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航空戦艦の在る風景 第2話「海瀬盛海軍少将の憂鬱」

航空戦艦「伊勢」スル海

1944年12月7日



 光り輝く海に紅い太陽が顔を覗かせた。

 日の出だった。1944年12月7日の朝日。真珠湾攻撃で始まった大東亜戦争。その4年目の始まりを告げる朝日だった。そうした予備知識がなければ、何の変哲もない日の出だった。雲量2、東の風。微風。視界良好。絶好の空爆日和。

 伊勢の艦長を務める海瀬盛少将は微かに目を細めた。単純に眩しかったからだ。

 しかし、周りの人間は少し違う受け取り方をした。


「余裕だな。艦長」


 第4航空戦隊司令官、松田千秋少将は海瀬の肩を叩いた。

 松田は海瀬の顔に浮かんだそれを笑みと解釈したらしかった。

 実際そうではない。海瀬の心中はそうした余裕から程遠いところにあった。しかし、敢えて否定する意味もなかった。否定したところで、朝から妙に上機嫌の松田の機嫌を損ねるだけだ。上司の機嫌を損ねて得られるものは少ない。どんな組織だってそうだ。帝国海軍も例外ではない。しかし、だからと言って過大な評価は迷惑だった。豪胆を見込んで、無茶なことを申し付けられては堪らない。

 結局、散々迷ったあげく、海瀬は顔面に微笑みを浮かべることにした。どうとでもとれる曖昧な笑み。松田はそれを見て好意的な解釈した。海瀬の笑みにはそうした解釈を強いる何があった。


「今のところ、作戦は順調ですからね。直援機もついていますし」

「それはそうだが、最後にものを言うのは艦長の操艦だぞ。今日はよろしく頼む。なんとか無事に伊勢をレイテ湾まで連れて行ってくれ」

 

 大笑する松田司令を見て、海瀬はその自信がどこから来るのか知りたくなった。

 海瀬と伊勢の現況は全く笑えるものではない。

 1944年12月。3年に亘る対米戦争で連合艦隊はその戦力の過半を失っていた。運命のミッドウェー海戦。ガダルカナル島の攻防、ニューギニアの攻防、中部太平洋の攻防、全て負け戦だった。同年6月のマリアナ沖海戦は完敗だった。翔鶴が沈み、飛鷹が沈み、期待の新鋭装甲空母大鳳が沈んだ。この戦いで帝国海軍の母艦航空戦力は壊滅した。

 特に熟練パイロットの消耗は取り返しがつかなかった。真珠湾攻撃やインド洋作戦、全盛期の南雲艦隊を知る歴戦のパイロットは9割9分がこの戦いで鬼籍に入った。ソロモンの激闘を生き残った中堅クラスのパイロットもこの戦いで殆どが死んだ。

 さらに1944年に入って格段に強化された通商破壊戦が航空戦力の再建を阻んでいた。特に燃料不足が致命的だった。パイロットの養成には大量の航空機用ガソリン必要だからだ。南方資源地帯には原油が余るほどあったが、製油所のある内地に運べなければ意味がない。

 艦艇用の重油は航空機用ガソリンよりもマシだったが、程度の問題だった。開戦後に就役した艦艇の練度は低い。最近は戦前からの船も練度が低下していた。演習用の燃料に厳しい制限が課せられているからだ。

 石油は近代式軍隊の血液のようなものだ。では、その血液、血流が途絶えたらどうなるのか?例外なく、壊死だ。末端から順番に破壊されていく。何れは手足が腐り落ちる。この段階で大抵は敗血症で死ぬ。精神力の軍隊である帝国陸海軍とて例外ではない。

