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航空戦艦の在る風景 第1話「日本海軍2009」


航空巡洋艦「最上」 ソマリア沖 

2009年10月22日


 飛行甲板は灼熱の陽光に満たされていた。


「こんなことになるなら、昨日の便で手紙を出しておけばよかった」


 そう呟きながら、山田篤信中尉はサングラスを掛けなおした。

 まだ若い声だった。年は20代後半。背ははっきり言って低い。さらに猫背気味だった。ぼさぼさの髪に目の下の隈から睡眠不足が窺えた。眠っていないのだ、実際。昨日は当直で一睡もしてない。それなのに叩き起こされた。

 それは何故か?決まっている。非常事態だからだ。

 篤信はインド洋、ソマリア沖の太陽を見上げる。

 サングラス越しに見る暗い赤道直下の青い空。インド洋の空。熱帯の暑い空だ。コバルトの薄い、水蒸気の過多の空。好きになれない空だった。そして、その青を溶かし込んだような、淡い色の海。

 美しい海だ。篤信はそう思った。だが、危険な海でもある。

 年間2万隻の商船が行き交うソマリア沖、アデン湾は海賊のメッカだ。去年の海賊事件発生件数は111件。被害総額は数千億ドルに昇る。損失は直接的な被害に限らない。船荷にかける保険料の高騰。ホットスポットを短時間で抜けるために船速を上げれば燃費が嵩む。アデン湾を避けて安全な希望岬を廻れば、船荷の到着は1週間遅れる。燃費は億単位で跳ね上がる。その燃費は船賃に反映される。企業は高額な船賃をペイするために商品価格に船賃を上乗せする。結果、最終消費者が物価高騰に苦しむことになる。物価高騰で消費が鈍れば、経済不況だ。

 アデン湾の海賊事件は世界経済の重大な危機だった。看破できないほどの危機。その為に国際連合は各国に多国籍軍を派遣要請した。各国もそれに進んで応じた。経済ほどの重要なものはないからだ。冷戦崩壊後は特にそうだった。銃弾よりも、イデオロギーよりも、株価だった。株価が動けば世界が動く。

 ソマリア内戦で黒人が何万人虐殺されようと株価は動かないが、海賊が船を襲えば株価が動く。つまり、そういうことだった。


「誰に手紙を出すつもりだったんだ?」


 同僚が言った。篤信のウイングマン。加瀬修中尉。付き合いは長く、浅い。しかし、途切れることなく続く。腐れ縁という奴だった。


「故郷のKAだよ。どうしているかなって、思ってさ」

「やめとけ、やめとけ。そりゃ、死亡フラグだ。死にたくなかったら、出撃前に手紙なんて書くな。死ぬぞ。靖国神社だ」

「それは迷信だ」

 

 篤信には自分の帰りを待つ妻がいた。元は中学の同級生だった。再開して恋に落ち、付き合って3年で結婚した。それからまだ半年しか経っていない。篤信は絶対に海外派兵など行きたくなかった。だが、篤信はソマリア沖にいる。日本政府は国連安保理決議1863号に基づき遣印艦隊を編成。航空巡洋艦最上をソマリア沖に送った。

 日本政府はアデン湾を航行する日本関連船舶は年間2千隻。常時10前後の日本関連船舶がアデン湾にいる計算になる。それも全長1000km、最大湾幅400kmの広大なアデン湾のどこかに、だ。

 眩暈がする程広大な広がりだった。海は広い。とても広い。

 しかし、打つ手がないわけではなかった。海軍主導で導入した護送船団方式はベストではないが、ベターな対応策だった。

 アデン湾を通過する日本関連船舶を1つの船団に纏め、海軍の駆逐艦が護衛に就く。それだけで驚くほど被害は減った。海賊は商売だ。強力な軍艦に正面から喧嘩を売るのは極めて商業的ではない。

もちろん、大小無数の船団を纏めることは簡単な事ではなかった。船会社、船荷に係る企業、保険会社の利害は複雑極まる。船団を組めば船速が落ちる。経済速度で走れなくなれば燃費が嵩む。船団を組むための待機時間も問題だ。船荷の遅配は避けられない。

 それでも、高額な身代金と船荷を失うことに比べれば、まだマシだった。

 少なくとも2時間前までは。


「それで、貨物船は沈んだのか?」

「いや、まだだ。燃えているが、沈んではいない」


 甲板作業員の質問に答えながら、彼の手を借りて愛機にコクピットに納まる。ハーネスの接続。ガチャガチャと金属音。酸素マスクのホースを機上酸素発生装置に接続。機上酸素発生装置はまだ動いていない。電源が入っていないからだ。

 スイッチを2つ弾いて、MFDを立ち上げる。プリタキシーチェック。篤信はスロットルが始動前位置であることを確認。パーキング・ブレーキの固定を確認して、さらにスイッチを7つ叩く。JFSが始動する。JFSはジェット燃料で駆動する小型の発電機だ。

