紅白戦 後半
「後半頭から出る」
ハーフタイム。藍斗の宣言に、味方陣から期待を込めたどよめきが上がる。
「可変システムやるんだよな」
「アッタリまえだろ」
裕也の問いに乱雑に答えた。
監督から借りた、戦術用のホワイトボードがベンチの上にある。
それを掴み上げ、藍斗はワクワクの隠しきれない好戦的な笑みで、向き直った。
「さて、少し復習していこうや!」
*
藍斗をFWを据え、後半戦のフィールドに16名が散らばる。
キックオフは藍斗チーム。
センターサークル(※1)の中にただ1人立つ藍斗は、すぐ外側で笛を構える礒谷コーチに対して。
まるで「観てろよ」と言わんばかりに強気な視線を飛ばす。相当な自信がうかがえる。
礒谷コーチは、はいどうぞ、と穏やかに肩をすくめて── 笛を強く吹いた。
「やるぞ!!」
開口1番、ボールを味方DFまで蹴り下げる。
そして、それを追うように藍斗がポジションを下降する。
さらにMFの2人が入れ替わるようにFWへ。SDFがSMFのポジションへ繰り上がる。
予定通りのポジション可変。
4-2-1の陣形のミラーマッチ(※2)において、最終ラインから中盤(※3)にかけての制圧を目的とする、2-3-2の陣形が完成した。
開始早々、相手FWは1人で積極的にプレスをかけてくる。その背後にいる相手MFも虎視眈々とボール奪取を狙ってくる。
だが。
最終ラインでは味方DF2人と相手FWの2体1。
中盤では味方MF3人と相手MF 2人の3対2。
この数的有利により、常に最終ラインと中盤の間にフリーとなる選手が、どうしても生まれていく。
4-2-1の弱い点である前線での制圧力の欠如。2-3-2なら、さらにその弱点に一歩踏み込める。
中盤での数的有利により、バイタルエリア(※4)近くまで相手を容易に押し込むことが可能だ。
さらには、スピードに乗ってバイタルエリアに侵入できた場合、藍斗チーム側の攻撃参加の枚数はFW2人・MF3人が想定できる。
つまり、相手最終ラインのDF4枚の間を取りやすい奇数の枚数でありながら、理論上、数的有利で一気に最終ラインへ攻めあがれる可能性すらある。
(さっそく試すぞ)
味方DFからボールを受ける藍斗は、出し手に近寄るように動くと見せかけて、反転。流れるようなファーストタッチ(※5)で相手MF1人を置き去りにする。絶妙なボールコントロール。次のタッチまでの僅かな間に、彼はトップスピードに達していた。
まるで全盛期のカカを彷彿とさせる、ラン・ウィズ・ザ・ボール────。(※6)
「押し上げろ!!」
裕也が逆サイドの味方に号を飛ばす。
ボールホルダーの藍斗・両SMF・FW2人が、瞬く間に最終ラインに達していく。
相手MF1人の守備参加が、不安定ながら間に合っているが──この瞬間彼らは、4バックシステム相手に、5対5の数的同数を、意図的に創造してみせたのだ。
「……!」
思わず藍斗は感嘆する。
いつもはもっと、激しいプレスもあり窮屈に感じていた、対4バックシステムの最終ライン。
その固い門が、ゆるくこじ開けられていく。
(戦術的有利を取るだけで、ここまで変わるのか)
1人かわせば即数的有利な、この状況。
4-2-1ミラーマッチの紅白戦では、体験したことのない世界。
藍斗あえて速度を少し緩め、利き足方向にボールを浅く蹴り出す。
シュートかパスの可能性を匂わせる。
たまらずプレスを仕掛けてくるDF1枚。それを右サイド方向に加速することで、簡単に引き剥がす。
これで実質、5対4の数的有利。
ここで藍斗にもう1枚プレスをかけ、攻撃スピードを遅らせなければ、ドリブルでボールを運ばれ最終ラインが押し下げられ、シュートの選択肢まで与えてしまうこととなる。
かといってプレスに向かうと、最終ラインでFW1枚がフリーとなってしまう。
相手チームにとって圧倒的不利な状況。
そして──もう1枚の相手DFが、結局、プレスを敢行した。
個人戦術的には、この判断は正解だ。
藍斗をフリーにする方が、このDFがマークしていた謙介《素人》を放っておくより遥かに危険度が高いというのもある。
──だが、あくまで高リスク下の取捨選択でしかない。
(それならお望み通り、謙介に渡すまでだ)
簡単に、謙介にスルーパスを送る。ボールは上手く足元に収まり……
謙介と相手GKの、1対1の状況が生まれる。
「謙介、インサイド!」
藍斗は謙介に大きく呼びかける。
謙介はプレッシャーを受けた際、トゥキック(※7)でボールを蹴り出してしまう癖があった。その矯正もかねて、ずっと、この1年練習を繰り返してきたインサイドキック。(※8)
それを思い出せというメッセージ性を、込めた呼びかけ。
謙介の肩がピクッと反応する。
シュート体勢に入る。