 いや、そもそも日本の戦時経済そのものが壊死寸前なのだ。日本の戦時経済を維持するために必要な物資は年間600万t。開戦以来、それが達成されたことは一度もない。陸海軍が作戦用に商船を徴用した為だ。特にソロモン海の消耗戦で、戦前に建造された優秀船を大量に撃沈されたことは致命的だった。占領した南方資源地帯は何の問題解決にもならなかった。資源を運び込むための船舶がないからだ。潜水艦の跳梁で非武装の独航船は次々と撃沈される。それなら英国式の護送船団を組めばいい。だが、その為の護衛艦艇がない。商船護衛に適する駆逐艦は連合艦隊が全て抑えていた。連合艦隊は商船を守らなかった。その必要性も理解しなかった。理解しようともしなかった。資源が入らないから、軍需工場は遊休化。仕事のない工員はハンマーを鍬に持ち替えて芋掘りに精がでる。これでは兵器の増産もままならない。それどころか食料の生産も減っていた。海外からの肥料や農薬原料輸入が止まったためだ。

 軍需省の革新官僚が知恵を絞り、工場付の配属将校が胴間声を張り上げても、どうにもならなかった。それが艦隊決戦以外何も考えてこなかった帝国海軍が直面した現実だった。戦前に想定した戦略は全く通用しなかった。当たり前だった。帝国海軍の戦略は艦隊決戦勝利による早期講和。短期決戦戦略なのだ。長期戦の用意などどこにもなかった。在るはずもなかった。そんな戦いなど、ただ一度も考えたこともない。そもそも大日本帝国の国力がそれを許さない。だからこその短期決戦戦略なのだ。

 帝国海軍は戦前に想定した戦争戦略を開戦のその日に自ら否定した世にも珍しい軍事組織だった。一言で言えば、支離滅裂だった。どうしようもなかった。

 戦間期に想定したオレンジ計画に沿って、島から島へと着々と日本列島に迫るアメリカ海軍とはあまりにも対象的といえる。

 海瀬は内心、アメリカ海軍が羨ましくてしょうがなかった。帝国軍人としての体面さえなければ、跪いてしまいそうになる。

 嗚呼、彼等はなんて恵まれた軍人なんだろう。きっと彼等は燃料不足から艦隊の巡航速度を戦術的要請を無視して制限されたりしないのだろう。予備の砲身や弾薬がないというある意味致命的な理由で艦隊決戦前の実弾演習を省略しなくて済むのかもしれない。有り余るほどの工業生産力で1ヶ月に1隻の正規空母を、1週間に1隻の護衛空母を、2日に1隻の艦隊形駆逐艦を建造できてしまうかもしれなかった。

 開戦以来、内地で陸上勤務をこなしてきた海瀬は、かなり正確に祖国の窮状を掴んでいた。何故ならば、海瀬が伊勢に乗る前にいた場所は軍令部情報3部7課だったからだ。情報3部7課は帝国海軍の対ソ諜報作戦を一手に引き受ける組織だ。海瀬は帝国海軍軍人としては極めて珍しいソ連、東欧を専門とする情報屋だった。

 情報屋として海瀬は、祖国の窮状を冷静に受け止めることができていた。それが情報屋のあるべきスタンスだからだ。情報屋は情報に対して空気のような存在でなければならない。主観は不要だ。むしろ害悪ですらある。愛国心や民族主義などは特に最悪だ。情報屋になるとき、最初に切り捨てたのが愛国心だった。最近流行の現人神など、悪い冗談だとさえ考えていた。

 情報屋の海瀬は自身を帝国海軍の鬼子と規定していた。必要だが忌むべき存在。それに尽きる。しかし、何れはその必要性を認められるものだと考えていた。必要だから鬼子は生み出される。情報軽視の帝国海軍もようやく変わる。そのはずだった。

 しかし、どうやら帝国海軍は自分の存在を最後まで認められず、苛めるばかりで終りそうだった。アメリカ軍の攻勢は本土に迫りつつある。本土がマリアナからの戦略爆撃にさらされるのも時間の問題だ。レイテ島へのアメリカ軍の上陸、フィリピン奪回は、日本の南方航路を完全に途絶させるだろう。

 大日本帝国は滅亡の淵にある。それが海瀬の現状認識だった。

 そうした中で届いた戦艦伊勢への異動命令。そして、発動された捷一号作戦。連合艦隊の残存戦力全てを投じた乾坤一擲の大作戦において、海瀬は何故か西村艦隊(第2遊撃部隊)の戦艦伊勢の艦長を任されていた。

