愛のかたち (前編)
「お礼なんていいわよ。ここ最近、前川印刷の仕事が雑になっているって社内でも問題になってたから、クレームをつけるついでに君の事も少し乗せただけだから」
前川社長のあの時の対応からは、少しとは思えない雰囲気だったけど、それは言わない方が良いだろうか。
「清菜もすごく怒ってたのよ。社長に掴みかかりそうなのを、私が抑えたんだからね」
電話の向こうで、押し殺せなかった笑い声が漏れ聞こえてくる。
僕をからかってるんだろうな。でも、菅原さんはいつも冷静なひとだから大袈裟に言っているのは分かりますから、慌てませんけど。それよりも、
「菅原さん、仕事に復帰したんですね。よかった」
「休んだ時の電話の声が嘘みたいに元気だったわ。なんか、スッキリした顔してたけど、キミが何かしたんでしょ」
「期待されてるほどのことは、出来なかったかと・・・」
「ヘタレ」
グサッ。
今度は隠す気のない笑い声が、電話の向こうから聞こえてきた。
「まぁ、そんなキミだからなのかもしれないし、良いんじゃないの。用事はそれだけ? 忙しいから切るわね」
そう言って、電話は一方的に切られた。
僕は耳元からスマホを離すと、LINEを開いて菅原さんとの、昨日のやり取りを読み返した。
「・・・待つしかないよな」
僕は自分に言い聞かせるように呟いた。
社長室に呼ばれて、前川部長から謝罪されたことは、3日もたつとほぼ全ての社員の知るところになっていた。
部長の横柄さを嫌っている平社員達は、僕を英雄のように崇め、どうやったのかと聞きたがったが、あまり執筆活動のことは話したくなかったから、曖昧にはぐらかした。
戸惑ったのは、事情を知っているのだろう課長以上の役職持ちの人達が、腫れ物に触るかのように笑顔を貼り付けて話しかけてくることだった。
その度に、居心地の悪い気持ちになる。
「みんな、喜べ! 仕事が終わったら、3班で星崎君の快気祝いを行うことになった」
昼休が終わり、作業の準備をしていると、浮田さんが大きな声を上げてやって来た。そして、僕に近づき馴れ馴れしく肩に腕を回してくる。
「社長からの直々の提案だ。もちろん、飲み代は全額社長のポケットマネーから出るから安心しろ。不参加は認めんからそのつもりで」
浮田さんが笑顔で班員を見渡すと、腰巾着の戸塚さん以外は渋々といった感じに返事を返した。
何とも、僕は申し訳ない気持ちで小さく頭を下げた。
「さぁさぁ、星崎君。昼からも、ケガのないよう頑張って働こうじゃないか」
ただ酒が飲めるのが嬉しいのだろうな。馬鹿力で僕の肩を叩くと、浮田さんはガハガハと笑いながら担当場所に戻って行った。
本当にありがた迷惑だ・・・。
「社長も、ありがた迷惑なことしてくれますよね。会社の飲み会なんて、仕事の延長じゃないですか。残業代つけてほしいですよね」
仕事が終わり、社員寮に戻る道すがら植村くんがボヤいた。
「ごめんな、僕のせいで」
「星崎さんは悪くないですよ。ほら、浮田主任って普段も面倒くさいのに、醉うとさらにたちが悪くなるじゃないですか」
僕は頷く。
「星崎さん、絶対絡まれますよ。そうなったら、僕はその間に逃げますから」
冗談とも本気ともとれるようにそう言うと、植村君は右手を軽く上げた。
「じゃあ、7時にお店で」
「うん。お疲れ」
植村君が1階の外廊下を歩いて行くのを見送って、僕は1つ溜息を吐くと2階への階段を登っていった。
予約のお店は、普段は行けないちょっと価格帯の高いお店だった。
スマホをと見ると18時48分、予定通り到着できた。
和モダンなお店の外観を見渡して入口を見つけると、タッチ式の自動ドアに触れようとした。しかし、触れるより先にドアが開いて、僕は直ぐに1歩下がった。
中からスーツ姿の男性が出て来た。お互いにチラッと顔を見合って「あッ」と、思わず声に出していた。
「星崎先生ッ、奇遇ですね」
スズカ書房の坂本さんだった。
「坂本さんも、ここで飲んでたんですか?」
