逆転
相変わらず会社は憂鬱だ。
部長から説教を受けてから、それが免罪符になったのか、事あるごとに浮田さんからの嫌みや、仕事のミスの責任転嫁があからさまになった気がする。
「さっきの浮田主任の文句は、完全に言いがかりですよ。星崎さんは全く悪くないのに」
昼休み、休憩室でツナおにぎりを食べる僕の前で、植村君はカップラーメンをすすりながら、苛立たしくそう言った。
僕は焦って辺りを確認したが、浮田さんの息のかかった人間はいなさそうだった。もちろん植村君も、それを分かった上で話してるのだろう。
黄昏駅のイベントで会ってから、同志だと思ってくれているのか、寄ってきてくれることが増えた。
「僕もそう思ってる。でも、言い返せばその百倍の嫌がらせが返ってくるから、聞き流すしかないよ」
僕は苦笑いを浮かべておにぎりを頬張った。
「ほんと、悪どい奴が上になる典型的なブラック企業ですよね。漫画とかなら星崎さんはストレスで亡くなって、異世界転生しちゃうところじゃないですか?」
「いや、まだ死にたくはないのだけど・・・」
「そう言えば、今週の日曜日にカナカナのラジオイベントがあるんですけど、行きませんか?」
声優の本田カナね。日曜日は夜勤明けだから、ダラダラ寝てたいな。
どう断ろうか思案していると、ドアが勢いよく開けられ、その場にいた従業員の視線が向けられる。
入って来た人物が前川社長だと分かると、皆一様に驚きで目を見開き、口を閉じた。
社長が休憩室に顔を出すことなど、滅多に無いことだ。そんな珍客は何処か慌てた様子で、部屋を見渡すと一緒に入って来た専務に、何事か話しかけている。
その様子を、僕らは固唾を飲んで見守っていると、専務が1歩前に出て咳払いをした。
「この中に、星崎拓真君はいるかな?」
でっぷりとした体格によく合った、野太い声が僕の名前を呼んだ。
何かの間違いかと植村君を見ると、彼も驚いた表情で僕を見ていた。
「・・・はい、星崎です」
僕は恐る恐る椅子から立ち上がった。
「キミかぁッ」
前川社長は真っすぐ僕に向かって歩いて来ると、満面の笑顔で僕の右手を取った。
「キミが星崎君かッ。そうかそうか、キミのような素晴らしい社員がいてくれて誇りに思うよ」
真っ白な口髭を揺らして、前川社長がガハガハと笑う。
僕は状況がわからないが、取りあえず笑みを作った。
「社長、ここではあれなんで場所を変えましょう」
専務が小声でそう言うと、
「あぁ、そうだな。星崎君、ついて来たまえ」
前川社長に促され2人の後について行くと、社長室に案内された。
「失礼します・・・」
初めて入った社長室は、テレビのドラマなんかで見た様な豪華な室内だった。
「そこに、腰掛けたまえ」
高級そうな長いソファーを示され、僕はゆっくりと腰掛けると、イスは驚くほど柔らかく沈み込んだ。
これまた高級そうなテーブルを挟んで、ソファーに腰掛けた社長と専務は、気持ち悪いくらいニコニコしている。
今まで、会社で見かけて挨拶しても、常に難しい顔をしたお二人方から、挨拶を返されたことすらなかったのに。
「星崎君は、スズカ書房で執筆活動をしているそうだね」
あれ? どうして知っているんだろう。部長に聞いて調べたのかな。
「あ、はいッ。すみません、副業をしてはいけないと知らなくてッ」
僕は慌てて頭を下げると、社長は僕の反応に少し驚いたように眉毛を上げたが、直ぐに手を横に振った。
「いやいや、副業は別に禁止してはいないよ。まぁ、本業に影響が出るほどされてはさすがに困るがね」
社長は専務と顔を見合わせて、苦笑し合った。
「え、そうなんですか? でも、部長には禁止だと言われました。それもあってか、減給も受けましたし・・・」
「それは本当かねッ」
社長は驚くほど声を張り上げると、表情を険しくして専務を見た。
「今すぐ、凌太郎を呼んできなさい」
「はい、直ぐに」
