第8話:古代の眠りと、癒し手の遺構
旅の果て、私たちは“霧の峡谷”と呼ばれる場所にたどり着いた。
王国の最北端。どの地図にも明確な道は描かれておらず、
霧と森と、崩れかけた石造りの道だけが延々と続く。
「この先が、古代種族の領域……?」
私は足元の湿った苔を見つめながら、問いかけた。
「はい。文献では“癒し手たちの眠る谷”と呼ばれていました」
カミュが答える。
「ここに、貴女の力と呼応する何かがある可能性が高いです」
「魔素も高密度ですね……普通の人間なら、数刻も保ちません」
エリアスが警戒するように辺りを見回した。
けれど、私はむしろ安らぎに包まれていた。
(懐かしい……この空気……)
それは、魔王だった頃にすら感じたことのない、
清らかで優しい“魔の気配”だった。
霧の谷を抜けると、突如として広がった開けた空間に、
ひときわ高く伸びた白い大樹が現れた。
その根元に、静かに建つ石の祠。
「……これが、《癒し手の遺構》?」
祠の扉を押し開けると、内部には古代の装飾がなされた台座。
中央には、半透明の水晶が浮かび――微かに脈打っている。
「魔力を感じます。しかも、聖と魔、両方を内包している……」
カミュが目を見開いた。
そのとき、水晶が柔らかく光り――
私の手が、まるで導かれるように伸びた。
そして、触れた瞬間。
――ぱあっ……
脳裏に、強烈な映像が流れ込む。
荒れ果てた大地。
人も魔も、争い、傷つけ合うだけの時代。
そのなかで、ひとりの“白き衣の者”が立っていた。
(……これは……)
彼女は人でも魔族でもなく、どちらの血も引かぬ“外なる種”だった。
名を持たず、ただ祈りを届ける者として生き、
癒しを施し、死にゆく者の手を取り、敵も味方も区別しなかった。
『祈りとは、“赦すこと”ではなく、“共に痛みを抱くこと”――』
彼女の言葉が、心に沁みる。
『私は神ではなく、王でもない。
ただ、命の悲鳴に耳を傾けたかった。それだけなの』
そして、最後の映像。
彼女は争いに巻き込まれ、名もなく死んだ。
けれど、彼女が触れた者たちは、皆――
「……誰かを、癒す者となった」
私は、水晶から手を離す。
涙が、頬を伝っていた。
「リーナ?」
「……私、わかったの。
“癒し”って、選ばれた者のための力じゃない。
赦されない私が、それでも癒すことを望んだ理由……
それは――この人の“祈り”を、どこかで受け継いでいたから」
“神の加護”ではなく、“魔王の力”でもなく、
人と魔の狭間に立ち、“声なき命”に寄り添った、ただの誰か。
それこそが――
「私の“始まり”だったのかもしれない」
そのとき、空が鳴った。
地響き。風の逆流。
遠くで、黒い煙が立ちのぼる。
「……これは!」
カミュが空に向かって手をかざす。
「南から、大規模な“魔素異常”が発生……!
魔王城の防衛結界が……崩壊の兆し!?」
「……誰かが、あそこを狙ってる……!」
私は立ち上がる。
胸がざわついていた。
あの子たちの笑顔が、耳に残っていた。
「戻るわ。
私は“癒し手”として、祈りを守る者として――
あの場所を、守らなきゃいけない」
風が吹く。
祈りの始まりの地をあとにし、
私はふたたび“命の叫び”へと向かう。