閑話 押山司陰が生まれた日
司陰はまどろみの中にいた。
ぼやけた視界の先には、誰かの記憶が覗いている。
・・・・・
最初は病院だった。
出産を控えた母親がお腹を大事そうにさすっている。
「――――生まれるの?」
「もちろん。元気な男の子だそうです。この子のためにも、カミナシ様もぜひ触ってください」
「私からもお願いします」
カミナシ、と呼ばれた白い髪の女性は恐る恐る手を伸ばした。母親の膨らんだお腹は鼓動するように上下しており、触れた手を優しく押し返している。
彼女がその感触を不思議そうに確かめているのを見て、子の両親は安心したようにしんみりと話し出した。
「死にかけのところを助けてもらって、こうして私とこの子の命があるのはカミナシ様のおかげです」
「こんな人並みの幸せを享受できるなんて、いくら感謝してもしきれません」
「……照れ臭いからやめてよ」
カミナシが珍しく照れているので両親にも笑顔が浮かぶ。
彼女はほのかに顔が赤くなって、二人から目を逸らしてしまった。
「カミナシ様にも可愛いところがあるんですね」
「まるで酒が入ったみたいで。赤ちゃんには慣れてないんですか?」
「からかわないでよ……」
三人で幸せを共有して、笑い合う。
それはとても楽しい時間だった。
「あの、カミナシ様」
「何?」
「この子に、『司陰』と名付けてよろしいでしょうか――――」
次は船の上だった。
カミナシと話しているのは城島安吾だった。
「――――何人生きて帰れるんだ?」
「『時空の天災』を殺すなら、南極に集結した魔装使いの最低でも九十パーセントは命を落とす」
「……嫌な真実だな」
南極大陸の厚い氷床には黒い雲がかかり、接近するものを阻んでいた。
揺れる船の甲板で、二人は雲の中にいるものを見ていた。
「ヒドラを倒さないと人類は滅ぶ」
「倒してもいづれ、そうなるだろう」
「……その通り。でも、人間にとって魅力的な選択は今生存を勝ち取ること。将来は現在のおまけにすぎないと、歴史は証明し続ける」
城島は嘆息した。
「誰かにしわ寄せがいく世界なんて碌なもんじゃない」
「だから私が変えるんだ」
最後は墓場だった。
一人の少年がカミナシと手を繋いでいる。花が手向けられた墓の前で、二人は祈りを捧げた。
「どうして花を置くの?」
「大切な人がここにいるから」
「いないよ?」
「目には見えないんだ」
カミナシは少年を優しく諭した。
「両親は好きかな?」
「うん。今は遠くに行ってて、でもすぐに帰って来るって」
「そうだね。帰って来るよ」
その少年には墓に刻まれた二人の名前は読めなかった。
もし読めていたら、未来は変わっただろう。
時空の天災との戦闘で、少年の両親は鬼籍に入ったのだ。
「司陰君、両親を迎えに行こう」
・・・・・
司陰は夢を見ている気分だった。
だが、夢だと思ったそれが事実だった。
いや、事実は司陰の認識下にあって、まさしく彼の両親は存在していたのだ。
夢から醒めた今、司陰は大切な人を失ってしまった。




