にした。
「不満か?」
グレイスの目が鋭く光る。
「卿の命を最優先とするのが騎士団の務めだ」
バスクは拳を強く握りしめた。彼の鼻が微かに膨らむ。
(あの貴族野郎……俺たちを捨て駒みたいに扱いやがって)
グレイスがレンを見つめた。
一瞬だけ彼の目が複雑な色を帯びる。
「バスク。新人を頼んだぞ」
「は……はい!」
バスクが慌てて敬礼する。
グレイスが再び馬上へ。
彼の背中が遠ざかるにつれ、不安が騎士団を覆った。
(冗談じゃねぇ……)
バスクが心の中で呟く。
***
一行が森へ足を踏み入れた時から違和感はあった。
「なんか……静かすぎねぇか?」
古参の騎士の一人が囁いた。
鳥のさえずりが全く聞こえない。
代わりに漂ってくるのは濃厚な獣臭。
「構えろ新入り!」
バスクが小声でレンに叫んだ。
前方の茂みが激しく揺れる。
飛び出してきたのはゴブリンの群れ。
彼らの目は血走り、爪は異様に長く伸びていた。
「来たぞ!」
ベテラン騎士が剣を構える。
「落ち着いて対処しろ!」
先頭の騎士が斬りかかる。
普通なら一撃で仕留められるはずの敵に、彼の一撃は虚しく空を切った。
「速い!」
別の騎士が驚愕の声を上げる。
ゴブリンたちの動きが尋常ではなかった。
木々を飛び移り、騎士たちの攻撃を嘲笑うように避けている。
「陣形を乱すな!」
指揮官役の騎士が怒鳴った。
「奴らは数が少ない!落ち着いて各個撃破しろ!」
レンは震える手でショートソードを握りしめた。
隣でバスクが大槌を構える。
二人は後方支援に回されていた。
(怖い……けど)
彼は深く息を吸った。
バスクがくれた干し草の香りが微かに鼻をくすぐる。
(逃げちゃダメだ……みんなが頑張ってるのに)
1匹のゴブリンがこちらに向かって走ってくるのが見えた
迎え撃とうと構えるが手どころか全身が震える
幸いにもレンの前に出ていたバスクが先に動く。
『強撃』!!
叫びながらバスクが目にも止まらぬ速さで槌を振り下ろす。
それは易々とゴブリンの頭を打ち砕き地面を深く抉った
「新入り!ボッーとしてんじゃねえ!」
バスクの激でハッとなるレン
完全に見惚れてしまっていた
慌てて周囲を見渡すと、既に殆どのゴブリンは倒されたようだった。
ホッと一息吐くレン
しかし突然、森全体が震えた。
地面が波打つような衝撃と共に、木々が軋む音が響く。
「なんだ!?」
指揮官が叫ぶ。
巨大な影が木々の間から現れた。
それは三メートルを超える漆黒のトカゲ──バジリクス。
その鱗は鉄のように固く、口からは紫色の煙のような息を吐いている。
「ば……バジリクス!?」
騎士の一人が青ざめて後退る。
「なぜこんな場所に!?」
「散開しろ!!」
指揮官の絶叫が木霊する。
「一時退避だ!」
バスクがレンの腕を掴んだ。
「行くぞ!」
だがレンは動かなかった。
彼の視線は一点に釘付けになっている。
バジリクスの尾が騎士の一人を薙ぎ払った。
吹き飛ばされた騎士は巨木に叩きつけられ、動かなくなる。
「先輩!」
レンが叫んだ。
他の先輩騎士達も連携をとって魔獣を惹きつけようとしているが
バジリクスに気を取られたところをゴブリンの残党が狙って仕掛けてきている為苦戦している。
(皆んなが戦っているのに、僕は……!)
恐怖より先に自分への怒りがこみ上げてきた。
無意識に足が前に出る。
「やめろ!」
バスクが必死に彼を止めようとする。
「勝てるわけねぇ!」
レンの視界が急に鮮明になった。
まるで時間が遅くなったかのように。
彼のショートソードが突然軽くなる。
(見える……あの動きが)
レンの身体が勝手に動き始めた。
無意識のうちに足が敵に向かって疾走する。
バスクの制止の声が遠ざかる。
「うああああああっ!」
彼のショートソードが閃光のように弧を描いた。
すり抜けざまに隙を見せていたゴブリンを斬り捨てる。
そのまま勢いを殺さずバジリクスの方へ向かう。
ゆっくりとこちらを振り向こうとするバジリクスの懐へ一気に飛び込むと全力で剣を叩きつけた。
バジリクスの鱗を貫く鈍い音。
だが同時に、
ガキィン!
鋭い音と共に、彼の剣が根元から砕け散った。
(しまった……!)
バジリクスの巨大な尻尾がレンの頭上に迫る。
その時、轟音と共に何かが爆ぜた。
レンの目の前でバジリクスの尾が粉々に砕ける。
血飛沫が虹のように舞う。
「遅くなったな」
雷鳴のような声。
振り返ると、金色の大槌が地面に深くめり込んでいた。
持ち主は……
「グレイス団長!?」
いつの間にか巨大な熊獣人が目の前に立っていた。
その巨体は夕暮れ前の森を闇に変える。
「皆無事か⁈」
後ろからガロウも追いついて声を上げる。
バジリクスが悲鳴を上げて跳びすさる。
だがグレイスの動きはそれを遥かに凌駕していた。
彼の体が一瞬霞んだと思った時には、巨獣の胸部に巨大な穴が穿たれていた。
「グルルルル……!」
断末魔の咆哮が森を揺るがす。
巨獣の体がゆっくりと崩れ落ちる。
大地を揺るがす震動。
レンは砕けた剣を握ったまま呆然と立ち尽くしていた。
膝が震えている。
「……大丈夫か?」
グレイスの太い指がレンの肩に乗った。
「怪我は?」
「い……いいえ」
レンがようやく声を出す。
「ありがとうございます……」
グレイスは一瞬だけレンの瞳をじっと見つめると、無言で頷いた。
***
「異常だな」
グレイスがバジリクスの死骸を調べながら呟いた。
「ゴブリンも奴も……明らかに通常個体ではなかった」
ガロウが鋭い目で遺体を観察している。
「団長!」
彼が死骸の腹部に浮かび上がった紫の模様を指差した。
「これは……」
それは幾何学的な紋様だった。
六芒星の中央に剣と天秤が描かれている。
「刻印……か」
グレイスの表情が険しくなる。
「何者かが意図的に操作した証拠だ」
レンが恐る恐る近づいた。刻印を見た瞬間、彼の背筋に冷たいものが走った。
(この紋章……どこかで見たことがある)
グレイスが突然レンの方を見た。
彼の黄金の瞳が鋭く細められる。
「レン」
「はい?」
「見覚えがあるのか?」
グレイスが小声で問うてくる
「すみません、似た物と勘違いしているのかもしれません……」
レンが困惑しながら頷く。
グレイスはしばらくレンを観察していたが
「わかった。では負傷者の手当を手伝ってこい」
「はい……!」
小走りで走り出すレン。
途中彼は背後に立つグレイスを振り返った。金色の大槌を担いだ巨体は、森の影の中に沈んでいく。
刻まれた謎が、新たな戦いの予兆を静かに告げていた。




