お見舞い
入院2日目は、担当医の先生の言った通り、体中の痛みが強くなった。体感的には昨日の倍に感じる。
呼吸するのも痛い、くしゃみが出るものなら地獄の激痛を覚悟しなければいけない。これで鎮痛剤が利いているはずなのだから、切れたらと思うと、恐怖でしかなかった。
「なんか、ゼリーでも買ってこようか?」
今日も朝から来てくれている母さんが、心配そうに僕の顔を覗き込んできた。
「・・・うん。飲むタイプのやつでお願い」
朝も昼も、ほとんど食事がとれていない。
痛みから食べるのが苦痛だったのが理由だけど、浮田さんとのことがあって、食欲もなかった。
「じゃあ、ちょっと買ってくるから」
「ありがとう。ゆっくりでいいから」
僕は横になりながら、「コーヒーでも飲んできて」と付け足した。
母さんはニコッと微笑むと、カーテンを閉めて部屋を出ていった。
スマホの電源を付けると、15時50分だった。
蒼が17時過ぎに、お見舞いに来るとLINEを寄越している。それまで、音楽でも聴いていようかとアプリを立ち上げていると、ドアが開く音がした。
一瞬、母さんが戻って来たのかと思ったが、足音が違った。
女性のものと分かる、硬いヒールの甲高い音が近づいて来て、僕のベッドの前で止まった。
「こんにちは、菅原です。星崎さん、起きて見えますか?」
えッ、どうして菅原さんがここに?
「は、はい、開けて入ってください」
カーテンがゆっくり開いて、スーツ姿の菅原さんが立っていた。心なし呼吸が乱れている。
「会社で人づてに、星崎さんが事故に遭ったって聞いたんです。体は大丈夫なんですか?」
不安気な表情を浮かべ、声を懸命に抑えようとしているのが伝わってきた。
蒼が麗奈に報告して、そこから伝わったのかな。
「体じゅう痛いですけど、骨にヒビが入ったくらいで、内臓にも問題ありません。1週間くらいで、退院できるそうです」
僕は体を起こそうとして、痛みに思わず表情が歪む。
「起きなくていいですから、寝ててください」
菅原さんはそう言うと、不意に力が抜けたようにペタンッとイスにお尻を落とした。
「よかった・・・ほんとによかったです」
深く息を吐く姿に、本当に僕を心配してくれてるのが伝わってきて、心が震えた。
「心配かけてすいません。菅原さん、仕事だったんじゃないですか」
「午後休を取ってきました。有給がたまってたので気にしないでください」
ニッコリ微笑む姿が神々しすぎて、僕は直視できず視線を逸らした。
「入院のこと、知らせなくてすいません。心配かけたくなかったので。あと、、手は動くので小説はここで書くことが出来ますから、安心して下さい」
「小説の事は、いったん忘れましょう。まずは、体を治す事が大事です。入院中に書いても私、読みませんからね」
なんだが、凄い説得の仕方だな。でも、素直に嬉しかった。
和んだ気持ちはしかし、すぐに陰鬱な気持ちに汚染されてしまう。
「何かありました?」
顔に出てしまったようで、菅原さんが心配そうにのぞき込んできた。
こんなこと、話すべきではないことは分かっている。
でも、菅原さんのその誠実な瞳に、僕は気持ちを抑えきれずにすがってしまった。
「・・・実は昨日、会社の上司が来たんです。それで、上司から事故は僕単独の不注意で起きたと嘘を報告するように言われたんです」
「どういうことですかッ」
菅原さんは真剣な表情になって、身を乗り出して来た。
「労災にしたくないみたいです。病院費や、働けない間の給料は会社が出すから、これ以上は会社に迷惑かけるなと」
昨日の、浮田さんの顔が浮かぶ。
「納得できるんですか?」
菅原さんは、真っ直ぐ僕の目を見つめて聞いてきた。僕は耐えきれず視線を落とす。
「納得は出来ないです。でも、自分に全く責任がなかったわけでもないですし、会社で働き続けるなら、かぶるしかないかなと思ってます」
「私は許せませんッ」
怒気を含んだ声で、菅原さんは言葉を吐き出した。
「又聞きしただけですから、詳しい事故の状況は分かりませんが、一歩間違えれば死んでたかもしれないのでしょう?」
グッと詰め寄られ、僕は慌てて頷いた。
「それなのに、その上司や会社にお咎めがないなんて、許せるわけないじゃないですか。ちゃんと、制裁は受けるべきよッ」
どんどん菅原さんの熱量が増して行き、それに伴って声の音量も上がっていた。
案の定、隣のベッドから、オジサンの咳払いが響いてきた。
その音で我に返ったのか、菅原さんが肩にかかった長い髪を直しながら、イスに座り直した。
「ごめんなさい。つい、声が大きくなってしまって」
「いや、僕の方こそこんなこと話すべきではなかったのに・・・でも、代わりに怒ってくれて少しスッキリしました」
僕は菅原さんを見つめ返して続ける。
「同僚にも迷惑かけたくないですし、取りあえず今回は、自分のミスだと労働基準局のひとには伝えようと思います」
「・・・星崎さんがそう決めたのでしたら、私からはこれ以上言うつもりはありません。もし、それでも職場に居づらくなったり、しんどかったりしたら辞めるのも1つと方法だと思います。その時は、助言した者として、私が責任を持って面倒見ますから」
え? 責任を取るってどういう意味でしょうか。まさか、養ってもらえるということですか? それって、ヒモのってことでしょうか・・・まさかッ、結婚なんてことでは。
僕は色々と想像してドギマギしていると、そんな姿を見て察したのか、菅原さんが慌てて両手を左右に振った。
「も、もちろん、責任を取るって、仕事を紹介するってことですよッ」
ですよねぇ。勘違いしてごめんなさい!
