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誰のために

 駅に電車がようやく到着すると、僕は扉が開くと同時に飛び出した。

 そして、階段を駆け下りて行くと反対側のプラットフォームの階段を駆け上がる。

 停車していた電車の扉が閉まる寸前に、何とか滑り込む事が出来て、僕は荒い息を吐きながら、少し安堵した。

 スマホを見ると、13時ちょうど。菅原さんとの待ち合わせ時間だ。

 僕はLINEを開いて、文字を打つ。

(すいません。いま折り返しの電車に乗りました。あと、15分程で着きます)

 直ぐに既読が付いて、ポンッと音と共に返信が来た。

(駅前のcafeで待ってます。カットの予約まで、まだ時間ありますから、慌てないで大丈夫ですよ)

 やっぱり、女神だ。

(ありがとうございます。ほんと、ご迷惑かけます)

 僕は大きく息を吐いた。

 まさかの大失態だった。予定では、待ち合わせの15分前に着くはずだった。いや、電車は定刻通り目的地に着いたのだ。

 ただ、僕がスマホで小説を書くのに没頭し過ぎたため、電車を乗り越してしまったのだ。ほんと、久しぶりにやってしまった。大学生のとき以来だ。  

 僕は、窓に映る長く伸びた自分の前髪をつまんで、ツンと引っ張った。

 菅原さんからLINEが来たのは、2日前の夜勤の仕事に出る少し前だった。

 麗奈と食事に行くことを本人から聞いたらしい菅原さんは、イメチェンして彼女を驚かせませんか、と提案してきたのだ。

「なんか、腹が立ったの。高校からの友人関係だからって、星崎さんのことをあんなに軽く見てる言い方、さすがに看過できないわ」

 麗奈の言動は、おおよそ想像出来た。

 彼女はその容姿から、男性から好意を持たれることが多い。だから、そういった類のあしらいになれている。

 自分が少しでも好意を持っている相手には、下から上目遣いで接するし、僕を含めたその他大勢の興味も無い相手には、反対に少し見下すような言葉が散見するのだ。

 そりゃあ、興味もない相手にすり寄られれば、ウザくなるのも当たり前だろう。だから僕は、好意を気づかれないようにしていたつもりだったのだが、漏れていたのだろうな・・・。

