菅原さんとの電話
菅原さんと食事に行った夢のようなひと時から、5日がたった。
僕の人生に、最も接点がないと思っていた彼女のような美人と、まだスマホを介してつながりを持ててるなんて、ほんと信じられないことだ。
だけどその為には、彼女の期待に応えなければいけない。それは分かっているのだけど、僕は未だにひと文字もLINEに文章を書けずにいた。
「・・・どうしよ」
部屋のベッドに寝っ転がり、スマホの画面を見つめながら、僕はため息を漏らした。
書きたい話はたくさんある。でも、いざ書こうとして、空想の世界に没頭すると、どういうわけかあちらこちらから別の話が顔を出してきて、いつのまにかゴッチャゴチャになってしまう。
それを、この5日間ずっと繰り返していた。
「駄目だ、シャワー浴びよ」
時間は夜の8時を回っていた。
ベッドから起き上がると、黒縁の眼鏡を外し、スマホと一緒にテーブルに置いて、上着を脱ぎながら浴室に向かっているところで、チリンッと着信音が鳴った。
上半身裸のままベッドまで戻って、スマホを取った。
ボヤける視界で菅原の名前が読み取れて、僕は慌ててLINEを開いた。
(こんばんは。お仕事中でしょうか)
僕は直ぐに返事を打つ。
(今日は日勤だったので、今は家にいます)
送信すると、直ぐに既読になり、またLINEが送られて来た。
(電話をかけてもよろしいですか?)
え? どうしよ。そんな急に、緊張してしまう。でも、断りたくない。
震える手で、
(はい)
と送ると、既読が付くと直ぐに着メロが鳴った。
「こ、こんばんわ」
「夜分にごめんなさい、菅原です」
TPOを意識してか、少し声のトーンを落としているようだった。
「お話を書く件ですよね。すいません、全然書けてなくて」
「いえ、それは星崎さんが書ける時で構いませんよ。そのことではなくて、前の食事の時にマグロの美味しいお店に行く話をしたじゃないですか。いつ頃が良いか聞こうと思って」
本当に2度目があるのですかッ。こんな役立たずに申し訳ない限りです。
「嬉しいです。でも、その、少し待ってほしいというか」
「あ、ごめんなさい。忙しいですよね」
「いや、違うんです。いつも、暇ですし、凄く行きたいです。でも、このままでは行きたくないんです。すいませんッ、何言ってるんでしょうか」
喋れば喋るほど混乱していく。すると、電話の向こうでクスクス笑う声が聴こえてきた。
「相当、悩まれているようですね。無理なお願いをしたのは私ですし、何でも相談して欲しいです」
天使が電話の向こうにいる。
「・・・実は、ずっと話を書こうとはしてるんです。でも、1つの話を思い出していると、別の話が次々と出てきてゴッチャになってしまうんです。こんなこと、今までなかったんですが・・・すいません、なに言ってるんでしょうね」
僕のボヤキに、菅原さんは沈黙してしまった。呆れさせてしまっただろうか。
すると、電話の向こうで、静かに息を吐く音がした。
「凄いですね。きっと、星崎さんに自分を生んでもらおうと、色んな物語が先に先にって溢れ出しているんですね」
「そ、そうなんでしょうか」
「きっと、そうですよ。でも、そうですね・・・」
そう言葉を止めた菅原さんが、思案しているのが伝わって来る。
「過去の記憶から創るのではなく、全く新しい物語を考えてみたらどうですか。そうすれば、もしかしたら過去のアイデアが協力してくれるかもしれませんよ」
菅原さんの言葉は、僕が向いてた方向の真逆を指していた。
実を言うと、ブラック企業に就職してから、毎日を送るのに必死で、いつの頃からか空想をすることを忘れてしまっていた。
僕は菅原さんの言う通りに、そっと思考の向きを変えてみた。
すると、まるで閉ざされていた扉が開きいたように、空想の世界がどんどんと広がって行く。
そうだ、この感触だよ。僕がいま思い描きたいのは恋の話だ。
「ありがとうございますッ。何か書けそうな・・・ふェックションッ!」
思いっきりくしゃみが出た。
「大丈夫ですか?」
「すいません。シャワー浴びようと思って裸になったところだったので」
「いま、裸なんですか!? そ、そんな、ごめんなさいッ。その、ご馳走様です」
菅原さんがアタフタしているのが伝わってくる。菅原さんでも、とりみだすことあるんだ。それに、ご馳走様ってなんだ?
コホンッ、と咳払いする音がする。
「突然の電話ですいませんでした。では、マグロのお店のことは改めてにしましょう。風邪をひかないで下さいね」
「はい、ほんとありがとうございました。何か出来そうです」
「役にたてたみたいでよかったです。ではまた、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
僕は電話が切れても、しばらくスマホを拝んでいた。
彼女はきっと女神が転生した姿に違いない。こんな、人生をほとんどあきらめた僕に、慈悲を与えるために舞い降りたのだ。今度から、お賽銭を持って会うべきかもしれない。
そんな思いを抱いていたら、ブルッと体が震える。
「寒ッ」
僕は慌てて浴室に向かった。