「はーーい、江藤さん、星崎さん、金本さん。食事の配膳をお持ちしました。カーテン開けますからねぇ」
ドアが開いて、いつもの配膳のおばちゃんが元気に入ってくると、勢いよくプライベートカーテンが開かれた。
「あら? 綺麗な彼女さんが来てたのね。動けないなら、食べさせてもらったらどう。朝も昼もほとんど食べてないんだから」
おばちゃんはからかうように笑うと、手際よくテーブルを設置して食事の乗ったトレーを置いた。
そして、ベッドのリクライニングを起こすと、「よろしくね」と菅原さんに手を振って、隣のオジサンの配膳に移っていった。
おばちゃん的には、たんなるコミュニケーションのつもりかもしれないけど、この気まずい空気どうしてくれるんだ。
僕は自分で食べられることをアピールするために、トレーに乗ったスプーンを手に取った。
グゥッ、身体を動かしただけでかなり痛い。
そんな僕の手に、菅原さんの手が触れた。ひんやりとしていて柔らかな感触が伝わってくる。
「・・・無理しないで」
そう言ってスプーンを抜き取ると、「何から食べますか?」とトレーに向きながら、無表情に横目で僕を見た。
なるほど。ボランティア精神ですよね。ここで照れてるほうが、子どもっぽいよな確かに。
「じゃ、じゃあ、ポテサラを」
「・・・はい」
菅原さんはポテサラをスプーンに半分程取ると、ゆっくりとした動作で僕の口まで運ぶ。
僕は出来る限り口を大きく開いて、入れやすいように心がけた。あれ? 微かにスプーンが震えてるような気がした。
「痛くないですか?」
僕が咀嚼し終わるのを待って、菅原さんは尋ねてきた。
こんな夢のような展開に、アドレナリンが出ているせいだろうか、飲み込む時の胸の痛みがそれほどではなかった。
「大丈夫そうです」
「よかった。では、次は何にしますか?」
菅原さんはそう言いながら、手持ちカバンから黒いゴムヒモを出して、長い髪を手際よく後ろで1つにまとめた。
まとめた姿も、美しい。
「その、シチューばかりでお願いします。各個撃破で行きまので」
菅原さんの労力を少しでも減らしたくて、その作戦でいくことにした。
その意図を察して、菅原さんはクスッと微笑んだ。
「私もこんな体験初めてなんで、結構楽しんでいますから、好きに食べて下さい」
「いえ、各個撃破で行かせて下さい」
僕が頑なに言うと、菅原さんは笑顔のまま「分かりました」と言って、シチューの入った御椀を持ち上げて、スプーンと一緒に僕の口元に近づけた。
僕はタイミングよく差し出されるシチューを、黙々と食べる。
シチューが終わると、今度は小粥を食べ、それからなんだか柔らかい魚の切り身を食べた。
最後に、残っていたポテサラを口に運んでもらっていた時、
「うぉッ!」
と聞き慣れた声が響いた。
ドアの方を見ると、驚愕の表情を浮かべた蒼が立っていた。その後ろには、口元を抑えて目を見開く麗奈までいた。
「菅原さん、何してるんですかッ?」
立ち尽くす蒼を押しのけて、麗奈がツカツカと歩いて来る。
一瞬、スプーンを持つ手を引っ込めた菅原さんは、再び僕の口元にポテサラを持ってきた。
反射的に、僕はそれを食べる。
「何って、星崎さんが動けないから、食事の手伝いをしているのよ」
「そういうことじゃなくて、仕事はいいんですか?」
「終わらせてきたわよ。こう見えて私、仕事出来るのよ」
菅原さんはいたずらっぽく微笑んで、最後のポテサラを僕の口に運んだ。
驚いたな。全部食べられた。
「ありがとうございます」
僕が御礼を言うと、菅原さんは「どういたしまして」と笑みを浮かべて、空の食器の乗ったトレーを持ち上げた。
「返してきますね」
そう言って、麗奈と蒼の横を通って部屋を出ていった。
「おいおいッ、今の凄い美人、誰だよッ」
興奮しきりの蒼が僕に詰め寄る。横で麗奈の表情が更に険しくなる。
「菅原さんって言うんだけど、麗奈と同じ出版社のひとだよ」
「いやいや、それで何であ〜〜ん、なんだよ」
親密度を聞きたいのは分かる。でも、期待に応える話は何もないぞ。
「ボランティアみたいなものかな。痛くて体を動かす事ができないからさ。気を使ってくれたんだ」
「そうよ。菅原さんと星崎は仕事の関係なの。それ以外の関係なんてあり得ないわよ」
麗奈が声を荒立てて、蒼の脇を肘で小突いた。
