信じられる相手
「いい加減にしろよッ。オレはいつまで、お前のワガママに付き合わなきゃいけないんだよ!」
僕は堪えきれずに叫んでいた。
ハッとして柚希を見ると、彼女は怯えた表情を浮かべながら大粒の涙を流していた。でも、逃げ出そうとせず、全身に力を入れるように立ち尽くしていた。それはまるで、僕の吐き出す言葉を全て受け止めようとしているかのように。
その姿を見て、僕は不意に全てを悟った。
柚希は、いや、母さんも知っていたんだ。父さんが末期の癌だと言うことを。
知らなかったのは僕だけ。父さんの1番近くにいたはずの僕が・・・
内臓を締め付けられる苦しさに耐えきれず、僕は膝を付き泣き崩れていた。
駆け寄って来た柚希が、僕に抱きついた。細い腕を一生懸命伸ばし、少しでも僕の全身を包み込もうとするかのように。
「遅くなって、ごめんね。急に仕事の打ち合わせが入っちゃって」
ちょうど、書き上がった文書を菅原さんにLINEしたところで、麗奈がやって来た。
待ち合わせは、イタリアンレストランに19時。スマホの時計は19時35分になっていた。
初めて行くお店で迷うといけないと思って、時間に余裕を持って出かけたら、18時30分に着いてしまった。
お店の人が席でまたせてくれるというので、ずっと小説を書いていたのだけれど・・・少し前から店員の人たちから、居た堪れない物を見る視線を向けられてる気がして、居心地が悪くなってきてたので、来てくれてよかった。
「あれッ、星崎くんなんか雰囲気変わった?」
向いの席に座りながら、麗奈が僕をまじまじと見てきた。
「そうかな?」
今日のために気合い入れてると思われたんじゃないかと、少し恥ずかしくなって僕は視線を逸らした。
「わかったッ、髪切ったんだね。うん、前より全然いいよ」
「ありがとう」
すると、麗奈がわざとらしく髪をかき上げる仕草をする。
「あ、麗奈も凄く可愛いよ。服もよく似合ってるし」
「そうでしょう」
麗奈が満足気に微笑んだ。
よかった。機嫌を損ねるところだった。
でも、我ながらよく答えられたと感心した。今までだったら、恥ずかしさもあって言葉にすらできなかったんじゃないだろうか。
もしや、菅原さんと何度も出かけたことによって、気付かないうちに女性免疫レベルが上がっていたのかもしれない。
「お腹すいたね。今日は私が出すから、遠慮なく食べて」
麗奈はそう言うと、メニューを見ながら店員さんに次々と注文していった。
あれ、眼鏡は気づいてもらえなかったな。
「ところで、どうして菅原リーダーと星崎くんが、つながってるわけ?」
麗奈は、ワインの入ったグラスを置くと、ジトッとした目で僕を見た。
僕は食べていたカニのトマトクリームスパを、危うく吐き出すところだった。
「つながってるって、なんか悪い言い方だな。そんなんじゃなくて、小説書いてみないかって誘われて、LINEで僕の書いてる小説を見てもらってるんだけど」
一緒に食事に行ったことなんかは、菅原さんの名誉の為に、黙っておくべきだろう。
「そのはなし、やっぱり星崎くんのことだったんだ」
「えッ、どこかで噂になってるの?」
麗奈は不機嫌に一口、ワインを飲んだ。
「菅原リーダーがデジタル書籍課の編集長に、素人の小説をゴリ押ししてるってウワサになってる」
何それ。僕の書き上がってもいない小説を、偉い人に売り込んでくれてるの? 大丈夫なんだろうか、そんなことして。書き上げれなかったらどうなるの。
「菅原さんに迷惑かかってないかな」
僕がポロッと不安を口にすると、麗奈は更に不機嫌な顔になった。
「私は、星崎くんのことを心配してるの」
「何で僕?」
「・・・菅原リーダーには悪い噂があってね、出世のためなら利用できるものは何でも使うって、会社内で囁かれてるの」
とても、そんな悪どい人とは思えないんだけど。そもそも、僕にそんな利用価値があるのだろうか。
「だから、星崎くんを都合よく使ったり、最悪、星崎くんが書いた小説を盗まれたりするかもしれないよ」
何だろう、既視感を感じるような・・・。
「だから、星崎くんッ」
不意に身を乗り出した麗奈は、ホークを持った僕の手に自分の手を重ねた。
「私を頼ってほしいの。だって、私にとって星崎くんは大切な友達だから・・・ううん、それ以上だと思ってるよ」
これはどう言う状況だろう。
あまりに現実離れした事態に、僕の脳はついていけなかったのか、麗奈の小さな手の感触を感じながら、柚希の手の感触もこんな感じだろうかと、小説の事を考えていた。
「あら? 橘さんじゃないの」
不意にテーブルの前で立ち止まった女性が、親しげに麗奈を呼んだ。
「えッ? こ、こんばんわ。伊藤さんもお食事ですか?」
麗奈はスッと僕の手を離すと、にこやかに微笑んで先輩らしき女性を見上げた。