 電源が入り、メインコンピュータが甦る。追い立てられるようにIHI-NE-2000が廻り始める。

 NE-2000は日本海軍が採用した推力10t級の国産ターボファンエンジンだった。篤信はエンジン回転計が20%を示したところでスロットルを押し出した。点火。タービンが甲高い高周波音をかき鳴らす。

 さらにBITを走らせる。MFDにチェックリストが表示されるが、読み飛ばす。プリフライト・チェックは高度に自動化されている。人間が介入する余地は少ない。人間がそれを代替した場合、チェックだけで日付が変わってしまう。

 日本海軍が1990年に採用した90式艦上戦闘機は、高度な電子化、自動化が施された多目的戦闘機だった。開発・生産は三菱重工。形式は米軍のF-16に似ているが、自重はF-16よりも20%重く、主翼面積は25%も大きい。F-16はデルタ翼だが、90式艦戦は主翼に浅い後退翼を採用していた。LERXから浅く広がる主翼に日本的な美意識を投影すれば、鶴のようにも見える。

 油圧と電圧が定格を示していることを確認した篤信は、フライトコントルールを発艦にセット。サイドスティックで動翼を動かす。動翼の動作をチェック。フラップ、エルロン、ラダー、エレベーター、全て完動。問題なし。

 MFDにチェック完了のサインが出る。GPS、INSのアライメント。全て異常なし。

 通信系のセットアップが完了する。すぐさま指揮所からの命令伝達が入る。


「直ちに発艦。戦闘空中哨戒を実施せよ」

「了解」


 艦隊の防空指揮所は篤信に200km先のヒ86船団の直援を命じていた。

 船団は2時間前に攻撃を受けていた。大型貨物船が被弾、機関停止。漂流しつつ炎上中。損害は甚大だった。

 荒っぽいことをする。篤信はそう思った。

 海賊の仕事としては無意味に派手だった。海賊の目当ては積荷と身代金だ。船を沈めることはではない。

 篤信はテロの可能性を疑っていたが、防空指揮所の管制官はそれらしきこと何も言っていなかった。おそらく防空指揮所も何が起きたのか把握していないのだろう。

 もっとも、篤信にはどちらでもいいことだった。海賊だろうと、テロリストだろうと、自分のすることには何の違いもない。その一点において、篤信には何の迷いもなかった。ただ、確信があるばかりだった。

 篤信はパーキング・ブレーキを解除。スロットルを僅かに押し出して、タキシング。発艦位置に向かう。甲板作業員が機を誘導する。

 カタパルト・シャトルから白く蒸気が漏れているのが見えた。20tを越える90式艦戦を打ち出す艦本式蒸気カタパルトだった。

 高主力エンジンを搭載した90式艦戦でも、地力滑走で発艦するには最上の飛行甲板は短すぎる。イギリス海軍が発明したスキージャンプ方式であれば発艦できるかもしれないが、日本海軍は今後とも永久にそうした胡乱な発艦方式を採用する予定はなかった。

 機が発艦位置につく。

 篤信は、右手側に聳える艦橋を見やった。航空巡洋艦「最上」の艦橋は巨大だ。第二次世界大戦で活躍した戦艦並みに大きい。煙突と一体化した島型艦橋。それならアメリカ海軍にも同種の艦橋を備えた航空母艦がある。だが、その艦橋よりも2倍以上大きい。巨大なSPY-1レーダーを装備するためだ。レーダーはそれだけではない。OPS-20航海レーダー、OPS-28D対水上レーダー、SPG-62射撃指揮装置、FCS-2射撃指揮装置2型、OTH超水平線レーダーもある。

 各種ESMアンテナ、LINK16用アンテナ、IFF用電波発信装置、航空機管制用データーリンク発信装置、インマルサット衛星通信アンテナ、スーパーバード衛星通信アンテナが素人目には全く無秩序に林立していた。

 さらに艦首方向に向かって127mm速射砲、87式35mm連装高角機銃(CIWS)、ボフォース対潜ロケット発射器、Mk41VLSが並ぶ。艦首に設置された巨大なミサイル発射チューブには国産の超音速対地対艦巡航ミサイルが装填されていた。射程距離500km以上。西側陣営が開発した対地対艦ミサイルでは最大規模だった。

 そして、それらの兵装が最上に空母型の全通飛行甲板を設けることを不可能にしていた。また、そうでなければならなかった。日本国は航空母艦のような攻撃的装備の保有をホノルル講和条約で禁止されているからだ。日本政府の公式見解によれば、最上は限定的な航空機運用能力を備えた防衛的巡洋艦となる。

40機の艦上機を搭載する満載6万tオーバーの巨艦のどこが防衛的なのか、篤信には理解不能だったが。

 それでも敢えて、このキメラの存在意義について理解を試みるならば、その起源を半世紀前に帝国海軍が建造した伊勢型航空戦艦の活躍に求めることができるだろう。




 >>第2話に続く





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