そこまでしてもらわなくてもと、止めようと思ったのだが、言葉を選んであたふたしてるうちに専務は部屋を出ていってしまった。
2人だけになって、僕を見た社長は元の穏やかな表情に戻っていた。
部屋のドアがノックされて、事務の女性がお盆にお茶を乗せて入ってきた。
テーブルに置かれたお茶を、社長がすするのをみてから僕も口をつける。
「実は今朝、スズカ書房に呼ばれてね。そこで君の話が出たんだよ。あちらは星崎君を高く評価していてね、君の勤める会社だからこれからも仲良くしたいと言われてね」
あぁ、斎藤さんが昨日言っていたのはこういうことだったのか。
「そうなんですね。お力になれてよかったです」
「釘も刺されたよ。君が執筆活動出来るよう協力して欲しいと、遠回しに言われたよ。もちろん、仕事と両立してもらえれば、こちらは文句もないし、少しくらいなら優遇するつもりだ」
ありがとうございます、斎藤さん。
「会社に迷惑はかけないつもりです。認めてくださりありがとうございます」
「いやいや、若人の可能性を伸ばすのは、年寄りの仕事だよ」
そう言って、社長は嬉しそうに笑った。僕もぎこちない笑いで返した。
「失礼します。凌太郎くんを呼んできました」
専務の後について、前川部長が少しうつむきながら入ってきた。
どうやら、専務からあらましを聞かされたようで、明らかに納得してないふてくされた表情をしていた。
「呼んだ理由は分かっているな。星崎君に副業のことや減給のことなど、間違った情報を教えて強制したようだな。なんと浅はかなんだ、お前はッ」
社長の叱責が飛ぶ。僕まで身が縮まる思いがした。
「しかし、父さん。彼の上司からも、星崎君の勤務態度に対する低い評価や、能力の問題点などいくつも問題点が上がっていたんです」
評価は、浮田さんが課長に上げる報告でほとんど決まってしまう。それにしても、浮田さんの説教にも耐え、一生懸命に働いた評価がやはりそれなのか。
僕は心のなかで苦笑した。
「お前のその偏った見方が、この会社を潰しかけたんだぞ、バカモンがッ」
社長の怒声が部屋を揺らした。
えッ、そこまで。斎藤さんのチカラってそんなに凄いの?
専務が、部長の背中に触れて促す。
彼は重い足取りで僕に近づいて来る。その憎しみに近い眼差しを向けられ、僕は思わず立ち上がった。
「さっさと謝らんかッ」
僕のような末端の社員に謝罪するのは、よほど彼のプライドが邪魔をするのだろう。彼は社長に再び怒鳴られ、歯を食いしばりながらわずかに頭を下げた。
「言葉が足らなくて、誤解を生んだようだ。謝罪する」
「それの、何処が謝っとるんだッ」
「い、いえ、十分ですから。僕は減給処分がなくなればいいので」
社長が再び怒りだしたので、僕は慌てて両手で制した。
「その心配はない。いや、それだけじゃないぞ。今度のボーナスも期待して欲しい。もちろん、来季からの給料も検討させてもらうからな」
社長は僕の手を取って、力強く握りながらそう言ってくれた。
「ありがとうございます」
僕の力ではないけど、初めてこの会社で評価されたみたいで嬉しかった。
「用件は済みましたでしょうか。でしたら、私は仕事がありますので戻らせてもらいます」
部長はそう言うと、誰とも目を合わさずに部屋を出て行った。
社長と専務は渋い顔で、閉まったドアを見つめていた。
「あ、あの、僕もお話がなければ、仕事に戻りたいのですが・・・」
「おうおう、会社のために頑張ってくれたまえ」
社長に手まで振って見送られながら、僕はやっと社長室から出ることが出来た。
仕事場に戻りながら、僕はため息が漏れた。
前川部長には、理不尽な事を言われて腹が立っていた。だから、謝罪されてスッとした気持ちになれたと思っていた。
でも、何とも言えない不快感が残っただけだった。
「取りあえず仕事が終わったら、斎藤さんにお礼の電話をしないとな」
僕はそうつぶやいて、胸のモヤモヤを忘れようとした。




