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誠実な気持ち

「旅行に行かないか」

 自宅療養が許可されて帰って来たその夜、久しぶりに家族4人で食事をしていると、父さんはおもむろにそう言った。

 場所は父さんが決めて、旅館の予約やら準備は母さんがテキパキと済ませてしまい、その週末には母さんの運転で、高速道路を走っていた。

「どうした、柚希」

 後部座席の隣に座った柚希が、Tシャツの首元を指で上げて肩口を覗きながら、ムゥ~〜ッと唸っていた。

「水着着てきちゃったけど、海入れるよね?」

「いや、9月だしクラゲだらけで無理だろ」

 そう返すと、柚希は大きく溜息をついた。

「やっぱそうかぁ」

「心配するな。オレもちゃんと、水着着てきてるから」

「なんで、それで安心になるのよ。バカ兄妹なだけじゃない」

 言葉と裏腹に、柚希は楽しそうに笑った。

 車で1時間半程のその海水浴場は、子供の頃に父さんと2人でよく行った場所だった。

 中学生になって、親と出かけるのがなんとなく恥ずかしくなってからは来てなかったから、5年ぶりだろうか。

 海岸にはまばらに人がいるが、海で泳いでいるひとはいなかった。

「お父さんと、お母さんは旅館で少し休んでから来るって」

 大きな白いハットを被った柚希は、海を眺めて眉根を寄せた。

「やっぱり、海入れないか」

「波打ち際なら大丈夫じゃないか。せっかく来たんだから、しっかり元取ろうぜ」

 僕はそう言うと、海へと走り出した。

「お兄ちゃん、待ってよ」 

 砂浜に寄せる波に、サンダルを履いた素足が触れると、ひんやりこそばゆい。夏の日の感触と少し違う気がした。

 後ろを見ると、柚希が1歩目をためらっていた。

「おりゃッ」

 両手で海水をすくうと、柚希めがけてかけた。

「ひどぉーーッ」

 怒った柚希は波に浸ると、両手で海水をすくっては何度もかけてきた。当然、僕も兄の威厳を守るためにかけ返す。

 お互い息を切らす頃には、全身ベタベタになっていた。

「ねぇ、お兄ちゃん。お城作ろうよ」

 濡れた服を脱いで水着だけになっていると、柚希は砂を集めながら言った。柚希のTシャツも濡れて水着が透けているが、脱ぐ気はないようだった。

「いいよ」

 サッと視線を外して柚希の横に座ると、ワッサワッサと砂を集めていく。 

 小さな砂山は次第に水を含んで大きな塊になり、それをお城の形に切り出していく。 天守閣はどうするかな。

「・・・ねぇ、何で日本のお城なの。こういう時って、西洋のお城を作るもんじゃないの?」

「そうなのか? こういう所でお城作ったことないからな」

「わ、私もないけど、とにかく作り直し」

 照れを隠すように、柚希はぐうパンチで形になってきていた城を破壊した。

「へいへい」

 僕は渋々、また砂を集めていく。

 西洋のお城ってどんな感じだったかな。細い塔がいくつもあるイメージだけど・・・

「うん、なかなか良いんじゃない」

「お褒めにあずかり光栄です、姫」

「さぁ、どんどん領地を増やしていくわよ」

 気持ちが乗ってきた柚希姫の号令のもと、2つ目の城の拡張に取りかかっていると、父さんと母さんが日傘の相合傘でやって来た。

 2人で波の届かない砂の上に座ると、微笑ましいものを見る笑顔でこちらを眺めていた。

 僕はそれに気づかないふりをして、4つ目の塔を作っていたのだが、次第に波が城に届くようになってきていた。

「このままじゃ、崩れてしまうわよ。城壁を急いで作って」

「イエス マァム」

 しかし、作ったそばから波によって城壁は崩れていく。しょせん、ひとの力なんて自然の脅威には無力なのだな。

「あ〜〜ぁ、もういいや。暑いし入って来る」

「お、おいッ」

 止めるまもなく、柚希は服を脱ぎ捨てると水着になって、バシャバシャと海に入って行った。

「大丈夫そうッ。クラゲいない感じだよ」

 腰までの深さまで行った所で立ち止まり、柚希は海のなかを見渡しながらこちらに手を振った。

「気をつけろよ」

 1人で入らせておくわけにも行かず、僕も海に入って行くことにした。

「キャアッ、痛い!」

「だから言っただろッ」

 悲鳴を上げて足を抑える柚希のもとに、僕は慌てて駆け寄った。

「ごめん、お兄ちゃん」

 僕は柚希を背負うと、直ぐに海から上がる。

「大丈夫か、柚希」

「大丈夫?」

 父さんと母さんも慌てて駆け寄ってきた。

 柚希を背中から下ろすと、左足の太ももに線状の赤い跡が痛々しく付いていた。

