菅原さんからのお誘い
(先日はありがとうございました。今度ご迷惑でなければ、お食事に行きませんか)
僕はLINEに書かれたその文章を、驚きのあまり何度も読み返した。
相手が、麗奈の上司の菅原清菜さんだったからだ。
送られて来たのは1時間前、仕事中はスマホを持っていないから、休憩時間になるまで見ることが出来なかった。
社交辞令だよな・・・
真に受けて答えたら、ひかれる可能性が高い。無難に答えておくべきだろう。
(ありがとございます。機会があれば、是非)
こんなところだろうか。
僕は当たり障りないかを確認して、送信を押した。
さて、ガチャでも引いておくかな。
ゲームのアプリを立ち上げていると、LINEの着信を報せる音がした。
えッ? また、菅原さんからだ。
(では、いつにしましょう。明日か、明後日の夜でしたら空いています)
驚きのあまり、スマホを手から滑り落とすところだった。
これはどう言う意味だろう。本当に、あんな美人が、僕なんかと食事に行くつもりなのだろうか。慌てるな、罠の可能性も・・・罠をしかけて誰が得するんだ?
どう返信したら正解だろう。
「おう、星崎。女と逢引してんのか?」
通りがかったパワハラ大王の浮田さんが、缶コーヒー片手にゲスな笑みを向けてきた。
「そんなのいませんよ。友達からです」
悟られないように、あえてゆっくりな動作で画面をニュースに切り替える。
「知ってて言ってんだよ」
浮田さんは大声で笑いながら、通り過ぎて行った。
考えがまとまりそうにない、返信はあとにしよう。
僕は更衣室に行くと、スマホをロッカーに閉まって、ちょっと早いが仕事場に戻った。
昼休憩。
浮田さんに絡まれないよう、休憩室のテレビから最も遠い端の席に座り、ツナマヨおにぎりを頬張りながら、僕はLINEの文面に悩んでいた。
明日も日勤だから、夜は時間が空く。明後日は夜勤だから無理だ。なら、食事に行くなら明日の1択だけど、本当に行けるんだろうか。
それに、菅原さんのようなひとと行くお店って高級な所だよな・・・お金の余裕も、見合う服もない。でも、あんな美人と食事に行けるなら、行ってみたい。
僕は迷いながら、ポツポツと文字を押した。
(すいません。返信遅くくなりました。明日なら大丈夫です)
僕は震える指先で送信した。送ってから気づいた 「く」が1つ多い。
慌てて送信取り消しを押そうとしたが、その前に既読がついてしまった。
恥ずい。読まないで欲しい。無理ですよね。
ポンッと音がしてLINEが来た。
(では、明日で。お店はどういった所が良いですか?)
安い所がいいです。その言葉をオブラートに包んで伝えたい。
(出来たら、リラックスして食べられる所がいいです)
(分かりました。少しリサーチして、またLINEします)
僕は深々と頭を下げる、シロクマのスタンプを送った。
すると、任せてと胸を叩く鳩のキャラクターのスタンプが返ってきた。
僕はそのスタンプに、思いがけず和んでいた。
でも、不意にはたと頭が冷える。いったい誰とLINEをしていたのだろう。本当にこの前会ったあの菅原さんとだったのだろうか。
信じられない気持ちは、アカウントの乗っ取りの可能性まど想像させる。
でも、その可能性が無いとは言えない。それどころか、考えれば考えるほどそちらの方が現実的に思えてきた。
変なサイトに誘導されないよう気をつけよう。
それから、何度かLINEのやり取りをして、チェーン店の大衆向け居酒屋に決まった。
そして、僕はいま待ち合わせ場所の、駅前にある謎のオブジェの前に立っている。
携帯電話を見ると、まだ18時35分。待ち合わせ時間の19時なら、次の電車でもギリ間に合ったのだが、万が一に菅原さんを待たせるなんてことになってはいけないと、この電車にした。
でも、まだLINEの乗っ取りの可能性は捨てきれない。もしかすると、この帰宅でごった返す人混みの中から、こちらを覗いて、乗っ取り犯が嘲笑っているのかもしれない。
19時半まで待って来なかったら帰ろうかな・・・いや、念の為、20時までは待とう。
どうしよう、帰りに泣きそうな気がする。
「お待たせして、ごめんなさい。待ちましたか?」
振り返ると、そこには本物の菅原さんが立っていた。
「い、いえ。ぜんぜん待ってませんし、まだ待ち合わせ時間でもないです」
実際、まだ10分前だ。危うく、こんな美しい人を僕ごときが待たするところだった。
「ありがとうございます。じゃあ、行きましょうか」
「は、はい」
目的の居酒屋は徒歩で数分の所。僕はさっそうと歩く菅原さんの斜め後ろを着いていく。
すれ違う男達が、菅原さんに不躾な視線を向けるが、慣れているのか彼女は気にする様子もなかった。
「いらっしゃいませッ」
店内は平日ということもあって、お客さんがまばらだった。
「何名様ですか?」
若い男性店員が笑顔で対応にやってくる。
「2人です」
菅原さんが答えると、一瞬、店員は僕の方を好奇の眼差しで見た。
安心して下さい、彼氏なわけないですから。僕は愛想笑いを浮かべてそれに答えた。
案内された半個室の席に対面に座ると、菅原さんはホッとため息をもらした。
あれ、もう飽きられちゃった?
