第8話
帰りの汽車の切符はブレントにまかせたのだが、乗車すると、なぜか個室に案内されて驚いた。
「え? コンパートメントにしたの? ごめん、差額いくら?」
見るからに座り心地よさそうなシートは体を伸ばして横になれそうな大きさだし、窓際には小さなテーブルもしつらえてある。向かい合わせのシートの間はブレントがその長い足を伸ばしても大丈夫そうな幅もあり、二人で乗るには十分すぎる広さだ。
(ここは明らかに貴族向けでは⁈)
普通席の代金しか払っていないことに青ざめると、ブレントはめんどくさそうに手を振って、広い座席に腰を下ろした。
「俺が勝手にしたことなんで気にしないでください」
「いやいや、そうはいかないでしょう」
「帰りも事故がないとは限らないし、結構長時間ですからね。ここなら昼寝もゆっくりできるでしょう。疲れをいやそうと思ったんですよ」
「だったら猶更よ」
思った以上に負担をかけていたことに慌てると、ブレントは大きくため息を吐く。
「これは俺の我儘だよ、ディア。黙って甘えなさい」
終わったと思っていた恋人役の口調に狼狽すると、彼はクスッと笑ってサンディアナの手を引くので、勢い余って彼の胸に飛び込んでしまった。
「それとも一緒に寝る?」
「寝ません!」
耳元でささやかれた低い声にギョッとして離れると、ブレントは笑いながら目を閉じ、まもなくスースーと規則正しい寝息を立て始める。サンディアナはシートの下から備え付けの掛布を出して彼にかけると、反対側の席で小さく息を吐いた。
(頑張ったけど、私ができたのは庶民向けの観光だったもんね。よけいに疲れたよね)
楽しそうに見えていたけれど、礼になっていたかと考えると心もとなくなってくる。
それでも近くでブレントの寝顔を眺めていると、少しだけ幸せな気持ちになり、そんな自分に苦笑した。無防備な顔を見せてくれるのは、サンディアナを女としてみていないからだろうが、信頼はしてくれているのだろうと思うから。
(こうして見ると、今もやっぱり王太子殿下と似てるかな)
サンディアナより一つ年上の王太子アベルは、ブレントの従兄だ。
いつも笑顔を絶やさない王太子は金髪碧眼で、普段生意気な表情のブレントとは髪の色も目の色も違うこともあって気づかれにくいが、十代の頃は兄弟のように似ていたことをサンディアナは知っていた。
本当だったら遠い世界の人。
しかし身分など無視して仲良くできているのは、ブレントが昔から身分を隠しているからだ。
(初めて会ったときは、てっきり年上だと思ってたんだよね)
サンディアナが王立学園に入学したとき、学園の裏庭でブレントに偶然会った。まさか下級生だとは思わなかったが、何か困っていた明るい髪色に綺麗な紫の目をした少年としばらくおしゃべりをし、別れ際に彼から紫色の魔石をもらったのだ。
そのあとの入学式で、彼が王太子として挨拶をしたのを見たときは驚いたが、後日本物の王太子殿下をみかけ、別人だと気づいた。何かトラブルがあり、ブレントが代役を務めたのだろう。それくらい、当時は二人がそっくりだったのだ。
翌年ブレントが入学してきたときは、髪の色が違っていてもすぐに気づいた。
髪色と少しだけ目元の印象を変えるカフスを使い、時々二人が入れ替わっていたことにも気づいていたけれど、彼が隠しているから知らないふりをした。
ブレントは身分を隠していたので、ただの学生同士として接することを求められているのだと思ったし、対等な立場で仲良くなれて嬉しかった。王太子のふりをしたブレントの前では、彼のほうが年上のふりをしているので、それに合わせて普段と逆の立場を演じることを楽しんだりもしたのである。
サンディアナが工房に就職したのも、もともと目指していた道とはいえ、下心がまったくなかったと言えば噓になる。
ブレントの父親は国王の三番目の弟で、魔石研究所の所長でもある。
サンディアナが工房で働いていれば、いずれブレントが本来の身分を公にしても、そしてそのことでサンディアナとは友人ではなくなる日が来たとしても、彼の顔を少しは近くで見る機会があるのではと思ったのも確かなのだ。
ブレントまでが一般職員として工房に就職してきたのには驚いたが、それもいずれ、父親の後を継ぐためなのだろう。
(アベル殿下も結婚されたし、次はブレントだよね)
過去、彼に恋人らしき人が何人かいたのは知っている。いずれも良家の子女で、学生のころは同級生に揶揄われていたのを見たこともあった。ここ数年恋人がいないのは、単純に忙しかったためだろう。
「じゃなきゃ、こんな茶番に付き合わないよね」
窓の外を流れる景色を見ながら呟くと、
「そんなの、あんたの為だからに決まってるでしょう」