第3話 水の魔法
「仁、いかす髪型だね。」
凜がにこにこしながら仁の頭を見上げた。
かつてはオールバックにワックスでビシッと決めていた仁の髪は、見る影もなくチリチリのパンチパーマと化していた。
「龍太郎もそう思うでしょ?」
「ああ。パンチパーマが似合ってるな。」
龍太郎は腕を組んだまま、微塵の感情も込めずにそう言い放った。
「パンチパーマの魔法だね。」
「新魔法だ。」
「龍太郎、テメェ……」
仁がこんな髪型になってしまったのは、言うまでもなく龍太郎の”火の魔法”――という名の投げタバコのせいである。
あの日以来、仁の頭髪は焼け焦げ、無残にも天然パンチパーマへと変貌を遂げた。
だが仁は諦めていなかった。
あれからも何度か龍太郎の正体を暴こうと画策しているが、そのたびにのらりくらりとかわされている。焦りは日に日に募るばかりだった。
(今日こそはお嬢の前で正体を暴いてやる……!)
仁は拳を握りしめた。今日の作戦は万全だ。前回は火の魔法を要求してタバコで誤魔化された。ならば今度は――火では対処できないものを要求すればいい。
「おい! 龍太郎! 今日は水の魔法を見せてみろ!」
仁が人差し指を龍太郎に突きつける。
すると凜が、呆れたような、それでいて誇らしげな表情で仁を見た。
「仁、龍太郎を舐めないで。」
「へ?」
「水の魔法は全ての魔法の中で最も簡単な魔法だよ。火の魔法が使える龍太郎が使えないわけない。」
凜は腕を組み、まるで大学教授が学生に講義するかのように断言した。7歳にして、その自信に満ちた佇まいは組長の血を感じさせる。
「ど、どこ情報ですか?」
「ソースは魔法少女みるくだよ。」
「やっぱり……」
仁は額に手を当てた。
魔法少女みるく。あの忌まわしきアニメ。凜がこの作品にハマっていなければ、憎き龍太郎はとっくにこの世にいないはずなのだ。
だが、今はそんなことを嘆いている場合ではない。
「龍太郎!とにかく水の魔法を出してみろ!」
「くっ……」
龍太郎の眉間にわずかな皺が寄った。
傍目には余裕の表情に見えるかもしれないが、内心は火の車だった。
(まずい……火の魔法はなんとかなったが……)
あの時はタバコという都合のいい小道具があった。だが水の魔法となると話が違う。ポケットに水鉄砲が入っているわけでもなければ、ペットボトルを持ち歩いているわけでもない。
(水の魔法なんて……いや、待てよ。)
龍太郎の目が、足元の地面に向けられた。
ここは鬼灯組の屋敷の中庭。広大な日本庭園の一角だ。そして龍太郎は知っていた。この辺りの地下には――
(……賭けるか。)
仁は龍太郎の沈黙を、追い詰められた証拠だと確信していた。
(くくくっ……お嬢に正体がバレた瞬間……この拳銃で頭に風穴を開けてやる!)
背中に隠した拳銃の冷たい感触を確かめながら、仁はニヤリと笑みを浮かべた。
「さあ! 魔法を見せてみろよ! 魔法少女さんよ!」
仁の挑発的な声が中庭に響いた。
龍太郎はゆっくりと顔を上げた。
「あ。ネッシー。」
「え? どこ? 見たい。」
凜が即座に庭の池を見た。この子は本当に素直だ。
「お嬢! 騙されないでください! そんなのいるわけ――」
仁が凜に声をかけたその瞬間。
龍太郎は右拳を天高く振り上げ――全身の筋肉を一点に集中させ――渾身の力で地面に叩きつけた。
「うらああああああ!!」
鈍い轟音とともに、大地が悲鳴を上げた。
龍太郎の拳を中心に、蜘蛛の巣のように亀裂が走る。コンクリートの破片が弾け飛び、中庭の石畳がめくれ上がった。
「テ、テメェ何してやがる!?」
「地震?」
凜が不思議そうに首を傾げた直後――
亀裂の奥から、白い湯気がもうもうと立ち昇った。
そして次の瞬間。
ごぼっ、という不気味な音とともに、地面の裂け目から熱湯が噴き出した。
「はぎゃあああああああ!! 熱いいいいい!!」
間欠泉のように噴き上がった温泉の柱が、仁の体を真下から打ち上げた。仁は叫びとともに宙を舞い、中庭の池に背中から落下した。
もうもうと湯気が立ち昇る中庭。まるで露天風呂のような光景が広がっている。
凜はぽかんと口を開けて、その壮絶な光景を見つめていた。
そしてゆっくりと――満面の笑みを浮かべた。
「すごい……火の魔法と水の魔法の合わせ技……」
凜は感嘆のため息をついた。
「これは難易度高い魔法。さすが龍太郎だね♪」
「いや、魔法じゃないいい! あちいいいいい!!!」
池の中で仁がのたうち回っている。パンチパーマから湯気が立ち、まるで茹でダコのように全身が真っ赤だ。
龍太郎は砕けた地面の前に立ち、何事もなかったかのように新しいタバコに火をつけた。
(なんとか誤魔化せたか……)
紫煙を吐き出しながら、龍太郎は内心で安堵の息をついた。
正直なところ、賭けだった。この辺りの地盤に温泉脈があることは、かつて九鬼組が裏カジノの建設を計画した際にボーリング調査で判明していた。その記憶を頼りに地面を割ったのだが、もし温泉が出なければ――ただ地面を殴っただけの変な男で終わっていたところだ。
(だが結果オーライだ。)
龍太郎は凜を見下ろした。少女は湯気の中でキャッキャと笑っている。
(この子がいる限り、俺は生き延びられる。)
(だが……いつまでこの綱渡りが続くのか。)
池から這い上がった仁が、恨めしそうにこちらを睨んでいる。全身ずぶ濡れで、パンチパーマはさらにカール度を増していた。
「龍太郎……テメェ……覚えてろよ……」
仁が歯軋りする。
龍太郎はそれを一瞥し――ふっ、とわずかに口角を上げた。
(九鬼組を復活させるまでは――何があっても死ぬわけにはいかない。)
(たとえ魔法少女として生きることになろうとも。)
冬の陽が傾き、中庭に長い影が落ちる。
温泉の湯気が空に昇っていく様は、まるで魔法のように幻想的だった。
続く…




