小説を書き始める
「これ、会社でもらったものだけど、いらないか?」
そう言って、父さんが差し出したのは、1枚のチケットだった。
人気アイドルグループ『クリスタル☆ドール』の、メインメンバーの1人、滝川美咲の卒業コンサート。僕の推しだ。
その、倍率30倍とも言われる幻のチケットが目の前にあった。
「いいの?」
「もちろん。楽しんでおいで」
父さんはそう言って、ニッコリ笑った。
チケットに記された座席は、舞台から5列目で真ん中にある花道を見上げる絶好の席だった。
それにしても、コンサートには何回か来たことがあったが、滝川美咲の卒業コンサートは、ファンの熱気も演者側の気迫のこもった演出も段違いに凄かった。
曲の度に滝川美咲はダンスを踊りながら、舞台を右に左にと動き回り、真ん中の花道に来たときは、声の限り声援を送る僕に手を振ってくれた気がした。
・・・・・・・
そして、ついに最後の曲のイントロが流れる。
滝川美咲は涙を流しながら、マイクを口に近づける。
「みなさん、今日は本当にありがとうございます。私は1人の女の子に戻って、家族のもとに帰ります。そして、これからは私も、『クリスタル☆ドール』のいちファンとなって、みんなのこと、応援してるね」
涙で途切れさせながらそう言うと、グループの子達と抱き合った。
「では、最後の曲、聴いてください。ETERNAL」
今日、1番の歓声が会場を包んだ。
滝川美咲の卒業コンサートから1週間。
美咲ロスを相変わらず引きずった僕は、更に憂鬱な気持ちを抱えて、待ち合わせ場所であるホテルのラウンジに向かっていた。
ラウンジには、背広姿の父さんが笑顔で待っていた。
男を作って出て行った女と寄りを戻すのが、そんなに嬉しいのだろうか。
僕はこれから元母親と、10数年ぶりに会わなければいけないのだ。
「行こうか。お母さんと、柚希はもう来てるよ」
柚希は、母親について行った2歳下の妹だ。
出ていった時、柚希はまだ3歳だったから、顔立ちがどんなだったかなんて、ほとんど憶えていない。
昔のアルバムなんて開いたこともなかったし。
返事をする気にもなれず、後ろから父さんの革靴をながめながらついて行くと、1階にある洋食のお店に入り、個室のドアを開けた。
「待たせたね」
父さんが優しい声でそう言うと、椅子から立ち上がる音がした。
「悠人、元気だった? 大きくなったわね」
人の記憶とは凄いものだ。忘れていた母親の声を、母親のものだと思い出させる。
「ええ、まぁ」
僕は視線をぼんやりとそらしながら、椅子に座った。
父さんと元母親が、苦笑を浮かべているのが雰囲気で伝わってくる。それがまた、煩わしかった。
「お兄ちゃん」
聞いたことのある声が、僕を呼ぶ。
戸惑いながら視線を上げると、そこにはこんな場所に居るはずのない少女がこちらを見ていた。
「滝川美咲!?」
名前を呼ばれた少女は、ニコッと微笑んで小さく頷いた。
「どうかしらッ」
菅原さんの少し興奮した声が、スマホから聞こえてくる。
「凄いです。さすが編集者さんですね。僕の下手くそな文章が、まるで本物の小説みたいになってます」
「ありがとうございます。これでも、小説家を目指した時期がありましたから、文章には少し自信はありますよ」
得意気にでも、どこかおちゃらけるような嫌味のない物言いだった。
「でも、こんなことまで協力してもらって良かったんですか?」
「確かに、編集の人間がこんなことまですることはないですね。これは、私のエゴなのだと思います。星崎さんの小説を読みたい。そして、他の人にも早く知ってほしい。そんな身勝手な・・・」
菅原さんの声が少し、後悔しているような気がした。でも、僕はそう感じて欲しくなかった。
「僕は嬉しいです。菅原さんに認めてもらっていることが。菅原さんの負担を減らせるように、文章も頑張って勉強します。色々、教えてください」
すると、菅原さんの息遣いが和らいだ気がした。
