友人
朝の朝礼が終わり、作業場に移動しようとすると、浮田さんがニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら近づいてきた。
「星崎、お前は朝イチで事務所に行って来い」
事務所には役職以上のひとと、会計担当のひとがいる。この会社に入って、その部屋に入ったのは入社したときだけだ。
浮田さんの表情からも、悪い予感しかしない。
「・・・はい」
僕は小さく返事を返すと、事務所のある2階に向かった。
「失礼します、星崎です」
ドアを開け、室内に声をかけたが、誰もこちらを見ようとせず、パソコンや書類に視線を落としたままだった。
「あの、呼ばれたので来たのですが・・・」
もう一度声をかけると、奥の方のデスクの男性が、こちらを見てゆっくりと立ち上がった。
「隣の会議室に入ってくれ」
前川部長だ。この前川印刷のご子息で、30代で部長をやっているひとだ。
「はい」
僕は部長の後をついて、部屋に入った。
会議室は白い長テーブルがコの字型に配置されて、ちょっと値が張りそうなイスが整然と並んでいる。
前川部長は、窓側のテーブルに1枚の紙を置いてイスに腰掛けると、僕に反対側の席に座るように促した。
「星崎君だったかな。今日から復帰だそうだけど、身体はもう大丈夫なの?」
「あ、はい。まだ少し腰に痛みはありますが、薬も飲んでいますし、仕事には支障はないと思います」
僕がそう答えると、彼は「そう」と素っ気なく呟いて、テーブルに置いた紙に目を落とした。どうやら、その紙は僕の履歴書のコピーのようだった。
「来てもらったのは、同僚の何人かから、君に関する問題行動の報告があったからだ。」
「え? どんなことでしょうか」
僕の応答が気に入らなかったのか、前川部長は怒りを鎮めるように溜息を吐いた。
「きみ、休養期間中に遊びに出かけていたそうじゃないか。休養中も給与が発生しているのだから、自宅療養しているべきじゃないのかな」
近くのコンビニとか除けば、出かけたと言えるのは黄昏駅のイベントの事しか思い当たらない。でも、どうしてその事を知って・・・あッ、植村君か。
でも、彼は悪意を持って告げ口をするタイプじゃないよな。考えられるのは、会社の誰かに僕に会ったって軽く話したのが、浮田さんの耳に入って密告されたんだろう。だから、さっきの笑顔だったわけだ。
脳裏に浮田さんの顔が思い出され、僕は直ぐにかき消した。
「すみません。確かに、イベントに出かけました。でも、それは遊びに行ったと言うより、仕事と言うか」
「仕事? きみは副業か何かやっているのか?」
「あ、その、物書きを始めまして・・・」
すると、前川部長の視線が不意に鋭くなった。
「我が社は、副業は認めてないはずだがね」
「そんなッ、面接の時に副業をしても良いとうかがっていましたが」
「親の家業の手伝いがある場合のみ、特例で認めているだけだ」
あぁ、これはブラック企業あるあるのやつだ。
「すいません、知りませんでした」
僕が頭を下げると、前川部長は当て付けるように深く溜息を吐いた。
「ただでさえ、きみの不注意で事故が起こって、労災の人間に痛くもない腹を探られたというのに、会社の一員としての自覚が足りないんじゃないのか」
「そんなッ。確かに労災のひとには僕の不注意ということにしましたが、それは会社のためにそうしただけで、事故は僕だけのミスではないです」
「今はそんな事を聞いてない。きみの社会人としての姿勢の話をしているんだ。とにかく、他の社員に示しをつけるため、数カ月の減給は覚悟したまえ」
「減給ですか!?」
僕は思わず聞き返すと、前川部長はギロッと睨みつけてきた。
「減給だけで済んだんだ、感謝したまえッ。話しは終わりだ、仕事に戻りなさい」
そう言い捨てて立ち上がると、僕に背を向けてスマホを取り出した。
僕は軽く頭を下げると、やるせない気持ちを抱きながら部屋を出た。
減給か・・・
入社面接の時、給料が安いことが心配で、昇給のことやら色々と面接官に尋ねたとき、面接官の方から副業もしていいと言われたことを覚えている。
どちらの言ったことが正しいかなんて決まっている。部長が黒と言ったら黒なのだ。
ただでさえ給料安いのに、どれだけ減給されるんだろう。それに、副業が駄目だってなったら、書いてる小説を辞めないといけないのだろうか。
今更やめるなんて言ったら、出版社の人に迷惑だろうし・・・いっそのこと、会社を辞めようかな。
でも、またあのしんどい就職活動をしなければいけなくなる。それも、2回も会社を辞めているレッテルを貼って。
僕は何も解決できず、深い溜息を吐いた。
(仕事が終わりましたら、少し時間をもらえないでしょうか)
15時の小休憩の時に、スマホを確認すると、スズカ書房の坂本さんから1時間前にLINEが入っていた。
ちょうど、副業のことで相談もしたかったので、了承の返事を返すと、18時半に会うことになった。
待ち合わせのチェーン店のカフェは、工場から2駅先だから、社員寮に戻ってシャワーを浴びても間に合うと計算していたのだけど、浮田さんに捕まってまた小言を言われたことで、寮に帰っている時間がなくなってしまった。
電車を降りて駅から出ると、途中で駆け足を混ぜて何とか待ち合わせ時間に間に合った。
