最悪
三題噺もどき―ろっぴゃくじゅうはち。
「――っふぅ」
かけていた眼鏡をはずしながら、目頭を軽くもむ。
ブルーライトカットのこれも、意味があるのかどうか正直分からない所がある。どちらにしても長時間パソコンを見続けると言うのは、よくないんだろうな。今更だが。
「……」
マウスカーソルを動かしながら、軽くひと段落ついたことを確認する。
キリのいいところまでとりあえずしようと思っていたのだが、それ以上に進めてしまった。ひと段落ついたのは、とりあえず終わったからという感じだ。この後もう一度再度確認をして、というところがあるが、それはあとでしよう。
「……」
とりあえず、休憩をすることにしよう。
時計を見ると、かなり時間が経っていた。
机の上に置いてあったマグカップは空になり、カゴに入れていた飴もいつの間にか無くなっていた。
「……さむ」
集中が切れた瞬間に、部屋の寒さに身が震えた。
雪こそ降らないものの、寒さは日に日に酷くなっている。時期的にはこれから温かくなるはずなんだけれど、毎日最低気温がマイナスを更新している。
外は雨が降っているんだろう、雨音が聞こえてくる。そのせいで寒さが酷いんだろうか。
暖房でもつければいいんだが、そこまでではないんだよなぁ。寒いけど。
「……」
しかし、この時間になってもアイツが顔を出してこないのは珍しい。
一定の時間が経って、私が休憩に来なければ呼びに来るのに。
またこの間みたいに出納帳とでもにらめっこしてるんだろうか。
そんなに緊迫しているわけはないはずなんだがなぁ。
「……」
空になり、すっかり冷たくなったマグカップを手に取り椅子から立ち上がる。
こんど保温機能のあるやつでも買おうかな……あまり熱いのは飲めないので買わずにいたが、温かいままのモノが長時間飲めるのはありがたいよな。
「……」
部屋の戸を開くと、リビング側から音が漏れていた。
何を聞いているんだ?クラシックみたいな音が聞こえる気がする……フルート?なんだ。CDを聞いているわけでもないだろうし。この時間にそんな番組がしているんだろうか。
「……」
キッチンにいるような感じもしないし……いるならその音もするからな。
そもそも、動いているような気配がしない。
何かあったのか?
「……」
そんなことはないだろうと思いながら、足音を殺し、リビングへと向かう。
ひょいと、覗いてみれば。
ソファに座っている姿が見えた。
「……?」
マグカップを適当に机の上に置き、ソファに近づく。
動いている様子もないし、本でも読んでいるのかと思ったらそういうわけでもない。
音の正体はテレビだったようだが、何の番組かは分からない。
「……」
ソファに体重を預けたまま、腕は力なく落ちている。
頭は重力に従うままに、右側に傾きながら落ちていた。
前髪は視界を覆うように垂れているのか、目のある辺りは暗くてよく見えない。
「……」
なぜだか、どきりと心臓が跳ねた。
そんなことはないと分かっているが、そういう想像をしてしまう。
こういうのは、何度見ていても見慣れない。見たくもない。
「……」
心なし手が震えていることに気づきながら、これは寒いからだと言い聞かせ。
そろりと、前髪に触れる。
冷たい空気に冷やされた髪は、さらりと手の上を流れる。
「……」
ピタリと閉じられた瞼は、震えもせず。
唇は閉じられている。
指先が触れた肌は、酷く冷たい。
「……ぉ」
思わず漏れたうめきは。
何がこぼれたのか、分からないままに終わった。
「ん……」
その声と共に、瞼が震える。
「……ごしゅじん」
閉じられていた唇が、聞き慣れた音を紡ぐ。
少しだけかすれた声に、なぜか胸をなでおろす。
「……寝てたのか」
「ん……あぁ、そうみたいですね」
小さくあくびをしながら、動き出す。
「どうかしたんですか?」
「……いや、なんでもない」
全く、見ればわかるものを、何をこんなに動揺したんだろう。
この国に来て、この家に住んでいて、そんなことなんてあるわけないのに。
珍しく寝落ちするくらい、コイツもあるだろうに。
「コーヒーでも飲みますか」
「あぁ、頂こう」
この日常が壊れるのが。
こんなに恐ろしいなんて。
気づきたくなかった。
「……どうしたんですか」
「なんでもない」
「……その顔は何でもないような顔じゃないんですよ」
「どんな顔だ……」
お題:テレビ・フルート・雪