第6話:神の鏡と、祈りの本質
王都の北端、聖域。
そこには王国建国の神話に登場する“神の鏡”が祀られている。
その鏡は、かつて世界を救った最初の聖女が神より授かったとされ、
真に“聖”を宿す者の心を映し出すという――
そして今、その鏡の前に、私はひとりで立っていた。
「……リーナ・セレスティア」
鏡守を務める老神官が、厳かに言う。
「この鏡は、真の“本質”のみを映します。
偽りの祈り、偽装された加護、隠された魔素の気配――すべてが明らかになるでしょう」
「……覚悟はできています」
私はひざまずき、目を閉じた。
(たとえこの鏡が、私の中に“魔王の核”を見出したとしても――
私は、それを否定しない)
私は“魔族”を癒した。
“魔力”を混ぜ、“神の加護”とは異なる祈りを行ってきた。
それが“異端”だというなら――それでも構わない。
(けれど、あの子たちの涙を、私は見た。
彼らが癒され、笑い、ありがとうと微笑んだ……それが嘘なわけがない)
静寂の中、老神官が一歩引く。
「――今より、審判を開始します」
目を閉じたまま、私は“神の鏡”の前に立つ。
その瞬間、全身が凍りつくような神気に包まれた。
ふと、意識の中に“声”が流れ込んでくる。
『祈りとは、なにか?』
それは、神か、それとも私自身の問いか――
私は答える。
「……誰かの痛みを、引き受けること。
癒せない苦しみに、寄り添おうとすること。
光で照らせずとも、闇を見捨てないこと」
『聖なるものとは、なにか?』
「選ばれし者ではなく、“選ぼうとする者”。
たとえ自分が穢れていても、
それでも清らかであろうと、祈る意志」
『お前は、誰だ?』
(……私は)
私は、“リーナ・セレスティア”。
けれどその名は“魔王リュミエール”として世界を呪った過去を持つ者。
でも今、私は誰かの涙に触れた。
救いたい命がある。
守りたい声がある。
だから私は、こう答える。
「私は――祈りそのものです」
その瞬間、神の鏡が静かに光を放った。
周囲にいた老神官たちがざわめく。
鏡面がゆらりと揺れ、そして映し出したのは――
無数の手を差し伸べる者たち。
人間、魔族、子ども、老いた者、癒された者たち。
皆が微笑み、リーナに手を伸ばしていた。
「これは……」
老神官が呆然と呟いた。
「聖と魔……両極の魔力が共に在りながら、澄み切っている……!
これは、もはや“神の依代”すら超えている――」
一人の騎士が跪く。
続けて神官たちも、頭を垂れた。
「“聖女リーナ・セレスティア”――
その祈り、神にも届くと証明された」
「よって、この場をもって“異端審問”は無効とする。
貴女は、真に“聖”を宿す者と認められました」
私は静かに立ち上がった。
その場に、声を漏らして泣く者がいた。
その場に、そっと手を合わせる者がいた。
そして私は、天を仰ぐ。
(あなたがいたとして――神よ。
この道が、間違っていなかったと、そう言ってくれるのなら……)
私は、今日も祈り続ける。
たとえ、かつて世界を呪った身であっても。