「はい。担当してる作家さんと、打ち合わせを兼ねて来てたんです」
坂本さんはそう言いながら、チラッと後ろを見ると、30後半くらいの男性が遅れて出てきた。
面識はないが、取りあえず会釈すると、彼も柔らかい笑みを作って会釈を返してくれた。いいひとだ。
「僕は会社の飲み会で、初めてきました」
「そうなんですね。料理もお酒も良いのがそろっていますから、楽しんでください」
「会社の飲み会じゃなければ、楽しめたんですけどね」
でも、ひとのお金じゃなければこんな高いとこ来ることもないかと、自虐な思いもあって苦笑がこぼれた。
「それはご苦労さまです」
坂本さんも色々と経験して来てるのだろう、自分の過去を思い出すように苦笑で合わせてくれた。
「ではまた」と挨拶を交わすと、僕は店内に入った。
「いらっしゃいませ」
受付に立つ和装の男性が、落ち着いた笑みで出迎えてくれる。
「あ、すいません。前川印刷で予約してると思うのですが」
僕はそう尋ねながら店内を見渡した。
店内は店の真ん中にオープンキッチンを備え、それを囲むようにいくつものテーブル席が列ぶスタイルのお店だった。
席はほぼ埋まっていたが、見慣れた顔は直ぐに見つけることができた。
「こちらへどうぞ」
案内されて行くと、すでにテーブルには料理とお酒が並んでいて、飲食が始まっていた。
あれ? 19時からだったよな。
「遅くなりました」
「遅えぞ、主役のくせによ。待ちきれず始めちまっただろう」
浮田さんが、飲みかけのビールを片手にドブづいた。
今日の参加者は8人。席には5人が付いていた。
浮田さんと腰巾着の戸塚さん以外の同僚が、僕を見て「すまん」と言う表情を浮かべていた。
集合時間は間違ってないようだ。
「ほら、ここに座れ。お前が主役なんだから俺が酌をしてやる」
ウゲッ、1番座りたくない席。
「あ、ありがとうございます」
僕は気持ちが顔に出ないよう気をつけながら、椅子に座るとコップを差し出した。
浮田さんは片手でビールを注ぎながら、ひとこと喋るように促した。
「・・・えぇ、その、僕が入院したことで、皆さんには仕事の負担をかけて申し訳ありませんでした。これからは、ケガのないよう気を付けて行きます」
「当たり前だ」
不機嫌そうに言葉を挟んだ浮田さんに、僕はもう1度「すいません」と謝ると、戸塚さんが慌てて、「ほら、カンパイ、カンパイッ」
と言いながら、僕や同僚とグラスを合わせて、盛り下がる雰囲気を食い止めた。
浮田さんは不機嫌なままビールをあおり、その横で僕は、造り笑いを浮かべてビールをすすった。
それから間もなく、残りの3人もやって来て、テーブルはそれなりに賑やかになった。
担当の坂本さんの言った通り、料理はどれも美味しい。こんな会でなければ、もっと美味しく味わえるのにな。
不意に僕の脳裏に菅原さんの顔が浮かぶ。
菅原さんと来たら楽しいだろうな・・・まぁ、振られた訳だから無理だけど。
「せっかく会社の金なんだから、高いワイン頼もうぜ」
そう言うが早いか、戸塚さんは店員を呼ぶとワインをボトルで何本も頼んだ。
「そんな高いのばっかり頼んで、大丈夫ですか?」
同僚が心配を隠すように茶化すと、
「会社には安い給料で、労力をむしり取られてるんだから、こんな時に取り返さないとだろ」
「確かに、そうっすね」
戸塚さんの力説に他の同僚たちも嬉しそうに同意する。
しかし、1時間もすると、みんなワインを頼んだ事を後悔し始めていた。
「うるせぇッ。俺は酔ってねぇよ」
浮田さんの怒声に、僕らは顔を見合わせて苦笑した。酔っぱらいはみんなそう言うんだよ、と言いたいけど言えないからだ。
浮田さんはお酒に強い方だが、さすがにワインをビールのようにガバ飲みしては、こうなっても仕方ないだろう。
「クソッ、今まで散々尽くしてきたのに、簡単に手のひら返しやがってよッ。あのボンボン、俺に責任をなすりつけた上に、説教まで垂れやがって」