 理由は、不明である。見当もつかなかった。12年に及ぶ海瀬の経歴において艦隊勤務は僅かに1年半。それも随分前の話だ。操艦には全く自信がない。書類のミスだったと言われれば、信じてしまうだろう。

 

「しかし、なんだねぇ。扶桑、山城、伊勢、日向。4姉妹が揃って戦うなんて、なんだか嬉しいね。戦争が始まって以来のことじゃないか?」

「そうですね。そういえば、そうかもしれませんね」


 海瀬は敢えて、松田の間違いを指摘しなかった。扶桑、山城、伊勢、日向。この4姉妹は一度だけ作戦行動を共にしたことがある。ミッドウェー海戦の時だ。

 戦艦日向の艦長時代に参加したミッドウェー海戦は松田のトラウマだった。

 ミッドウェー海戦時、松田が指揮する戦艦日向は南雲機動部隊の遥か後方にあった。500kmも後方だった。つまり、戦闘には全く参加していなかった。戦術的に全く無意味な存在だった。無為に重油を浪費しているだけだった。戦っているのは南雲艦隊だけで、大和以下、連合艦隊の主力戦艦部隊は一発の主砲を撃つこともなく、南雲艦隊壊滅と同時に反転、内地に帰還した。南雲艦隊だけが戻ってこなかった。

 赤城、加賀、蒼龍、飛龍のいない柱島泊地を見て、松田は自問した。


『俺達はあそこへ何をしにいったのだろう?』


 その問いに答えるため、松田はミッドウェー海戦を徹底的に分析した。何故負けたのか考えた。どうすれば勝てたのか考えた。何をすべきだったのか考えた。自分に何ができたのか考えた。そして、いくつかの答えを得た。

 あの海戦で伊勢と日向は南雲艦隊の所属艦として戦うべきだったのだ。伊勢と日向が比叡と霧島の代わりにあそこにいたら、あの戦いに勝てたかもしれなかった。

 なぜならばミッドウェー海戦時、伊勢と日向にはそれぞれ対空用の21号電探、対水上用の22号電探が装備されていたからだ。どちらもテスト段階の試作品だった。しかし、あるとないとでは大きな違いがでる。取り返しがつかない程、大きな違いが。

 その違いを、帝国海軍はソロモン海やニューギニアで学んだ。授業料は異常なまでに高額だった。そして、帝国海軍がレーダーの有用性を理解した時には、完全に手遅れになっていた。

 対独戦略爆撃で鍛えられた英米の電子戦能力は帝国陸海軍のそれを全く問題にしなかった。日本製レーダーはアメリカ軍のECMで容易く無力化された。

 それでも、まだ、1942年の6月ならば、日米の電子戦能力に大きな差は無かったはずだ。事実、アメリカ軍の電子戦能力はその時、まだまだ貧弱だった。電子技術の先進国であるアメリカ合衆国を以ってしても、レーダーの運用は手探りの段階だった。技術はあったが、その運用法はまだ未確立だった。アメリカ軍の電子戦能力が急速に発展するのは、第8航空軍がブリテン島に展開し、ドイツ本土への戦略爆撃を開始する1943年以降のことだ。

 1942年6月のあの時ならば、伊勢に搭載された21号電探ならば、100km先から敵機を探知可能だった。雷撃機を迎撃するために低空に降りていた直援の零戦隊に警告を与え、迎撃に差し向ければ、ドーントレスの奇襲で赤城、加賀、蒼龍を火達磨にされることもなかったはずだ。

 松田はそのことを思う時、拳が震えるほどの悔恨を覚えるのだった。もちろん、松田には何の落ち度もない。レーダーの有用性を予見できなかったのは、艦艇の装備を司る海軍省艦政本部の落ち度だ。或いは暴論に近い闇夜の提灯論に対して全く有効な反論、反証ができなかった技術サイドの責任だった。

