事故
学校帰り、僕は父さんのお見舞いに病院に寄った。
柚希も一緒に来るはずだったが、委員会で遅くなるようだ。
病室に入ると、知らない男のひとがベッドの横で椅子に座り、父さんと談笑していた。
「悠人か、おかえり」
病院に来てその挨拶も変な感じだったけど、僕は小声で「ただいま」と応えた。
「彼は僕の古い友人の、高橋健太くんだ」
「こんにちは、お邪魔しています」
その男のひとが、色つきの眼鏡を直しながら、笑顔をつくるでもなく挨拶をしてきた。
「ど、どうも」
僕は一瞬、ゾクッと背筋が冷えるような感覚に襲われた。それを隠すように、視線をそらしながら頭を下げる。
何だろう、あまり好きになれない感じのひとだ。
「じゃあ、俺はそろそろ行くわ」
椅子から立ち上がった高橋さんを、父さんは彼の手をそっとつかんで引き止めた。
「ちょうどいい機会だから、悠人に話しておこうと思う」
父さんは高橋さんにそう言ってから、僕を見た。その表情は真剣なものだった。
「彼には、もし僕が死ぬようなこどがあったら、家族の事を守ってくれるよう頼んである。こいつはこう見えて、IT企業の社長なんだ。色々と頼りになるからな」
「こう見えてってなんだよ」
高橋さんが文句を言いながら苦笑した。それから、こちらを見て咳払いをする。
「まぁ、でも敦也の言う通り、君ら家族のために何でもするつもりだ。なんなら、うちの会社を君にあげてもいい」
「おいおい。冗談って分かってても、そんなこと言われると悠人が困るだろ」
「そうか? 俺は案外、本気なんだけどな」
戯けた態度を見せる高橋さんに、今度は僕が苦笑いを浮かべるしかなかった。それを父さんが、何故か少し寂しげな笑顔を浮かべて見ていた。
「健太ッ、なんでここにいるのよ」
ドアを開けて入ってきた母さんが、高橋さんを見て咎めるよに声を張り上げた。
「すまない。呼んだのは僕なんだ」
父さんが優しくそう言うと、母さんは
「・・・ふぇ?」
やばッ、寝落ちしてた。
時計を見ると、夜中の3時をまわっていた。
テーブル横で、クッションを枕に横になりながら小説を書いていて、考えてるうちに寝てしまっていたようだ。
1時くらいまでは記憶にあるのだけれど・・・明日は日勤だから、あと寝れて3時間か。
僕は冷蔵庫からお茶のペットボトルを出すと、飲みながらスマホのアラームをセットして、充電ケーブルにつないだ。
身体がバキバキする。
首を左右に動かしてほぐすと、空になったペットボトルをテーブルに置く。
それから電気を消して、ベッドに潜り込んだ。
今日は、とことんうまくいかない日だ。
まるで、不幸の連鎖の渦に巻き込まれるかのように、選んだ選択肢がことごとく悪い方へ、悪い方へと進んでいってしまう。
寝不足のせいで、判断が少し悪いのもあったのかもしれない。これからは気をつけないと。
「お前、朝から何回ミスしてんだよ。その度に機械止めてたら他のやつまで仕事が出来ねぇんだぞ、分かってんのか」
昼休み、浮田主任に喫煙所に呼び出され、僕は説教を受けていた。
「・・・すいませんでした」
僕が頭を下げるのを、浮田さんの隣でタバコを吸いながら、先輩の戸塚さんがニヤニヤしながら見ている。
ミスの1つは、この戸塚さんの指示間違いが原因だったのだか、うまく責任をなすりつけられてしまった。今さらそれを言ったところで、更に説教が長くなるだけだろう。
「星崎さぁ、ここ最近、暇があるとずっと携帯電話触ってるだろう。女かギャンブルか知らないけどさぁ、仕事はちゃんとしてくれよな」
それはあんたでしょう。仕事中まで携帯電話持ち込んで、オートレースのオッズを見てるくせに。
「・・・気をつけます」
僕は戸塚さんを見ずに、言葉だけを返した。
「俺はよう、休憩に何してようが仕事だけちゃんしてくれやぁ文句言わねぇよ。結果が全てだからな。頼むから、俺の昇進の邪魔しないでくれよな」
ギロッと睨まれた。そう言えば、2ヶ月後に係長の昇進試験を受けるって言ってたな。
昇進されることを、心底お祈りしています。そうすれば、きっと部署が離れるでしょうから。
僕は気持ちを悟られないように下を向いた。それからも、ダラダラと説教が続き、解放されたのは休憩が終わる10分前だった。
急いでツナサンドをコーヒーで流し込み、何とか午後スタートに間に合わせた。
「なんだよ、動かねぇな」
操作盤の始動スイッチを何度も押しながら、戸塚さんが苛立っている。僕がいることに気がつくと、機械の上を指さした。
「お前が午前中、何度も機械止めさせたから、調子悪くなったんだぞ。責任持って見て来いよ」
「分かりました」
僕は機械油の入った油さしと、ハケをポケットに突っ込み、備え付けられた梯子を上っていく。
2階くらいの高さに、この機械の心臓があり、そこにプラスチックのカスなどが詰まって、歯車が動かなくなる事がたまにあるのだ。
僕はカバーを外して中を覗いた。すると、機械の出す熱気に混じって、プラスチックの焼ける嫌な臭いが漂ってくる。
「どうだ?」
下から戸塚さんが声を上げる。
「プラスチックカスはそんなにないですけど、奥の方になんか、ゴムみたいなのが絡まってるみたいです」
僕は歯車に巻き付いている、黒いゴムバンドのような長いものを引っ張り出そうとした。でも、しっかり食い込んでいるのか取れない。
「戸塚さん、すいませんが、何か切るものないですかね」
大声で呼びかけようとしたが、声がかすれる。やっぱり疲れがたまってるのかな。
「分かった。カッター取ってくるから待ってろ」
工場内の別の班の機械は動いているので、結構うるさい。でも、何とか伝わったようで、戸塚さんは資材置き場の方に行ってしまった。
僕はその後も、いろんな角度から引っ張ったり、巻き付きをほどこうと試みていると、ゴムのゆるむアタリがあった。
「いけるかも・・・」
緩みが出た方向に力を込めると、緩みの幅が大きくなっていく。もう少しで取れるかもと思った時、下から怒鳴り声が聞こえてきた。
「何で機械を動かしてねぇんだよッ」
浮田さんの声だ。
「すいませんッ。いま治してますッ」
僕のかすれた声は、浮田さんには届かなかった。
つかんでいたゴムバンドが突然、凄い力で歯車に再び巻き付き始め、僕は無謀にも両手でゴムを引っ張ろうとしてしまった。
当然、機械の力に勝てるわけがなく、歯車に手を挟まれそうになって慌てて手を放した。
その反動で後ろにのけぞり、気がついた時には梯子から体が離れていた。
慌てて手を伸ばしたが、梯子に手は届かず、僕は背中から落下していた。
これは死んだな。
そう思った瞬間、脳裏に菅原さんの顔が浮かんだ。
小説、書き切りたかったな・・・。
そう思った次の瞬間、全身に強烈な衝撃が駆け巡り、呼吸が出来なくなって僕は意識を失った。