「まぁ、そりゃそうだよな。あんな美人が拓真となんてあり得ないよな」
その通りだが、2人の僕に対する評価が低すぎないか。いつか見返してやる・・・無理だろうけど。
「あらあら、にぎやかね。蒼くんも来てくれたのね」
母さんが、菅原さんと並んで入って来た。菅原さんに、余計なこと言ってないといいけど。
「おばさん、お久しぶりです。それから、菅原さんは初めまして、拓真の高校からの友人の加藤蒼です。よろしいお願いします」
何をよろしくなんだ? ほら、菅原さんも苦笑い浮かべてるだろ。
「初めまして、菅原清菜と申します。星崎さんとは仕事を通じて親しくさせてもらっています」
菅原さんは視線を蒼から、うちの母親に向けながら話した。
「息子がお世話になっています。今も食べさせてくれたみたいで。私だと全然食べなかったのにね」
なッ、なんてこと言うんだよ。
「痛みがだいぶん引いてきたんだって」
嘘だけど。
「お役に立ててよかったです」
菅原さんはニッコリ僕に笑いかけると、右手に巻いた腕時計を見た。
「それでは、私はこれで失礼します。また、明日来ますね」
そう言ってお辞儀をすると、麗奈に「お先に」と告げて帰っていった。
母さんも「送って来るね」と言って、後に付いて部屋出ていった。
頼むから、余計なこと言わないでね。
「で、仕事の関係って、どういうことだよ。詳しく聞かせてもらおうか」
3人になって、蒼と麗奈がイスに腰掛けると、蒼はくわしい経緯を聞きたがった。
チラッと麗奈を見ると、相変わらず不機嫌そうだ。
麗奈がきっかけなのだけど、そこは伏せるべきだと思ったので、僕が自分で投稿した小説が、菅原さんの目に止まって、連絡を取り合うようになったことにした。
「・・・でも、それってさ。結構、脈ありなんじゃないか。興味もない相手と、2人だけで何度も会ったりしないだろ。それに、あ〜〜んだぜ」
しつこい奴だな。
「なぁ、試しに告ってみたらどうなんだ」
試しにやることではないと思うぞ。
「そんなことして、今の関係が壊れたらどうするんだよ」
僕がそう言うと、蒼はニヤッと笑みを浮かべた。
「お前は、好きだということだな」
嵌められた。僕が取り繕う言葉が見つからないでいると、不意に麗奈が口を開いた。
「菅原さんは辞めたほうがいいよ。だって、不倫してるって噂だから・・・」
「お、おいッ。なに言い出すんだよ。ひとのプライベートだろ」
蒼が慌てて口を挟んだ。でも、麗奈は止まらない。
「だって、社内でみんな噂してるもん。そんなひとに、星崎が騙されてほしくないッ」
「麗奈ッ、やめてくれ!」
僕は思わず声を荒げていた。驚いた表情になる麗奈を見て、かえって冷静になれた。
「気持ちは嬉しいけど、菅原さんを悪く言わないで欲しい。噂がどうであれ、あのひとが僕にしてくれた事には、とても感謝しているんだ」
強い口調にならないよう、気を付けながらはなしたつもりだったが、麗奈は椅子から立ち上がると、
「今日は、帰る」
語気を荒げてそう言うと、早足に部屋を出て行った。
「なんなんだよ麗奈のやつ。会社で何かあったのか知らないが、言い過ぎだろ。気にするなよ、拓真」
蒼が閉まったドアを見つめながら、不機嫌にそう言って僕を励ました。そんな蒼はソワソワして、イスから腰を浮かしている。
「蒼、悪いけど麗奈を頼めるかな。強く言ってごめんって謝っといて欲しい」
「そうか、分かった。なんか、悪かったな、変な感じになっちゃってさ。また来る、お大事にな」
「あぁ、また」
蒼は手を振りながら、急いで後を追いかけて行った。
僕は閉まるまで眺めていると、視線を隣のベッドの方に向けた。
おじさんが老眼鏡をかけて、新聞を読んでいた。
「騒がしくて、申し訳ありません」
僕が痛くない程度に頭を下げると、おじさんはチラッとこちらを見て、新聞のページをめくった。
「なんだなぁ、ひとの手で抱えられる量なんてたかが知れてるからな。それなら、後悔のないように選ぶしかないんじゃないか」
おじさんはフッと表情を緩めて続ける。
「おっさんの独り言だよ。ちょっと、うるさかったかな」
僕も思わず破顔してしまった。
「いえ、全然。ありがとうございます」
反射的に頭を深く下げようとして、僕は激痛で顔をしかめた。