「美奈子さん、すまないが病院に連れて行ってくれないか」

「分かったわ」

 母さんは頷くと、車を取りに走って行った。

 僕は柚希の服と自分の服を拾うと、彼女の服を渡した。

「ごめんなさい、お父さん。せっかくの旅行だったのに」 

 Tシャツを着ながら、柚希は申し訳なさそうに謝った。

「気にすることはないよ。それよりも、心配だからとにかく病院に行こう」

 父さんが優しくそう言うと、柚希は項垂れるように頷いた。

「ほら、乗れよ」

 服を着た僕は、柚希の前でしゃがんで背中を向けた。

「・・・ありがとう」

 柚希はそう言って、僕の首に両腕をまわすと、体を預けてきた。

「・・・ごめんなさい。ちょっと、行ってきますね」

「あぁ、よろしく頼むよ」

 柚希を車の後部座席に乗せている間、父さんと母さんは少し会話をしていた。

 僕もついていくつもりでいたが、母さんにお父さんと旅館で待っていて欲しいと言われ、僕は渋々頷いた。すると、母さんは微笑んで、念の為に行くだけだからと付け加えた。

 車を見送ると、僕は父さんを振り返った。

「旅館に戻る?」

 そう尋ねると、父さんは笑みを浮かべて、

「ちょっと、歩かないか」

 そう言って、海岸の方へ歩き出した。

 僕はその後ろをついて行きながら、少し小さくなった気がするその背中を眺めた。

「初めてここに来たのは、悠人が5歳の時だったな。浮輪につかまってると思ったら、目を離した瞬間に海の中に沈んでてな、ほんとあの時は慌てたなぁ」

「覚えてないよ。そんな小さい時のこと」 

 僕の表情を見て苦笑を浮かべながら、父さんは海岸に横たわる流木に腰掛けた。

 父さんの視線に促されて、僕も隣に座った。

「悠人には、僕ら大人の勝手な事情でつらい思いをさせて、本当にすまなかったと思ってる」 

「・・・父さんは、何も悪くないだろ」

 そうだよ。父さんは他人の僕を、何の見返りもなく育ててくれただけだ。

「そんなことはない。初めは打算だったんだ。悠人を預かれば、美奈子が戻って来てくれるのではと・・・でも、悠人と暮らしているうちに、この生活が楽しくて、かけがえのないものになっていってしまった。もしかしたら、もっと早く両親のもとに返してあげる方法があったかもしれなかったのに、この生活を失うのが怖くて、自分のわがままを通してしまったんだ」

 僕はカッと、頭に血が登った。

「そんなことないッ。父さんはいつだって、オレのことを考えてくれていた。だから、病気になってオレが1人になることを心配して、母さんたちに頼みに行ったんだろ。父さんが頭を下げる必要なんてないのに」

 僕は込み上げげてくる涙を懸命に堪らえようとした。でも、どうしても震える心を抑えることができなかった。

「・・・ごめん、ごめん父さんッ。オレがもっとしっかりしてれば、嫌な思いさせずに済んだのに。ごめん、他人なのに迷惑ばかりかけてッ」

 父さんの手が、不意に僕の頭をなでた。

「親子なんだから当たり前だろ。僕は、悠人と家族で本当に幸せだったよ。ありがどう、悠人」

「父さんッ」

 僕は父さんにしがみついて泣きじゃくった。   そこにいるのを確かめる為に、そして、どこにも行せないように・・・


 


 

 スマホに入力する手を止めると、テーブルの上に置いた置き時計を眺めた。

 21時を回ったところか。23時迄には寝ないとな・・・。

 明日から仕事に復帰するため、夕方に社員寮に戻って来ていた。

「痛ッ」 

 食べ終えて、置きっぱなしになっていたコンビニ弁当の空箱を持って立とうとしたら、腰に痛みがはしった。

 そう言えば、まだ夜の分の薬を飲んでいなかったな。

 バッグから薬を出すと、炭酸飲料と一緒に飲み込んだ。

 今日の分は書ききれそうだな。菅原さんに送れそうだけど、どうしようかな・・・。

 ズンッと、気持ちが重くなる。

 何か一言添えたほうがいいだろうか。

 この前は、変なことを口走ってすいませんでしたとか、身の程をわきまえず申し訳ありませんとか。

 これからの事を考えたら、改めて謝っておくべきだよな。

 僕はベッドに横になると、くすんで汚れた天井をぼんやり眺めた。

 いや、誤魔化してばかりでは何も変わらない。

 嫌われるかもと思うと怖いけど、僕も悠人のお父さんのように誠実でありたい。少しずつでも、そうなっていこう。

 僕はそう心に決めると、気合を入れて小説の続きを書き始めた。

 

  

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