その右足、足首より先が外側を向いている。インサイドキックを意識しているのが分かる。
そして、ぎこちないフォームで振り抜いた右足。放たれたボールがGKの足先をかすめ、ゴール右端に転がっていく。
──息を呑む。
何のことはない、いつもの紅白戦のはずなのに。
藍斗の『鷹の目』の視野が狭窄し、ボールの行方だけを見据えるほどに、緊張感に満たされていく。
そして。
ボールは無情にもポストを叩く。
頭を抱えかける藍斗と謙介……
かと思いきや、その跳ね返ったボールを、詰めていた裕也が直接ゴール枠内に蹴り込んだ。
「ごっつあーんでーす!!」
謙介を指差し、笑顔で叫ぶ裕也。
「うおおおお!?」
意識の外からのゴールに驚きながらも、藍斗は拳を突き上げ、歓声を上げた。
*
それからは、可変システムにおける、安定性が欠けている部分が明るみに出た。
この試合を通して見れば、なかなかにボロボロだった。
攻守の切り替え、特に守備面が上手くハマらない。それも、カウンターの威力が無いに等しい、4-2-1を相手にだ。
システム上、どうしても両SDFに大きな負担がかかる。
SMFになって攻めの両翼を担いながらも、守備時には本職であるSDFとして守備枚数の確保をしなければならない。
現に、味方LDFは攻めでボールを奪われた際の切り替えが上手くできず、相手RDFにサイドを何度も支配された。
さらに、身体的に守備のタスクをフルにこなせない藍斗は、攻撃時にボールが奪われた際に、どのポジションのカバーリング(※9)にも入れない、役立たずになってしまう。
走り続けることは、やや重い喘息《爆弾》を抱える彼には非現実的な選択肢だ。
本来ならば、MFに変わっている藍斗が、即座に守備の穴を埋めるべきなのだが……。
藍斗自身も、戦術の重い枷となっていた。
(俺がいることで、この戦術の可能性がいくつも閉ざされていく……)
拳を固く握りしめ、元のポジションで守備に奔走する味方を見つめることしかできない。
普段から守備を放棄しているので、見慣れた景色のはずなのに、なぜか、とてつもなく歯がゆく感じた。
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また1ヶ月後くらいに、まとめて毎日更新します。
【第8話サッカー用語辞典】
※1 センターサークル
フィールドの真ん中の、円形に引かれたライン。キックオフはその中央から。相手は試合再開までセンターサークル内に立ち入れない。味方って何人まで入ってよかったっけな……。(無知)
ちなみに半径9.15メートル。小学生用は、さらにその半分なんだろか……?(無知)
※2 ミラーマッチ
ミラーゲームとも。同じ陣形同士の試合のこと。各ポジションの枚数が同数となるので、各ポジションで相手との1対1の勝負となることが多く個人能力の差が出やすい。
また、完全に陣形が噛み合うため、システム面の良さをお互いに打ち消し合うことも多い。
常に数的同数になりやすいため、守備側が1人突破されると数的不利を背負いがちな、ピーキーさがある。
なお、4-2-1のミラーマッチは、攻撃時にお互いに数的有利を作れないので、理論上はなかなか点が入らない。
※3 中盤
主にMFを指すが、MFがいる一帯を指して使うこともある。
第8話では後者の意味で使用。
※4 バイタルエリア
バイタルとも略す。
MFとDFの間のエリアを指す。
得点チャンスが生まれやすい。
※5 ファーストタッチ
言葉の通り、ボールを保持する際の、ワンタッチ目。
トラップとのニュアンスの違いとして。トラップは基礎技術的で、止める技術を総合的に指す。
ファーストタッチはどちらかというと応用的で、トラップの技術を駆使して、ワンタッチ目でどこにボールを止めるor運ぶかみたいなニュアンス。
説明難しいね!
※6 ラン・ウィズ・ザ・ボール
ファーストタッチでボールを運びつつ、トップスピードに乗る技術。簡単そうな見た目なのに、やってみるとかなり難しい技術代表の一つだと個人的に思ってるやつ。
カカという伝説的なプレーヤーの代名詞だった。ような気がする。
※7 トゥキック
つま先でボールを蹴る技術。振りが小さく、とにかく相手の意表を付きやすいが、狙った場所に蹴るのは少し難しいし、威力もあまり乗らない。
※8 インサイドキック
足の内側でボールを蹴る技術。使う部位の面が広く、より正確なボールを蹴ることができる。最も多用するキックのひとつ。シュートからパスまで、幅広い役割をこなしてくれる。
※9 カバーリング
味方が突破された際。もしくは守備時のポジションの統制が取れていない際。
空いたスペースを埋める、個人の動き、ないし組織的な動きを指す。