第4話 禁忌の魔法
湯気が、もうもうと立ち昇っていた。
龍太郎が拳で地面を叩き割ったことで噴き出した温泉は、いつの間にか鬼灯組の屋敷の中庭に即席の露天風呂を作り上げていた。
そしてその湯に浸かっているのは――鬼灯組の組長、鬼灯その人であった。
「いい湯だ……生き返るな……」
極道の頂点に立つ男が極楽浄土のような顔で湯に身を沈めている。タオルを頭に乗せ、目を細めるその姿は、どこからどう見てもただの温泉好きのおっさんだった。
「オヤジ!! いい湯だじゃないですよ……!」
仁が湯気の向こうから叫んだ。全身ずぶ濡れのまま、パンチパーマから湯気を立ち昇らせている。
「なに龍太郎の偽魔法で作った温泉に浸かってるんですか!」
「……」
「あいつをどうにかしましょうよ!」
「どうにかって言われてもな……」
鬼灯は湯の中で腕を組んだ。
「凜はあいつのこと気に入ってるし……もうこのままいさせていいんじゃねぇか?」
「でも殺された先代組長や、あいつにやられた組員たちに顔向けできませんよ!」
仁の声は切実だった。
鬼灯組の先代組長――鬼灯の実父にして、組を一代で関東有数の勢力にまで育て上げた伝説の男。その先代を九鬼組に殺された恨みこそが、この抗争の発端なのだ。
――少なくとも、表向きは。
「いや、実際は殺されたって言っても……社会的に抹殺されて表に出られなくなっただけだしよ……」
「…………」
――そう。実は鬼灯組の先代組長は生きている。
九鬼組によってある情報をネットに晒され、社会的に抹殺されただけなのだ。
その情報とは――先代組長が赤ちゃんプレイを愛好しているという、極めてデリケートな個人情報であった。
関東の闇に君臨した伝説の極道が、おしゃぶりをくわえてバブバブしている――その衝撃的な事実が全国に拡散された日、先代は自室に引きこもり、二度と外に出ることはなかった。
ちなみに龍太郎にやられた鬼灯組の組員たちも全員生きている。
そして――九鬼組の組員たちも、もちろん生きている。
九鬼組の組員それぞれが人生の汚点を鬼灯組に晒され、社会的に抹殺されたのだ。この抗争は、銃弾ではなく情報で戦われていた。
ある意味、現代的な極道抗争と言えるかもしれない。
「本当に殺されたのと変わりないですって!!」
仁が声を荒げた。
「鬼灯組の先代組長……ヤクザのドンがそんな趣味あったなんて知られたら、死にたいくらい恥ずかしいですもん!!」
「まあ……それは確かにな……」
「オヤジ! どうにかしてあいつの正体を暴きましょう!!」
「分かったからそう大声で騒ぐな。」
鬼灯が湯船の中で手をひらひらと振った。
「そうだ……ならザ◯ラルとかどうだ?」
「ザ◯ラル……?」
「先代組長を復活させろというんだ。本当に魔法少女ならできるだろ」
仁は一瞬、目を瞬かせた。
「いやいやいや、オヤジ。そもそもザ◯ラルは魔法じゃなくて呪文……」
「だいたい一緒だろ。」
鬼灯が面倒くさそうに言い放った。
「オヤジ、そんな適当に…」
「話は聞いたよ。」
不意に、澄んだ声が背後から響いた。
「お嬢……!!」
振り返ると、凜が庭の飛び石の上に立っていた。
「復活の呪文……」
凜が呟いた。
「禁忌の魔法と呼ばれるあれだね。」
「そんな風に呼ばれてるんすね……」
仁が若干引いた顔をしている。
「うん、魔法少女みるくが言ってた。普通の魔法少女なら使えないって。」
凜は真剣な表情で続けた。七歳の少女が「禁忌の魔法」について語っている光景は、控えめに言っても異様だった。
「でも龍太郎ならできるよね。」
「むっ……」
龍太郎の眉がぴくりと動いた。
火の魔法はタバコで誤魔化した。水の魔法は温泉で切り抜けた。だが復活の魔法――死者を蘇らせるなど、いくらなんでも無理がある。
「これ良さそうじゃないか?」
鬼灯が湯船の中でにやりと笑った。
「さすがオヤジです! これで龍太郎は終わり……」
仁の目が獲物を見つけた猛禽のように光る。
さすがに死んだ人間を生き返らせることはできまい。今度こそ、魔法少女の嘘が暴かれる。
(まずい…さすがに死んだ人間を生き返らせることはできない…俺はここまでか…
「おい!どうした?龍太郎?できないのか!?できないってことは魔法少女じゃないんだな!?」
(くくっ…これでこいつはもう終わりだ…!あばよ!龍太郎!)