「私に出来ることは喜んで協力させて下さい。それに、星崎さんの文章や言い回しは、とても個性的で面白いです。このお話を書き上げる頃には教える事がなくなってるかもしれませんね」
「そうなれるよう、がんばります」
僕はスマホを持ちながら、身震いした。
文章を書くのが、こんなに楽しいことだとは思わなかった。学生時代の作文や、論文は苦痛でしかなかったのに、LINEという書きなれたツールのせいか、まったく肩肘をはらずに空想した話しに没頭して描くことができた。
「それで、改めて窺いたいのですが、ストーリーは本当に最後まで出来ているんですよね?」
菅野さんがなんだか、恐る恐ると言った口調で尋ねてきた。ちゃんと書き上がるのか、今更ながらに心配になったのだろうな。
「大体ですけど、最後まで道筋は見えています。ただ、お父さんが亡くなる所が」
「キャーーーッ! ちょっと待ってッ」
びっくりしたッ。菅原さんが取り乱すなんてあるんだ。
「ど、どうしました?」
すると、電話の向こうで落ち着こうとしている雰囲気が伝わってくる。
「お、大声を出してごめんなさい。ただその、ネタバレはしないで欲しい、です。編集者としてはよくないのですが、いちファンとしては順番に読みたいみたいな・・・」
ファン? 菅原さんが僕のファンだと言ってるのだろうか。
いや、嬉しくて木に登っちゃ駄目だ。これはセールストークとでも言うのか、僕をやる気にさせるための社交辞令みたいなものだ、きっと。
「ありがとうございます。頑張って書き上げます」
「・・・はい、期待してますね。でも、決して無理はしないで下さい。体を壊してはもともこもないですから」
「分かりました。気を付けて頑張ります」
電話の向こうで、クスッと笑う音がした。
「そうして下さい。それでは預かってる話の続きの清書ができましたら、またメールで送りますね」
「はい。僕もきりのいいところまで書けたら、LINEします」
最後に、おやすみなさいと挨拶を交わして電話を切った。
満たされるような幸福感が、僕の全身をめぐる。
体を伸ばしながら時計を見ると、20時を回ったところだった。
シャワー浴びてから、ゆっくり書こうかな。
スマホを充電機につないでいると、チリンッとLINEの着信音が鳴った。
菅原さんからかな、と思いながら画面を覗くと、麗奈だった。
僕は急いでLINEを開く。
(約束してたご飯食べに行く話だけど、いつにしようか。今週だったら、金曜日の夜がいいかな)
あの約束がついに現実になるのか。
僕は直ぐに仕事のローテーションを思い出してみる。
ウゲッ、駄目だ。夜勤だよ。
有給はあるけど、ブラック企業にとってそれは絵に描いた餅に過ぎない。
どうLINEしよう・・・。
僕は麗奈に不快感を与えないよう、懸命に言葉を選んでタップした。
(ごめん。めちゃくちゃ行きたいけど、金曜は夜勤で難しい。日、月、火曜なら絶対に行けます)
既読は直ぐに付いたが、返事が返ってこない。怒らせてしまっただろうか。
ハラハラしながら画面を見つめていると、ポンッと音がして文字が列んだ。
(日曜日で。お店は予約取れたらまた連絡する)
よかった。お流れにならなかった。
(ありがとう。楽しみにしてるよ)
そうLINEを送って、お辞儀する羊のスタンプを押した。
すると、「おやすみ」と布団で眠るアニメキャラのスタンプが返ってきた。
何のアニメだったかな。麗奈はこのアニメが好きなのかな。画面を切り替えて検索してみる。
僕は無意識に顔がほころんでいた。
1日の間に菅原さんと、麗奈。誰が見ても美人な2人とプライベートな連絡を取り合うなんて・・・もしや、これがモテ期と言うやつなのでわ!
「いやいやいやッ」
あぶない、危ない。勘違いするんじゃないッ。
僕はスマホの画面を切りながら、ペチペチと自分の頬を叩いた。
菅原さんは、僕の書く話に興味を持ってくれているだけ。
麗奈はアイデアに対してのただの御礼。プラス、彼氏がいるらしい。
悲しいけど、これが現実ですよね。
僕はひとり苦く笑って、シャワーを浴びるべく浴室へ向かった。




