終章:二人だけのクレオール
一年後。
あの紛争地帯には奇跡的な和平が訪れていた。ダイヤモンドの利権は国際的な監視のもと公正に分配されることになり、武装勢力は武装を解除した。その立役者となったのが一人の日本人交渉官だったことはあまり知られていない。
カイは自分のルーツを受け入れ、国連の正式な和平交渉官としてその国の復興のために働いていた。彼はもう「黒狐」ではなかった。彼は母親がつけてくれた本当の名前「ソラ」を取り戻していた。その土地の言葉で「希望」を意味する名前。
アカ族の言語は確かに死語となってしまった。だが、ソラは生き残った数少ない単語や歌を記録し、言語学者と協力してアカ族の文化的遺産を保存する活動を始めていた。完全に復活させることはできないが、せめて記録として後世に残したい。それが彼の新しい使命だった。
私もまた彼のパートナーとして、その国に残りUNHCRの職員として難民たちの子供たちのための学校作りに奔走していた。
キャンプは今では小さな町になっていた。そこでは様々な部族の子供たちが互いの言葉を教え合い、新しい未来の言葉を紡いでいた。マンディンカ語、フラニ語、フランス語、英語、そして時には日本語の単語も混じった新しいクレオール言語が生まれつつあった。
言語学者はこの現象を「接触言語の自然発生」と呼ぶ。異なる言語話者が共存する必要に迫られた時、自然と生まれる新しい言語形態。それは生きた言語の証拠でもある。
ある夕暮れ。丘の上で私とソラは眼下に広がる町の灯りを眺めていた。子供たちの楽しそうな声が風に乗って聞こえてくる。それはあの古い子守唄だった。だが歌詞は少し変わっていた。
様々な部族の言葉が混じり合った新しい平和の歌になっていた。「母なる大地よ、全ての子供たちを守り給え。ここが私たちの新しい故郷」。
「クレオールだな」
ソラが静かに言った。
「新しい言葉が生まれている」
「そうね」
私は彼の肩にそっと寄りかかった。
「私たちみたいに」
彼が初めて見せた穏やかな笑顔。私は何も言わずにただ彼の胸に顔をうずめた。
私たちの間にはもはや特定の国の言葉は必要なかった。互いの存在そのものが二人だけの新しい「母国語」になっていたのだから。
時々、ソラは私に古いアカ族の言葉を教えてくれる。数少ない覚えている単語や フレーズを。そして私は彼に日本語を教える。私たちは二人だけの小さな言語を作っている。愛する人同士だけが理解できる、特別な言葉を。
夜空には星が瞬いている。その星の光はアフリカの大地と日本の島国を等しく照らしている。言語も国境も超えて、愛は確かに存在する。
ソラの腕の中で、私は思う。人は故郷を失っても、新しい故郷を見つけることができる。言葉を失っても、新しい言葉を紡ぐことができる。そして愛があれば、どこにいても「家」になる。
遠くから子供たちの歌声が聞こえる。新しい言葉で歌われる新しい希望の歌が。私たちはその歌に耳を傾けながら、静かに未来を見つめていた。
バベルの砂塵は止み、新しい風が吹いている。
(了)