 それにしても、逆にそういう事に怒ってくれる菅原さんみたいな、味方してくれる女性と出会ったのは初めてで、嬉しいけど、どう反応していいか分からなかった。

 そうこう戸惑っているうちに話は決まっていて、土曜の今日、髪を切りに行くことになったのだ。

 車内アナウンスが駅の到着を報せる。

 扉が開くと、僕は急いで駅前のcafeに向かった。



 息を整えながらcafeに入る。

 店内を見渡すと、菅原さんが小さく手を振りながら微笑んでいた。

「お待たせして、すいません」

 本当は、土下座したいところだが、悪目立ちして迷惑にならないよう、頭を下げるだけにした。

「予約は1時半だし、お店はここから歩いて2、3分ですから、余裕ですよ」

 そう言って立ち上がった菅原さんは、長い髪を1つの三つ編みにしていて、服装もいつもの凛々しささえ感じるスーツとは違った、可愛らしい服装をしていた。

 僕はその破壊力に耐えられず、思わず視線をそらした。

「では、行きましょうか」

 菅原さんは空のグラスを返却所に置くと、店を出て駅と反対の方へ歩いて行く。僕はその彼女の半歩後ろをついて行った。

 すると、菅原さんはチラッと僕を見ると、歩速を緩めて横並びになるのを待つと、肩が触れ合うほど近くを歩いた。

 こうなってしまうと、今さら半歩下がるわけにもいかず、僕は恐れ多い気持ちに耐えながら歩くしかなかった。

「ここよ」

 菅原さんが立ち止まった先には、やはり彼女の行っていそうなオシャレな美容院があった。

 ル・・・ルシエ、英語でないようで、店名が読めない。

「ルシェリアって言うの。フランス語らしいわ」

 僕の視線の先を察して、菅原さんが説明してくれた。

「いらっしゃい。時間通りね」

 ガラス張りの店内から、オシャレ髭をはやしたダンディなおじさまが、こちらに気がついて近づいてくると、ドアを開けて微笑みかけてきた。

「こんにちは、宮内店長。彼がお願いしていた星崎さんです」

「よ、よろしくお願いします」

 緊張で声が少し上ずってしまった。

「さぁ、どうぞ。こういうお店は初めてかな」

「はい。昔から通ってる床屋しか行ったことないので」

 何故かは分からないが、床屋を変えるのって勇気がいる。実家から離れて1人暮らしをしているが、髪を切りたくなると今でも、実家近くの床屋まで足を伸ばしている。

「そう言うの分かるな。何ていうか、長年築いてきた信頼関係を、また1から造る億劫さとでも言うのかしらね」

「あッ、そんな感じかもです」

 共感してもらえると、不思議と距離が縮まった気がする。ナイスミドルはそういうものも上手いのだろう。

 案内された椅子に腰掛けると、宮内店長は笑顔のまま、鏡越しから僕の顔をジッと見てきた。

「さて、どうしようかな。清菜ちゃんには爽やかなイケメンにって言われてるけど」

 それは、素材自体がたいしたことないので、難しいと思います。

 僕は思わず苦笑する。

「よくわからないので、おまかせでも出来ますか?」

 そう答えると、宮内店長は僕の両肩をポンッとたたきながら「オッケー」と、返事をして準備を始めた。

 僕はそっと、鏡の奥の方に映る菅原さんを窺った。彼女は受付の隣にある待ち合いのスペースで、椅子に腰掛けながら店員の女の子と談笑していた。

「いい子よね、清菜ちゃん。私が男なら、ほっておかなかったんだけどね」 

 僕は曖昧に笑い返した。

 やっぱり、男性ではないんですね。

 言動の端々から、何となくそうではないかと思っていたけど、何とも勿体ないと思うのは、彼が高いポテンシャルを持っていることへの、僕のひがみかもしれない。

 チャキチャキと、髪を切る小気味よい音が響く。

「星崎くんは、あまりオシャレしてこなかった感じ?」

 手を動かしながら、宮内店長が聞いてくる。

「・・・そうですね。あまり、上手く出来なかったのもあるけど」

 前はもっと、色々な服装や髪型にもチャレンジしてみたが、どうやってもそこそこにしかならず、ブラック企業で仕事に追われるようになってからは、ほとんど気にすることも無くなっていた。

「オシャレって基本、自分の為にするものだけど、一緒にいる人への思いやりでもあると思うんだよね」

 僕は鏡に映る店長を見ると、彼はニコッと微笑んだ。

「例えば、気になる男の子が連れていた女が、厚化粧でバカ丸出しだったら、そんなの連れてる男への恋心も失せててしまうでしょ。ほんと、思い出しただけでも腹が立つけど」

 それは、例えではなく最近あった出来事ですね。

 でも、言いたいことは分かるります。釣り合ってないってことですよね。

 自分なりに寮にある服で、1軍を選んだつもりだけど、菅原さんの出で立ちからすれば、全てにおいて見劣りするだろう。

 今さらだが、彼女に気づかず迷惑をかけていたのだと反省してしまう。もう、会わない方が菅原さんのためかもしれない。

「あら、誤解しないでね。あの子が連れてきたのだから、あなたはきっといい男よ。だから、その手伝いを私にもさせてねって言いたかったの」

 そう言って、店長はパチッとウインクをした。なまでウインクを見たのは、初めてかもしれない。

「その・・・がんばります」

 僕は曖昧に笑って答えた。

 それから店長は、髪の乾かし方から、セットの仕方、あげくには化粧品の種類まで、丁寧に説明してくれた。




「・・・どうですか?」

 僕は売り物の、シルバーの細フレームの眼鏡をかけて、菅原さんに感想を求めた。

「うん、いいんじゃないかな・・・」

 言葉とは裏腹に、菅原さんの表情はあまり褒めてない。髪を切り終わって見せた時も、あまり表情に変化がなかった。宮内店長は何故か吹き出していたけど。

 やっぱり、彼女の期待したほどの結果がでてないのだろうか。

 僕は眼鏡を外して元の位置に戻すと、自前の黒縁眼鏡をかけ直した。

「あれ、やめるの?」

「いや、あまり菅原さんの反応がよくないから、似合ってないかと思って」

「ごめんなさい、そんなことないよ」

 慌てて菅原さんは銀縁の眼鏡を取ると、もう一度つけて、と差し出した。

「うん。顔立ちを邪魔してないし、嫌味のない知的な感じでとても良いと思うよ」

 急に褒め過ぎで、逆に不安になります。

「なんか、すいません。催促したみたいで」 

「違う違う。私が勝手にモヤモヤしてただけだから、気にしないで」

 何だろう。何か気に障ることでも言ってしまったのだろうか。

 そもそも、電車の乗越でまたせてしまい、美容院で髪が切り終わるまで待ってもらい、考えてみれば、今日は待たせてばかりいる。

 自分の貴重な時間を、何で僕みたいな奴に使ってしまっているのかと、今さら後悔してしまっているのではないだろうか。

「あの、よかったらこの後、ケーキでも食べに行きませんか」

「えッ、仕事の時間は大丈夫なんですか?」

「まだ全然、時間に余裕ありますから。今日のお詫びと御礼に、驕らせて下さい」

 菅原さんは少し驚いた表情を浮かべた後、嬉しそうな笑みを浮かべてくれた。

「じゃあ、お言葉に甘えようかな」

「お願いします」

 いつも通りの菅原さんに戻ってくれて、僕はホッとしながら、銀縁の眼鏡を持って、会計に向かった。

 

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