「えぇ、同僚とね。橘さんは、彼氏さんじゃないわよね」
伊藤と呼ばれた女性は、値踏みするような視線を僕に向ける。
ゆるくウェーブのかかった髪の似合う綺麗なひとだが、その嫌味のある眼差しがその価値を下げてしまっていた。
「高校からの友人です。この前、助けてもらったことがあって、今日はその御礼にご馳走してるんです」
麗奈の口調が早口だからか、言い訳しているように聞こえるな。僕も誤解されないように、力強く頷いて合わせた。
「そうだったのね。お邪魔してごめんなさい。ほら、ここって佐伯くんの好きなお店じゃない。だから、てっきり佐伯くんと来てるのかと思って挨拶に来たんだけど・・・別の方だったから、ちょっと驚いちゃって」
伊藤さんの視線があからさまに、テーブルの上に置きっぱなしになっている僕の手を見ていた。
佐伯さんと言うのが、前に佐々木さんが言ってた麗奈の先輩彼氏なのだろう。
前からその話を聞いてたからだろうか、思ったほどショックは受けなかった。それどころか、静かに睨み合う2人を冷静に観察する余裕すらあった。
「それじゃ」
冷淡な笑みを浮かべて、伊藤さんは窓の方の席に戻っていった。同僚と言うのは女性のようで、伊藤さんは同僚のひとに怒りをこぼしているのが遠巻きにも分かる。それを、同僚の女性がなだめているようだった。
チラッとその女性と視線が合った。目端が少し上がった、気の強そうな美人だった。
僕は慌てて視線を麗奈に戻した。
麗奈はうつむいたまま沈黙している。何とも気まずい。
これは僕が何か言ったほうがいいよな。
「い、今のひとって会社の同僚さん? なんか、すごい雰囲気だったね」
僕の問いかけに、ワインをチビチビと飲んでいた麗奈が小さく頷く。
「恨まれてるんだと思う・・・」
なんか、怖い単語が出てきた。
「伊藤さんが好きだった男性から、告白されたことがあって。もちろん、丁重にお断りしたんだけどね。それをずっと逆恨みされてるの」
麗奈は目に涙を溜めながら、少し震える声でそう言った。
「そうなんだ。モテるのも、大変だね」
同情するように僕が応えると、麗奈の表情にいくぶん笑顔が戻った。
「ありがとう。なんだか、雰囲気悪くなっちゃったね」
「そうだね。麗奈も居づらいだろうし、今あるの食べたら出ようか」
僕はそう言いながら、パスタを平らげにかかった。それを楽しげに見ながら、麗奈は取り皿に残った自分の分を食べた。
「これから、どうしようか?」
お店から出ると、麗奈はモジモジしながら僕に尋ねてきた。さっきのことで、責任を感じているのだろうか。
僕はスマホで時間を確認すると、20時半を回ったところだった。
てっきり、このまま現地解散だと思っていたので、何も考えていなかった。まぁ、順当に考えればカラオケだろうか。
でも、お腹いっぱいのせいだろうか。もう、解散でいいような気分だ。
どうしようか悩んでいると、チリンッとLINEの音がして、僕は間を作りたくてスマホを見た。
LINEは菅原さんからだった。
(急がないので、時間のある時に電話下さい)
僕は麗奈に携帯電話を向けた。
「ごめん。仕事の打ち合わせが入ったから、今日は帰るよ。ご馳走様、楽しかったよ」
「えッ? う、うん。またね」
手を振りあうと、僕は駅に向かって歩きながら、菅原さんに電話をかけた。
5度目の呼び出し音の後、電話に出た。
「ごめんなさい。デート中なのにLINEして」
菅原さんは鼻声だった。泣いてるような感じだ。
「デートじゃないですし、帰ってるところなので大丈夫です。それより、菅原さんのほうが大丈夫ですか」
すると、我慢してたのだろう。確かなすすり泣く声が聴こえてきた。
「だって、悠人があまりに可哀想で」
悠人って、小説のことだよねぇ。僕は思わず笑みが溢れていた。
「なんか、そんなに感動してもらって嬉しいです。僕も好きなシーンなんです。これから、もっともっと、新たな真実が分かっていって、泣けるシーンが増えますからね」
「えッ、お話全体の山場だったんじゃないの?」
菅原さんのその反応に、僕は思わずニンマリしてしまった。
「まだ、僕の話のイメージでは半分くらいです」
「そうなんですね・・・うん、とても楽しみです。私も頑張って清書しますね。でも、こんな気持ちでは今日はとても無理だけど」
遠くの方から、鼻をかむ音がした。
僕は思った。このひとだったら、騙されたとしても後悔は絶対にしないと。
「菅原さん、これからもよろしくお願いします」
僕が改めてそう言うと、菅原さんは少し驚いているような沈黙の後、
「勿論です。こちらこそ、よろしくお願いします」
明るい声で返してくれた。
さぁ、電車に乗ったらさっそく続きを書こう。