お店の中に入ると、すでに坂本さんは来ていて、こちらに手を振った。
「すいません。仕事が長引いて遅くなりました」
「いえいえ、時間通りですから。こちらこそ、急なお呼び出しして申し訳ありません」
坂本さんと挨拶を交わすと、向かいの席に座りながら、彼の隣に座る女性をチラッと見た。
年齢は菅原さんくらいだろうか。綺麗な雰囲気の人だが、目尻が上がっているせいか気の強そうな感じを受ける。
あれ? 前にどこかであったような気が・・・
「紹介しますね。こちらは、会社の先輩の斉藤さんです」
坂本さんがどこかぎこちない笑顔でそう言うと、その女性は、
「斉藤彩織です」
と名乗って、名刺を僕に差し出した。
「あ、ありがとうございます。星崎拓真です」
名刺を受け取りながら、僕も名乗り返して頭を下げた。
「今日は、坂本君に無理を言ってついてきました。仕事の話が終わりましたら、少しお時間を頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」
「あ、はい」
彼女の鋭い視線に、イエス以外の答えを僕は持っていなかった。
「では、仕事の話をしちゃいますね」
坂本さんも苦笑いを浮かべながら、鞄から紙を取り出した。
「まぁ、電話でもよかったんですが、1話目の後書きのお願いをしたかったんです」
どうも、1話ごとに作者の意見や感想を数行いれる決まりのようで、紙には他の作家さんが書いた参考文がいくつか書いてあり、下の方にはNGワードの例もいくつか書かれていた。
僕は紙から視線を上げると、坂本さんがコーヒーを飲んでいた手を止めて、こちらを見た。
「何か分からないことがありましたか?」
「いえ、そうではなくて・・・」
僕は一瞬迷ったが、やはり話すことにした。
「今日、会社で部長に呼び出されて、療養の時に黄昏駅のイベントに行ったことを咎められたんです。それで減給まで食らってしまって最悪です」
僕は雰囲気を悪くしないよう、軽い口調でそう言って苦笑する。
「それはまた、大変でしたね」
坂本さんは心配そうな表情で相づちを打つ。
「その流れで、物書きを始めたことを話すことになったんですが、会社では副業を認めてないから辞めるよう言われてしまって・・・」
僕の話しに、坂本さんだけでなく、隣で静かにコーヒーを飲んでいた斎藤さんまで驚き慌てた表情を浮かべた。
「そんなッ、困りますよ。すでにマガジンに乗せる準備も進んでますし・・・だいたい、仕事をしながら出版してる人なんていくらでもいますよ。会社が反対するなんて聞いたことないです。その会社が星崎先生に嫌がらせしてるだけなんじゃないですか?」
「多分、そうだと思います。僕、直属の上司に嫌われてますから」
僕は雰囲気を悪くしないよう笑ってみせようとしたが、ぎこちなくなってしまった。
「・・・星崎先生が務めてるのって、前川印刷ですよね」
「あ、はい」
どうして斎藤さんが知っているんだろう。
「それでしたら、スズカ書房ともつながりがありますから、こちらからも確認をとってみます。多分、悪い返事にはならないと思うから、星崎先生は今まで通り執筆を続けて下さい」
斎藤さんから何故か、有無を言わせない迫力を感じた。
「彩織さんがこういうんだから、多分心配ないですよ。なにせ、彩織さんはスズカ書房の令嬢ですから」
坂本さんが得意気にそう言うと、斎藤さんは鋭く彼を睨みつけた。
「余計なことは言わないッ」
「すいません」
萎縮する坂本さんを横目に、斎藤さんは小さく咳払いをして僕を見た。
「今日は、清菜の友人としてきたの。坂本君、仕事の話はもうよかったかしら?」
「あ、はい。大丈夫ですよ」
「じゃあ、もう帰ってくれていいわよ」
表情はにこやかだが、有無を言わせない威圧感があった。
「・・・分かりました」
てっきり傍聴できると思っていた様子の坂本さんは、残念そうに返事をすると、残っていたコーヒーを飲み干して腰を上げた。
「では、星崎先生、お先に失礼します。話の続き楽しみにしていますね」
「ありがとうございます。昨日、菅原さんに続きの話をメールしましたから、近い内に届くと思います」
「そうなんですね、分かりました。それでは」
坂本さんがお店を出て行くまでの少しの間、斎藤さんはコーヒーに口をつけながら、何か考えているようだった。
「今日、清菜病欠で会社を休んだのよね・・・」
不意に斎藤さんはポツリと言った。
「えッ、菅原さん大丈夫なんですか? 風邪とかでしょうか」
「朝に電話した時は、体調を崩したからって言ってたけど、今は他の理由に思えてきたわ。だいたい清菜が体調悪いくらいで休むわけないし。こっちがいつも止めないといけないくらい、無茶ばかりするもの」
愚痴っぽくなる口調には、親友を思いやる優しさが感じられ、僕は斎藤さんに好感を抱いた。
「そうなんですね。なんか、菅原さんっぽいです。でも、他の理由ってなんでしょう、何か知ってるんですか?」
何か僕に出来ることはないだろうか。
僕は真剣に尋ねると、何故か斎藤さんは呆れたような表情で僕を見返していた。
「あんた以外に、原因はないでしょうが」
「僕ですか?」
僕が原因って、考えられる事は1つだよな。菅原さんに告白して振られたこと。
でも、振られたのは僕だし、傷ついて病むのは振られたほうじゃないのか?
