招かれざる新規客
皮を剥く。延々と皮を剥く。
まだ、お客さんが来ない夜7時。お腹を空かせてティア・マレに来てみれば、一番乗りで誰もいなかった。僕の顔を見たママは良いところに来たと言わんばかりに僕の目の前に大量のニンニクを置いて、皮を剥いてくれと頼む。まあ、仕方がないかぁ。
ニンニクをバラシて、おしりを包丁で落とし、手のひらでゴリゴリと転がして皮を剥きやすくする。何も考えるな、ただただ剥きまくれ!そうやっているうちに、途中現れた常連客をひっ捕まえては一緒にニンニクの皮むき奴隷を増やして、大量のニンニクを一気に剥いた。
剥いたニンニクをママがみじん切りにして、油で揚げていく。フライドガーリックを作るのだけど、これがどの料理にも欠かせない調味料となる。何に入れても香ばしい香りがつき、味に深みが出てとても美味しくなる。しっかり揚げているからそれほどニンニク臭くならない。
剥いた後の指先は本当にニンニク臭いけど、歯磨き粉で揉み洗いすることで、爪の隙間に入ったニンニクエキスが掻きだされてほとんど匂わなくなる。そうでなければ、接客をする仕事の人は臭くてやってられない。一息つくと、ご苦労様と言ってママがチャプスイ(フィリピン版肉野菜炒め)をサービスしてくれた。
土曜の夜、まだお客さんのいない時間、こんなアットホームな時間を新宿歌舞伎町の奥で、外国人のママ相手に過ごしているなんて、仕事のクライアントさんは誰も思っていないだろう。そこに少しずつ集まるお客さんは色んな人種がいて、SE、プログラマー、IT企業の社長、医療系コンサルタント、料理人、車屋さん、バイク屋さん、旅行会社、歌舞伎町の他のお店のオーナーや店長、ミュージシャンと多岐にわたっていた。週末の夜、ティア・マレに集まる人間達は、職種も年齢も違ったけど、みんな上も下もなく、バカな話で盛り上がった利することもあれば、真剣な話をして、そこから仕事につながる人脈が増えたりもした。
確かに、イメージにある歌舞伎町のような事件が起こることもある。気を大きくして羽目を外したりすると痛い目に合うこともある。ボッタクリにあったり、財布を盗まれたり、怖い人に絡まれたりと、ちょっと普通に生きている時より、そういう危険には近いかもしれない。でも、気を付けて、普通にしていればそんなことにはならない。酔っぱらって客引きに強引に連れていかれてひどい目にあい、文句を言ったら怖い目に合うなんてのは、自身が招いた軽率な動きだと思う。
「お兄さん、これから一杯どう?安くしますよ!」
何て言われても、車だからダメなんだって笑いながら手を振ればあっさりと引き下がってくれる。その街になじんでからは、沢山顔なじみが増え、客引きも覚えているから声を掛けてこなかった。声を掛けてくる人は、ティア・マレで出会った人たちが多い。普通の人たちでごった返す新宿駅前は緊張するけど、区役所通りに来るとホッとするなんて言うくらい、なじめば悪い場所でもない。ティア・マレは、そこそこの値段でご飯が食べれて、家のようにくつろげて、色んな仲間が集まってくる秘密基地のような場所だった。
カランッ、とドアベルが鳴り、ちょっと若い二人組が入ってくる。常連客の多いティア・マレには珍しい客だ。これは新規顧客を増やすチャンス。常連たちもお店が一杯で新規のお客さんが来ているときは率先して違う店に行って席を空ける。そして終電が終わる時間を過ぎてから戻ってくる。そうやって新規客を増やさないとティア・マレがやっていけなくなり、僕らの秘密基地の存続が危ぶまれるので、皆新規客にはとても優しい。
奥の席をお絞りで拭いて、僕が二人が座れるスペースを作っていた時、若い客の一人が言った。
「ママ、あんた誰に断ってこの店やってんの?」
あ、大丈夫か!この後どうなってしまうのか!僕はドキドキしながら成り行きを眺めるしかなかった。
そう、もうすぐ、物静かだけど色んな人に頼られるこの街に住む○○さんが来る時間。あんなに優しそうなのに、たまに来る強面のあちらの方々がペコペコとしていた。早く帰らないと、○○さんがやってくるぞ!大丈夫か心配になったのは、ママではなく、この二人組の若者たちの行く末だった。