No.1の悩み
「お待たせいたしました、クリスさんです。」
ボーイさんに連れられて、笑顔のクリスが小走りでやってきた。
「タク、ごめんね。お姉ちゃんにお願いしたの。」
クリスは、先ほどまでいたベテラン嬢ティファニーの妹だったりする。二人並べてみても、全然似てないし、年齢も結構離れているので姉妹とはなかなか気が付かない。ティファニーは濃いめの日本人的な顔をしているが、クリスはスパニッシュの血が濃いのか、眉がキリッとしていて二重が深く、色白のおしとやかな女性だった。それも、キャバクラや外パブの嬢にありがちな接客ではなく、とてもナチュラルな話し方や対応で、本当に普通の女性と話をしているかのようで、いつもクリスと話をするときは新鮮な感じがする。
このベテランぞろいの歌舞伎町で、百戦錬磨の手練手管を知り尽くした嬢ばかりの中で、こういう普通っぽい嬢は確かに異質だし、ベテラン客も新鮮に感じるということもあってのNo.1なのかもしれない。それに、僕の事は良くティファニーから聞いているということもあるのだろう、初めて会った時からクリスは知り合いの妹のように接してくれて、気が楽だったりする。黙って何も話さないでいても、ニコニコしてつまらない素振りなど全く見せず、本当に自分の彼女が隣にいるのではないかというような錯覚を覚える。
「いや、いいけどさ、ごめんね、指名料自腹切らせちゃって。」
「ううん、どうしても話したかったから。」
本当に素敵な笑顔がはじける。
「で、どうしたの?お金以外の悩みでお願いします。」
アハハ!と笑って手で口を隠す。その姿も余裕を感じる。外国人パブだと、どうしてもビザの問題が付きまとう。その当時、外国人パブのキャストは、興行ビザというもので入国していた。タレントビザといって、シンガー、ダンサー、マジシャンなどの技能を持っているという形で入国している。本来なら、そういうショーをするのであれば問題はないが、その人間が接客するということは違法になり、取り締まられるべきものなのだが、その当時は暗黙の了解で見逃されていた。
前に出てきたデイジーは正にシンガーとして入国しているので、ものすごく歌が上手い。しかしながら、やはりそうやってタレントビザを取得して日本に来るには、それ相当のお金を使って現地のプロモーターに興行ビザを発行してもらう為の資格をとって日本に仕事をしに来るので、そのためにした借金を返さなければならない。そのためには、ビザの有効期間の3か月、6か月、一年といった期間を経て、帰国、そしてまた来日という形を取り、二回来日してようやく元が取れるというような話を聞いたことはある。もらえる給料も、現地での給料としては良い給料だが、日本人がもらう給料と較べるとはるかに安かった。だから、タレントと呼ばれる形で入国してきた人たちは、しっかりと借金を返してお金を稼ぎたいという明確な目標がある。
しかし、クリスは違う。まず、タレントとして日本でベテランと呼ばれるくらい入国してしっかりとお金を稼いだティファニーというお姉さんがいる。なので、お金に困っているということはない。そして、ティファニーは、そこで日本人男性と恋に落ちて結婚、そして昼は中学生のお母さん、夜は歌舞伎町のベテラン嬢として現役で働いている。旦那さんの稼ぎがあれば十分らしいのだが、そこはやはりフィリピンの家族をもっと豊かにしたいということもあり、旦那さんの了解を得て今も働いていた。なので、ティファニーは、日本人との配偶者ビザで日本人と同じような給料で自由に仕事ができる。
そして、クリス。よく言われるのが、ファミリービザ。それは、ティファニーというお姉さんの妹として、家族として呼ぶという形がファミリービザである。しかしながら、ファミリービザは就労が出来ない。だから、本当はファミリービザではないのだが、そういう風に言わないとお客さんがつかないので、私はファミリービザで来ていると説明する嬢は多い。でも、それでは何かあった時に検挙、強制送還の憂き目にあう。お姉さんのティファニーの在留資格にも悪影響を及ぼす。だから、それは方便に過ぎない。