「ごめんなさい。仕事が立て込んでたから、疲れが出ちゃったかな」
恥ずかしそうに微笑む菅原さんは、この前会った時より綺麗に見えた。
「そんなに忙しいのに、僕なんかに時間を使わせてしまって、申し訳ないです。この前の事でのお詫びかなにかなら、ほんと気にしないで下さい」
僕は懸命に説得すると、彼女はフフッと楽しそうに笑った。
「そんなんじゃないです。ただ、私個人が星崎さんとゆっくり話がしたかったんです」
「期待に応えられればいいのですが・・・」
「取りあえず、なにか頼みませんか」
そう言って、菅原さんはタッチパネルのメニューを操作し始めた。
「1カ月後に、電子書籍で順次連載していくでしょ。それと同時に様々な媒体を使って宣伝していって、半年後に電鉄会社とコラボ企画を行う流れになっているの」
3杯目のビール片手に菅原さんは、例の物語の事だけど、と前置きして話し始めた。
「部外者の僕に話して大丈夫なんですか?」
もちろん、誰かに喋るとかするつもりはないけど、また誓約書を書くことになるのではと心配になる。
それを察したのか、菅原さんはまるで絵画のような美しさで微笑んだ。
「出版業界では一般的な流れだから、別に隠すようなことではないわよ。ただ、星崎さんには知っていてほしいの」
グラスを置いて、菅原さんが不意に真剣な表情になる。
「あなたの空想でしかなかったものが、どのようにして現実となって世界に広まっていくのかをね」
僕は緊張感を誤魔化すように、ビールを飲んだ。
「僕のではないです。それは麗奈が世に出したものですから」
「それじゃあ、今度は正真正銘のあなたの作品を創ってみません」
僕の作品? 何だろう、少し気持ちが高揚するのを感じた。でも・・・
「僕に文才は無いと思いますよ」
「あなたの言う文才と言うのが文章力の事なら、確かにあのLINEの文章は素人の作文レベルだと思うわ」
「ですよね・・・」
あれ? ちょっと傷ついた自分がいる。
「でもね、あのストーリーにはそれを凌駕する魅力で満ちてたの。文章力は後からでも身につくわ。だけど、想像力や発想力はその人の持って生まれた才能だと思う。それを私は、あなたの書いたお話から嫌と言うほど感じさせられたの」
熱のこもった菅原さんの瞳が、微かに憂いを帯びていた。
僕みたいな何も無い奴を、こんなに認めてくれたひとは初めてかもしれない。素直に嬉しかった。それだけに、期待を裏切ってしまったらと考えると、言葉が出てこなかった。
「ごめんなさい、唐突過ぎたかな・・・星崎さんはマグロが好きなの?」
「あッ、はい。どうし知ってるんですか?」
僕の問いかけに、菅原さんは破顔して答える。
「だって、さっきからマグロばかり食べてるから、そうなのかなって思って」
無意識だった。美人と2人きりの食事で緊張していて、マグロに助けを求めていたようだ。
確かに、刺身の盛り合わせを頼んだのに、マグロだけがなくなっていた。
「すいません、僕ばっかり食べちゃって。マグロのお刺身追加しましょうか?」
「星崎さんも食べられるなら、お願いします。」
僕はタッチパネルでマグロの刺身と、菅原さんの次の飲み物を注文した。
「そうだ。美味しい生マグロをだすお店を知ってるの。次の時はそこへ行きませんか」
次があるんですかッ?。
「は、はい。僕で良ければ」
嬉しさに踊りだしたくなり気持ちを抑えたくて、残りのビールを一気に飲み込んだ。
どうして菅原さんが僕なんかと、こうしていてくれるのか。それは、恋愛感情などではなく、僕の何かに期待してくれているからだ。
自信はない。でも、ここで応えないのは絶対に違う。そもそも、失うもの何て無いじゃないか。
いや、もしかしたら菅原さんが僕に向ける笑顔が無くなるのかもしれない。それは嫌だけど・・・
「どうすれば、いいですか?」
「え? どうすればって」
「えぇと、どうやって話を書けばいいのかと」
すると、菅原さんがグラスを置いて、グイッと身を乗り出した。
「どんな形でもいいわ。LINEがやりやすいなら、思いついた話を書いて私に送ってくれればいいし、メールとか他の方法でも、もちろんいいわよ」
「じゃ、じゃあ、取りあえずLINEでやってみます」
「ありがとうッ。楽しみにしてますね」
菅原さんは箸を持ったままの僕の手を、挟み込むように両手で包み込んだ。
そして、グイッと顔を近づけてくる。まさか、そんな、キスですか!?
しかし、彼女は鼻をクンクンさせて直ぐに離れてしまった。
「星崎さんって、インクの香りがしますね」
「あ、すいません。印刷工場で働いていて、臭いが抜けないみたいなんです」
「謝らないで下さい。私はその匂い好きですよ」
そう言って微笑んだ菅原さんに、僕はいろんな感情が溢れて来そうになるのを、
「ありがとうございます・・・」
とだけ零して、後は懸命にビールと一緒に飲み込んだ。