 そして、1944年12月。もはや、日米の戦力差は絶望的なレベルに達していた。松田や多くの人間の努力で、帝国海軍の主要艦艇にはレーダーが装備されるようになった。だが、それはミッドウェー海戦の時のような逆転を呼び込む要素にはなりそうもなかった。

 何故ならば、アメリカ軍のレーダー技術は日本軍の10年先をいくレベルまで進化を遂げていたからだ。アメリカ海軍は世界初のフェーズドアレイ走査式の射撃管制レーダーさえ実用化して実戦に投入していた。全く勝負にならなかった。

 それでも、松田の戦意に些かの曇りもなかった。

 

『今度はあの時とは違う。今度は俺達が先頭を走っているからだ。ミッドウェーの時にように、尻尾を巻いて逃げたりはしない。絶対にそれだけはしない』


 松田の壮絶な覚悟だった。

 海瀬は松田の態度を誤解していたのだった。松田は上機嫌でもなんでもなかった。その陽気さ、上機嫌は自殺者のそれに近い。

 そうした松田の態度と同様の反応を示す人物がもう一人いた。第2遊撃部隊の司令長官、西村祥治中将だった。

 この時、西村は戦艦日向に旗艦旗を掲げ、自身が内地から回航してきた戦艦扶桑、山城。さらに後日に加わった伊勢、日向を率いてスル海を東進させていた。

 老朽艦の扶桑、山城。さらに航空戦艦という胡乱な代物に改装された伊勢と日向。如何に第2遊撃部隊が期待されていないか。それが分かる編成だった。しかも、伊勢と日向が艦隊に加わったのは、作戦発動2週間前だった。統一的な艦隊行動の訓練は未了。不安の種だった。砲火力は戦艦4隻で35.6サンチ砲40門と有力だが、扶桑と山城は候補生実習艦として長く戦闘任務を遠ざかっていた。練度は期待できない。いや、そもそも1915年生まれの日本最古の超弩級戦艦に何を期待するべきなのか。それが問題だった。あと数週間で彼女は30歳になる。この4半世紀の間におきた急激な科学技術の進歩を考えれば、30年のもつ意味は大きい。マイナスの方向の意味で。

 戦艦に次ぐ戦力となる重巡洋艦も最上と旧式艦の青葉が2隻きりだ。駆逐艦の増勢もあったが、それも程度の問題だ。何れも旧式艦ばかりだった。

 それでも、敵は4隻の戦艦を無視することはできないはずだ。戦艦の砲火力とはそれほどのものなのだ。レイテ湾突入を阻止すべく、航空阻止攻撃が行われるのは確実だった。

 それにより米空母機動部隊の攻撃を少しでも誘引し、本命である第1遊撃部隊、大和と武蔵を擁する栗田艦隊のレイテ湾突入を側面支援する。可能であれば、自らレイテ湾に突入する。しかし、それは困難、不可能に近い。敵は通過予定のスリガオ海峡で鉄壁の布陣を以って待ち伏せているはずだからだ。

 しかし、西村は全く怯んでいなかった。勇者のごとく倒れること。それが西村艦隊の存在意義、自分の全てであると確信していた。それこそが、祖国と海軍に捧げる最後の忠誠の、その在り方なのだ。

 問題は、西村が戦うべき敵が西村の前に全く現れないことだった。


「ひょっとして連中、朝寝坊でもしたのか?」


 松田のぼやきが艦橋の空気を白けさせた。

 既に日は高く昇っていた。夜は完全に去っている。スコールの雲が幾らか見えるが、数は少ない。絶好の空爆日和だ。それなのに艦隊上空に敵影はない。見えるのは友軍機だけだ。少数の零戦が交代で直援についている。

 西村艦隊は昨夜に潜水艦の接触を受けていた。当然、西村艦隊は敵にその存在を知られている。それが艦隊行動の大前提だった。夜明けと同時に空襲があるのは了解済み。だが、敵機は夜が明けても姿を現さなかった。

 それは何故か?





>>第3話に続く








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