(いや、待てよ…)
龍太郎の脳裏に、ある考えが閃いた。
鬼灯組の先代組長は――死んでいない。
社会的に抹殺されただけで、肉体は生きている。つまり、外に出てくるきっかけさえ作れば――
龍太郎は無言でポケットからスマートフォンを取り出した。
「おい! なに携帯いじってんだ!」
仁が怒鳴る。
「さっさと復活の魔法を使って、先代を生き返らせろ! ほら早く!!」
龍太郎は仁の怒声を完全に無視し、画面をタップしていた。親指が驚くほど素早く動いている。最強のヤクザは、フリック入力も最強だった。
――数分後。
「おお……温泉……こんなもの作ったのか……」
しわがれた、しかし威厳のある声が響いた。
「どれ、わしも入るとするか……」
湯気の向こうから現れたのは、白髪の老人。痩せてはいるが、背筋はまっすぐに伸び、その目には往年の鋭さが残っている。
「へ?先代!?」
鬼灯と仁が同時に叫んだ。
鬼灯組先代組長。あの事件以来、一度も自室から出てこなかった男が――今、中庭に立っていた。
「すごいね! 龍太郎!」
凜が目を輝かせて手を叩いた。
「禁忌の魔法まで使えちゃうなんて……! 龍太郎は魔法少女の中の魔法少女だよ。」
「あの事件以来一度も外に出ていなかった先代がどうして……」
仁が呆然と呟いた。
「このXの投稿のおかげじゃ……」
先代がスマートフォンの画面を仁に見せた。
「ん? なになに……?」
仁が画面を覗き込む。
「鬼灯組先代組長が赤ちゃんプレイにハマったのは……幼少期に母親に捨てられ……その時のトラウマから……」
仁は顔を上げた。
「そ、そうだったんですか!?」
「……そういうことにしておいてくれ。」
先代が目を逸らした。
「嘘っぽいっすね……」
仁は画面をもう一度見つめた。投稿日時は――つい数分前。そしてその投稿のアカウントをよくよく見ると、作成日も今日だった。
その投稿には同情のコメントが多数寄せられ…赤ちゃんプレイが好きという汚点は、逆に先代にとってプラスになっている…
「なるほど…それで出て来れたのか…でも誰がこんな投稿を……ま、まさか!?」
「ふっ。」
龍太郎が口角をわずかに上げた。ポケットにスマートフォンをしまいながら。
「テメェの仕業か!?」
「俺はやれと言われたことをやっただけだ。」
龍太郎は淡々と言い放った。
復活の魔法を使え――そう命じられたから、実行した。先代が引きこもっている原因を取り除き、外に出てこられるようにした。方法がXへの投稿だっただけのこと。
魔法でもなんでもない。ただの情報操作だ。
だがこの世界において、情報は魔法よりも強い力を持つことがある。
「もう先代も外に出られたんだし、いいんじゃねぇか?」
鬼灯が湯船の中で手を振った。先代も隣に腰を下ろし、親子で温泉を楽しみ始めている。
「よくないです!!よくないですよ!!」
「いい湯だ…」
「ああ、本当にいい夢だな…親父…」
「ダメだ…完全に温泉に毒気を抜かれてる…」
仁が歯を食いしばった。
「このままじゃうちの組がやばい…!くううう!! 龍太郎!! いつかその正体を暴き、命を奪ってやるからな!!」
仁の怒声が冬空に響き渡る。
だが龍太郎は振り返りもしなかった。凜の隣に腰を下ろし、新しいタバコに火をつける。
「龍太郎、すごかったね。」
「……ああ。」
「次はどんな魔法を見せてくれるの?」
「さあな。その時になってみないと分からん。」
凜がくすくすと笑った。
龍太郎は紫煙を吐き出しながら、冬の空を見上げた。
こうして龍太郎は、またしても難を逃れた。
火の魔法はタバコで。水の魔法は温泉で。そして禁忌の魔法はスマートフォンで。
魔法少女・武神龍太郎の伝説は、着実にその頁を重ねている。
――次はどんな無茶振りが待っているのか。
それは龍太郎自身にも分からない。
つづく…