いや、僕は経験がないから分からないだけで、振る方も想像以上に、精神的ストレスがかかっているのかもしれない。
「・・・もしかして、僕を振ったことを気にしているんでしょうか?」
「根本的なところはそこだと思うけど・・・」
あ、やっぱり知ってるんですね。ハズいです。
「ねぇ、昨日、清菜となんかなかった?」
「なんかと言われても、小説の続きが書き上がったのでLINEで送りました・・・」
やばッ、LINEの最後に、余計なことを書いたんだった。
「どうしたの? 何か思い当たることが?」
僕は斎藤さんから視線をそらして、しどろもどろに答える。
「その、LINEの最後に、振られたけど、好きでいていいですかみたいなこと、書いたような、書いてないような・・・」
それをキモがられてしまったのでは。それも、休むくらい菅原さんに影響してしまっているなら、これはもうストーカー認定ではないだろうか。
全身から冷たい汗が噴き出すのを感じて、僕はおしぼりで顔の汗を拭った。
「へぇ~〜。ヘタレの君にしては頑張ってるじゃん」
あれ? 意外な反応。怒られるかと思ったのに、感心されている。でも、言葉は明らかにけなしてるような・・・。
「君も清菜のことで、噂くらいは聞いてるんでしょう。それとも清菜から聞いた?」
それは不倫のことを指しているのは、斎藤さんの真剣な表情から読み取れた。
「人づてに聞きました。でも、僕は全く気にしていません」
僕も真剣な表情でそう答えると、斎藤さんはフッと表情を緩めて「ありがとう」と言った。
「・・・相手の奥さんがね、自殺未遂したのよ。その時にはもう別れた後だったんだけど、それを知った清菜はすっかりまいってしまってね。それ以来、もうひとを好きにならないとか、自分が好きになったら相手を不幸にするって思い込んでるのよね」
「そんなことが・・・それは、しんどかったでしょうね」
想像が及ばなくて、僕は在り来りの返答しかできなかった。
「私に言わせれば、全部相手の男が悪いのよ。妻とは何年も仮面夫婦だとか、離婚に向けて別居してるとか嘘ばかり並べて、何度殴ってやろうと思ったか」
斎藤さんの拳が怒りのせいで震えている。その拳が僕に向かないよう心がけます。
ところが、不意に握った拳から力が抜けた。
深い溜息を吐く斎藤さんから、ずっと、菅原さんの相談に乗ったり、励まして来たんだろう苦労がにじみ出ていた。
「・・・僕に、菅原さんの心を癒すことができるでしょうか」
すると、斎藤さんはニッコリと微笑んだ。
「星崎君にしか出来ないから、話に来たのよ。清菜が過去に囚われながらも、気持ちを抑えられなかったキミにしかできないから」
それはすなわち、菅原さんも僕が好きだということですよね。がぜん、勇気が湧いてきた。
「頑張ります」
「頑張りはどうでもいいわ。結果が全てだからね」
「ハハッ、昔の怖い上司を思い出します」
「清菜を好きなことで言ったら、間違いなく私はキミの上司かもね」
斎藤さんはテレを覗かせながら、得意気にそう言った。
僕は部下の演技っぽく、深々と頭を下げた。
「あッ、それから、うちの佐伯がキミに失礼なこと言ったみたいだね。こちらでちゃんと締めておいたから」
そう言って、斎藤さんは悪魔の笑みを浮かべた。
そんな彼女を、僕は姉御と呼ぼうと心に誓った。