ボンボンと言うのは前川部長の事だ。多分、僕の事で社長に叱責された部長が、直属の上司である浮田さんに小言があったのか、それ以上の何かがあったのかもしれない。
浮田さんの矛先がこちらに向くのは、時間の問題だろう。あぁ、帰りたい・・・
案の定、体を小さくして視界に入らないようにしていた僕に、浮田さんは椅子をずらして体ごとこちらを向いてきた。
顔は真っ赤。目が座るという言葉を聞いたことがあったけど、今の浮田さんのこれがそうなのだろ。
「星崎、本当に上手にやったよな。来年度にはおまえを、何かしらの役付きにする話も上がってるらしいからな」
その話に、同僚達が小声で驚きあっている。僕自身も初耳で、しかし、驚きより怖いという感情が先に立った。
「僕なんか、まだ無理ですよ」
謙虚な笑みを浮かべたつもりだったが、浮田さんの鋭くなる眼光を抑える効果はなかった。
「当たり前だッ。なんでお前なんかが俺の上司になるんだよ」
「浮田さん、落ち着いてください。もう少し、音量を落としましょう」
戸塚さんが、他のお客さんの視線を気にしながら、浮田さんに水の入ったコップを差し出した。
「酔ってねぇよッ」
コップを持つ戸塚さんの手を押しのけると、グラスに残っていたワインをひと息に飲み干した。
「星崎よ、もし人事から打診があっても、ちゃんと断れよ。お前みたいな無能が間違って上に立ったら、仕事が回らなくなって、社員みんなに迷惑かけるんだからな」
そう言いながら、浮田さんの手が僕の肩を痛いくらいにつかむ。
「会社に居づらくなりたくないだろ。2回も会社辞めた奴なんて、まともな会社は雇ってくれねぇぞ。心配しなくても、俺の言う事聞いてれば、ちゃんと引き上げてやるからよ。自分の身の程をわきまえろよな」
酔っているとは言え、どうしてここまで言われなければいけないんだ。
僕にだって小さなプライドがある。もう、どうにでもなれッ。
自制を利かすのにはじしんがあったが、アルコールのせいでタガがゆるんでいたのかもしれない。
僕は怒りに任せて、肩をつかんだままだった浮田さん手を払いのけた。
「てめぇッ」
浮田さんは椅子から腰を浮かせて、今にもつかみかからんばかりに睨みつけてきた。
僕は萎みそうになる気持ちを懸命に奮い立たせて、睨み返す。
しかし、それがさらに気に入らないようで、浮田
の目に殺気がこもる。
これは殴られるな、と覚悟した時、僕の前に割って入った人影が、大きな音を立ててテーブルを叩いた。
長い髪に、この甘い良い香りは。
「菅原さんッ!?」
しかし、菅原さんは僕の声に振り返ることなく、浮田と向き合ったまま微動だにしない。心なしかその背中から、殺気が湧いているように見える。
「誰だ ? あんた」
突然の乱入者。それも飛び切りの美人に睨まれ、浮田の声に怯みが混じっていた。
「龍は浅瀬に潜まず。この意味を、ご存じなはずがないわね」
話し方が穏やかなのが、かえって怖く感じる。
「じゃあ、ポケモンならわかるかしら。強いポケモンは、無能なトレーナーの言う事を聞かなのよ」
「俺が無能だって言いたいのか」
浮田は低い声で威嚇した。
「誤解しないでほしいわ。我がスズカ書房は、彼が龍だと気づき、広く大きな海原を用意することができた。それを自慢しているのよ」
「う、浮田さん、まずいですよッ。スズカ書房はウチの最大顧客なんですから、そこと揉めたら叱らせるどころか、下手したらクビですよ」
戸塚さんが浮田の腕を両手でつかんで、グイグイ引っ張った。
さすがの浮田も、戸惑いと困惑の入り交じった表情になって、言い返す言葉が出てこないのか、口をパクパクさせている。
そんなさなか、スーツ姿の男性が厨房の中から歩み寄って来た。
「お客様、精算の準備が出来ております」
静かな物言いだが、反発することを拒絶する眼差しをこちらに向けていた。
要するに、うるさくて他のお客さんに迷惑だから、金払って出て行けと言っているのだ。
「分かりました、お願いします」
戸塚さんが苦笑いを浮かべて答えると、各々、荷物を持って席を立った。




