挨拶
退院してから3日目。僕は実家でのんびり過ごしていた。
「拓、あんた今日、あの美人さんと会うって言ってなかった?」
母さんは、居酒屋の仕事まで時間があるため、リビングのイスに腰掛けて、お菓子をつまみながら聞いてきた。
ちなみに、父親は居酒屋の仕込みで昼にはいない。
「うん。もうすぐ来ると思うんだけど、来たらお茶出してくれないかな」
「え? 外でデートしてくるんじゃないのッ」
僕は冷蔵庫を閉めながら、苦笑を浮かべた。
「デートじゃないし。なんか、編集長さんを連れてくるんだって。始めは、喫茶店かどこかで考えてたんだけど、僕の体調を気にして家まで来てくれることになったんだよ」
「ちょっとッ、そういう事はもっと早く言いなさい」
母さんは椅子から立ち上がると、隣の居間を慌てて片付け始めた。
「それで、編集長さんがどうしてあんたに会いに来るのよ。あの美人さんのお友達か何か?」
「そうじゃなくて、僕が書いてる小説の打ち合わせをしたいんだって」
僕の説明に、母さんは片付ける手を止めてこちらを見た。
「えッ、あんた、本を出すの?」
「いや、本は出さないよ。ウェーブに載せてくれるみたい」
母さんはよく分からないらしく、キョトンとしている。正直、僕もよく分かっていないのだけれど。
「それって凄いの?」
「凄くはないと思うよ。何せ、僕が思いつきで書いた話を載せてくれるんだから」
「それなのに、わざわざ編集長さんがみえるの?」
「挨拶くらいしに来るもんなんじゃないかな」
「そうなんだ・・・」
母さんはやっぱりよく分からないという感じで、片付ける手を再び動かし始めた。
インターホンがなったのは、そんな時だった。
「初めまして、デジタル出版部の編集長をしています和泉と申します」
40代くらいのその男性は、そう名乗って僕に名刺を差し出した。
続けて、僕とそれほど年の変わらない小柄な男性が名刺を差し出す。
「デジタル出版部の坂本です。よろしくお願いします」
「ご、ご丁寧にありがとうございます。星崎拓真です。よろしくお願いします。どうぞ、おかけ下さい」
御三方が腰掛けると、僕は非難がましい視線を菅原さんに向けた。
聞いていた話と違う。
普段着のままでいいからというから、パーカー姿で居たのに、みんな背広にスーツじゃないか。物凄く気まずい。
しかし、そんな僕の視線には気がついてない様子で、菅原さんは鞄から分厚い書類を出していた。
「粗茶ですが」
母さんも少し緊張しながら、お茶を置いていく。
「ありがとうございます。どうぞ、お気遣いなく」
和泉さんが柔らかい笑顔で母さんに言うと、そのままの表情で僕を見た。
「お怪我の具合はどうですか?」
「あ、はい。痛み止めを飲んでいれば問題なく動けるレベルです。でも、重い物は持てませんが」
「そうですか。どうぞ、ご自愛下さい」
そう言って、和泉さんが頭を下げると、菅原さんと坂本さんもそれにならった。僕は慌てて3人よりさらに深く頭を下げる。
「本日お邪魔いたしましたのは、星崎先生が現在書かれている作品を、弊社のでウェーブで掲載させて頂きたいからです」
「先生!?」
母さんがお盆で口元を隠しながら、驚いた声を上げた。驚いているのは僕も一緒だから、あっちに行っていてとアイコンタクトを送る。
「その事は、菅原さんから窺ってますが、本当に僕の書いてる小説なんかでいいんでしょうか。ご期待に応えられないんじゃないかと心配で」
今さらだけど、自分より民位が高いひとに囲まれて、わずかにあった自信はすっかりしぼんでしまっていた。
すると、坂本さんがグイッと身を乗り出してきた。
「そんなことないですよッ。星崎先生の作品はとても面白いと思います。ファン1号の僕が保証します」
「坂本くん、間違えないで。初めてのファンは私だから」
菅原さんは、何故か得意気に胸を張った。
「星崎先生。誰だって、自分の事はなかなか分からないものですし、私はそれでいいと思っています。ですから、先生の作品を愛する菅原や坂本を信じてもらえないでしょうか」
和泉さんの言葉に、僕はグッと胸が熱くなった。
「・・・はい、よろしくお願いします」
僕は座った姿勢で、深々と頭を下げた。
「どうも、お邪魔いたしました」
「何もお構いできませんで、申し訳なかったですね」
挨拶する和泉さんに、母さんがあたふたしながら送り出す。
「では先生、明日にでも連絡いたします」
続いて、坂本さんがペコッと頭を下げて、玄関を出ていった。
坂本さんは、僕の担当編集者だった。てっきり、菅原さんがそういうのになるのだと思っていたのだけど、彼女はそもそも課自体が違うそうだ。
でも、僕てきには今のまま、菅原さんに清書をして欲しかった。その思いを、和泉さんにしどろもどろに話すと、
「菅原からも嘆願されましたし、先生もその方がやりやすいのでしたら、それで構いませんよ」
と快諾してもらえた。
靴を履く菅原さんの背中を眺めていると、不意に振り返られ、僕は慌てて視線を逸らした。
「先生」
僕は苦笑する。
「菅原さん、先生はやめて下さい。なんか、威張ってるみたいで恥ずいです。今まで通り名前でお願いします」
「・・・そうですか、分かりました。では、拓真さん」
えッ、なんで下の名前で呼ばれた? 凄い攻撃力なんですけど。
僕がドギマギしていると、菅原さんは楽しそうに微笑んだ。
「名前で呼べって仰るから。それで、星崎さん」
あ、戻っちゃうんですね、残念。
「来週の日曜日、時間作れますか?」
僕は記憶を巡らし、仕事のスケジュールをたどった。
「休みだと思いますが」
「でしたら、黄昏駅のイベントに来ませんか?」
黄昏駅とは(黄昏の降りる駅で君と)の略で、僕が麗奈にアイデアを提供した例の企画だ。
「もう、イベントとかあるんですね。ぜひ、見てみたいです」
「よかった。舞台になった高科駅でやりますので、楽しみにしていてくださいね。詳細はまた連絡します」
「楽しみにしています」
菅原さんは小さく手を振ると、帰っていった。
「なんだが、びっくりすることばっかりね。清菜ちゃんだけでも十分驚いたのに」
えッ、名前呼び?
戻って来た母さんが、楽しそうに僕の肩をパンパン叩いた。
「頑張んなさいよ。悔いを残さないようにね」
そう言って、居間の片付けに行ってしまった。
悔いを残さないようにか・・・。
学生の頃から、幾度となく先生なんかに言われた言葉だけど、自分なりに努力はしてきたつもりなんだよな。
でも、結果が伴なったことないけど。
それが他人から見れば、努力が足りないということになるんだろうか。
「・・・やれるだけやるよ」
僕は1人呟いて、痒くもない頭を掻きながら、2階の自室に続く階段を、ゆっくりと上がって行った。




