お話の力。
先日に公開した童話「童話やけんど、ほんとにあったお話ばい」は、以前に賞で落選したお話です。なぜ落選したのか実際のところは不明ですけれど、どうやら「昭和」という時代設定が違っていたらしい。それとお話の主人公は、童話を読む世代のちびっ子が望ましかったらしい。さらにお話の人称は、一人称が良かったらしい。大賞を拝読して一人で反省会を開いてみましたけれど、本当のところは謎です。
賞にはかすりもしませんでしたけれど、私にとって、とても大事なお話です。
このお話をなろうで公開するにあたって、おいちゃんのお連れ合いのおばちゃんに掲載のお許しを求めました。個人名は出ていませんし設定も変えてあるのですけれど、一応は許可を得ておこうかと。
こころよくお許しをいただいて「お父さん(おいちゃん)にも読んで聞かせます♪」とお返事をもらって、なろうで公開しました。おばちゃんたちお二人には、なろうのURLの貼り方がわからなかったので、ショートメールでお話をコピペして送りました。ところが文字数がオーバーしていて、全文は送れない。「ちょっとずつ送信しますね」そう伝えて、お二人への連載(?)を始めました。連載は7回くらいになる予定でした。
連載3回目で、気づきました。「このお話、結末が……。どうしよう?」 それから毎日、悩みながらお話を送り続けました。悩みの原因は、お話の結末が二人を傷つけてしまう可能性があったからです。お話の内容を知らなければ傷つかないけれど、すでに3回送信している。お二人だけ結末を変えて送信する? でも……。かなり悩みました。
私は公開してしまったお話は、愛する読者様の物だと考えています。作者だからと言って後で勝手に内容を変えることは、私はしません。よほどの間違いは訂正しますけれど、それ以外を変えることはしないようにしています。でも今回は、お二人を傷付けるかもしれない……。傷つけないために、内容を変える……? でも……。 お二人を傷つけるかもしれない結末は、私がお二人の救いを求めて書いたものです。生半可な気持ちで書いたものじゃない。それを変えるのは、違う気がする。でも傷つけてしまったら、取り返しのつかないことになってしまう。
かなり悩みました。そしてお話の途中で、先に結末を明かすことにしました。最後のほんの数行です。おいちゃんに、とても嬉しい出来事が起こる部分です。ネタバレしても、いいですか? ダメな方は、先に童話をお読みになってから、このエッセイをお読みください。
お話の最後で、おいちゃんに孫が生まれます。おいちゃんの可愛い娘に、可愛い子どもが生まれます。おいちゃんはウキウキして初めての孫に会いに行くというのが、お話の結末です。
絶対に実現不可能な結末です。どんなに望んでも、実現しない終わり方です。
おいちゃんの娘は、私の幼馴染みです。彼女はすでに、この世にいません。
あっという間の出来事だったので私はお見舞いに行くこともできず、久しぶりに彼女の顔を見たのは通夜の席でした。彼女は苦しい闘病生活をしたと聞きましたが、棺の中のその顔はとても穏やかでした。葬儀の間じゅう、ずっと彼女のご主人が慟哭していました。二人は結婚して、1年もたっていなかったのです。
私にできることは、なかっただろうか? 何年も考え続けていました。だからお話を書いたときに、彼女が望んでいたであろう結末を書きました。結婚して、愛する人との子どもを望んで、子どもが授かる結末。普通に暮らして、普通に生きてゆく、普通の人生。
でも彼女の親御さん(おいちゃんとおばちゃん)は、このお話をどう受け止めるだろうか?
面白おかしくタヌキとおいちゃんのお話を書いていて、いきなり亡くなった愛娘が出てくるのはショックじゃないだろうか? 私はメールを送りました。
ソウからのメール:おいちゃん、おばちゃんへ。このお話、さいごにヨウちゃん(仮名)が出てきます。ヨウちゃんに子どもが生まれて、おいちゃんがヨウちゃんと孫に会いに行くところで話は終わります。私はヨウちゃんを忘れません。私がおぼえている限り、ヨウちゃんは私の中で生き続けます。ヨウちゃんの夢を、お話の中で書いたつもりです。
おかげさまで、お二人は泣いて喜んでくれました。叶わなかった夢がお話の中で叶ったと、すごく喜んでくれました。
上手く言えませんけれど、これが「お話の力」だと思います。大事な人を亡くして悲しんでいる方に、私は何もできません。でもほんの一瞬だけでも、楽しい夢を見てもらえたら。この世では二度と会えませんけれど、私の中に彼女が生きてるかぎり、彼女の想いを言葉にすることができるかもしれない。その言葉が誰かの胸に響けば、彼女は誰かの中で生き続けることができます。
そういう気持ちを言葉にして、伝えたいのです。