ではどういうことなのかといえば、良く問題にされる偽装結婚である。独身男性でお金に困っている人や、嬢を日本に招聘する仕事をしている人などが、お金をもらって形ばかりの旦那となる。そうすれば、配偶者ビザで日本で心配なく働ける。しかし、そういう人間が多く増え、六本木で凄惨な殺人事件にまでにもなったこともあったが、入管が抜き打ちで結婚生活が実際に行われているかチェックするようになったので、その形式も難しくなった。
その当時、クリスは表向きはファミリービザという風に言っていたが、真正な配偶者ビザか、偽装結婚での配偶者ビザだろう。話をした感じは、本当の配偶者がいる感じではなかったので、ティファニーの旦那さんの兄弟とかで同居している人と偽装結婚するという比較的安全な方法だったのかもしれない。本当にお互い気が合えば、そのまま良い仲になればいいだけだったりする。ティファニーとは何でも話せる仲だったが、その部分は聞かないのが礼儀でもあるし、噂が広がってしまうのもいけない事だから、そこには触れなかった。ともかく、クリスはお金に困っているということは無かった。
「タクって、変わってるでしょ?」
「どういうこと?」
「なんかね、いつも楽しそうにしているから。」
「まあね、楽しくしなきゃ来ないよ。」
「女の子口説かないし。」
「それが目的なのはおかしくない?良いなと思えば口説くかもしれないし、でもお店でしか会えない子なら口説きなんかしないよね。」
「うん。」
客は何を求めてくるのだろう?女の子とお酒を飲みながらおしゃべりがしたい、その上、疑似恋愛して駆け引きがしたいといったところだろうか。嬢の方でも、そういう色恋っぽさを出しつつ、でも仕事ですよっていう一線を越えたり戻ったりしながら駆け引きをして客を通わせる。だから、必然的にお酒を飲むという表向きと、ちょっと疑似恋愛したいという本音があるのだろう。その先には一線を越える人間もいるだろうが、本気の人間は見ていても悪い気分にはならないが、そういうゲームを繰り返す輩は心底嫌な感じを覚えた。
「僕、ティファニーとは仲良いというか、メールは良くするけど、たまにしか遊びに来ない客でしょ?それは、僕が誘いに乗らないのと、来ても酒も飲まないし普通の話しかしないから、ティファニーも客として期待しないし、来れば友達のように話すからかもね。」
「そう、だからいつもお姉ちゃん、タクは普通っぽいから話してみてっていうの。」
周りの客を見れば、確かにむすっとしている人、嬢と喧嘩している人、派手にはしゃいでいる人、お触りが過ぎて嫌がられる人、そんな人は多い。好きで来てるんだろうなとは思うけど、傍から見たら楽しそうじゃない。でも僕はそんな目的が無くて、ただみんなの悩みを聞いたり、一緒に楽しくするから、周りの嬢が僕のテーブルをみると、とても楽しそうに見えるらしい。だから、青木さんだって僕と一緒に行きたいって言ってくれるのだと思う。日本人でも中国人でもタイ人でもロシア人でもルーマニア人でもフィリピン人でも、楽しい時間を過ごせる人のところなら、たまに顔を見に行きたいと思う。
本当に仲良くなった嬢達は、仕事前の同伴時間に遊んでお店にはいかなかったり、お店が終わったアフターの時間にあってクラブへ遊びに行ったりと、なるべくお金を使わせないようにしてくれた。まあ、僕があまりお金を持っていないのを気遣ってくれたのだと思う。
「僕もね、クリスと話すると楽しいよ。こんな落ち着いた人はあまりいないもんね。」
「ありがと。でね、日本人の友達が欲しいの。」
え?そんな簡単なことを何で悩むのかと不思議に思った。日本にも長くいるし、日本語も上手だし、とても落ち着いて女性からもモテそうなクリスがそんなことを言うのが理解できなかった。
でも、話をしていくうちに、ああ、なるほどと納得がいった。そして、そのために僕に話をしてきたのもなんとなくわかった。この歌舞伎町で過ごす時間で、僕の色々な思いを慰めてもらっていたのだから、僕もこの歌舞伎町で生きる人たちの悩みを聞いてあげたい。
それこそが、人と人という関係を築き、一夜の仮初めの淡く儚い空虚な時間を、色濃い本当の心の交流にすることが出来るような気がした。夜のお店で働く人たちの色んな苦労を裏側から見てきた僕に出来ることは、クリスのそんな悩みを聞いてあげることくらいしか出来ないのかもしれない。でも、一歩前に進もうとした彼女の気持ちに、少しでも力になれたらと、ちょっとだけ本当の自分を見せてくれたクリスの表情を見て、そう思った。